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気にしない!

作者: 矢本MAX

世の中は理不尽です。

よく気がついて、責任感の強い人ほど、職場や日常生活で損をしているように思えます。

これからしばしの間、あなたの心はこの不思議な空間へと入って行くのです。

 気にしない、

 気にしない。

 何があっても気にしない!

 無神経と言われようと、鈍感と罵られようと、何も気にしないことにしよう。

 何故ならこの世の中、無神経で鈍感な奴ほど金も権力も持ってるし、尊敬さえされていたりするからだ。

 オレは今まで、ものごとや人の気持ちを気にしすぎて、どれだけ損をして来たことか! 思い出すだけで、自分で自分が腹立たしい。

 悔しい。

 恨めしい。

 あの時もあの時もあの時も、気にしすぎたために、せっかくのチャンスを逃しちまった。

 だいたい、何か不都合があっても、見て見ぬふりをするのが世の中のセオリーらしい。「そこ、ちょっと違うんじゃない?」

 と、些細な間違いを指摘したりすると、みんな待ってましたとばかりに

「じゃ、おまえ直しとけよ」

 と言って責任を押しつけて来るのだ。

 責任というのはどうやら、過ちを犯した人間ではなく、それを発見した者がとるものらしい。

 そんな簡単なことに気がつかなかった今までの自分が馬鹿だった。

 だからもう金輪際、何も気にしないし、何か見てしまっても見なかったことにするぞ。

 そう決めた。


 今日も今日とて、満員の通勤電車。

 人と人がこれ以上ないほど密着している。

 相手が妙齢の女性だったら、健康な男子なら、変な気持ちになってしまうのも仕方ないだろう。

 車両の片隅で、不自然な姿勢の中年サラリーマンがいる。

 その男と向き合うように、二〇代半ばとおぼしきOLが立っている。

 その表情が変だなということに気がついた。

 不自然にこわばっている。

 どうやら覆い被さるように立った中年男に痴漢行為をされているらしい。

 その異様な雰囲気に気がついた周囲の客が、二人から距離を置くように後ずさったために、満員の車内はさらに窮屈になった。

 だけど、そんなことを気にしちゃいけないんだ。

 見ると、痴漢と女性の周囲に空間が出来て、男が女性の下半身に手を伸ばして、しきりに動かしているのがはっきりと解った。

 痴漢男は行為に夢中になる余り、自分が晒し者になっていることに気がつかない。

 男が体勢を変えた時、その横顔がチラリと見えた。

 見憶えがあった。

 あれはうちの会社の営業部のS課長ではないか!

 いや、たとえそうであったとしても、オレには関係ない。

 顔をそむけて、心の中で呪文のように唱える。

 気にしない、

 気にしない。

 何があっても気にしない!


 会社に到着した。

 小さな商事会社だが、一応五階建てのビルで、一階が倉庫、二階から五階までがオフィスになっている。

 オレが所属する商品部商品管理課は四階にある。

 一つしかないエレベーターはいつも混んでいるので、階段を使う。

 二階と三階の踊り場の床面から壁にかけて、小さなひびが入っているのを発見したのは何日前だろう?

 老朽化したビルなので、それくらいのひびは、あってもおかしくないのだが、最初は小さなひびだったのが、日を追うごとに大きくなっている気がしてならない。

 だけど、誰も何とも言わないので、見て見ぬふりをすることにした。

 気にしない、

 気にしない。

 何があっても気にしない!


 仕事はコンピュータによる在庫管理と、出荷伝票の発行がメインだ。

 完璧なのは当たり前で、ちょっとでもミスをすると大変なことになる。

 だけど人間のやることだから、必ずどこかにミスが忍び込む。

 多いのは連絡ミスで、言った言わないの水掛け論になるが、最終的には営業の発注ミス、受注ミスを商品部が被ることになる。

 いちいち文句を言っていても仕方がないので、粛々とミスを訂正するだけだ。

 気にしない、

 気にしない。

 何があっても気にしない!


 今日も今日とて、営業部のミスを修正して、パソコンの画面から顔を上げると、業務部のOLで、最年長のAさんと眼が合ってしまった。

 Aさんはオレの顔を見て、怖い顔でギロリと睨んで来た。ホラー映画に出て来るどんなクリーチャーよりも怖い眼だ。そう、人間の眼ほど怖いものはない。

 オレはあわてて視線を逸らした。

 何も悪いことはしていないのに、罪悪感さえ湧いて来る。

 あれは先週の土曜日のことだった。

 食料品の買い出しに、近所の行きつけのスーパーへ行った時のことだ。

 何だか不審な動きをしている中年の女性の姿が、視線の片隅に映った。

 見ると、お菓子売り場の棚から、小さなチョコレートの箱を、上着のポケットに入れるところだった。

 女性は、品物をポケットに入れると、ゆっくりと周囲を見回した。あんまり早く動くと、かえって不自然に見えるということを、充分に心得ている動きだった。

 そしてそのことで、彼女が万引きの常習犯であることが解った。

 女性が振り返って、オレの方を見た。

 瞬間、驚いたような顔をした。

 それは、どう見ても、冴えない中年の女性の顔だったが、どこかで見た顔のような気もしたが、どうしても思い出せなかった。

 次の瞬間、その女性の眼が、ホラー映画に出て来るどんなクリーチャーよりも怖く睨んで来た。

 その凄まじい眼を見て、オレは瞬時に思い出した。

 と同時に、背筋が凍りついた。

 地味な格好をして、ノーメイクなので解らなかったのだが、その女性は間違いなく業務部のお局さまのAさんだった。

 普段は厚化粧で、通勤の時も派手な服装をしているので、全く気がつかなかったのだ。

 オレは急いで視線を逸らした。

 そしてそのまま、何も買わないで店を出た。

 そうだ、こんなことには関わらない方がいい。

 それ以来、会社で眼が合うたびに、Aさんは怖い眼でオレを睨んでくる。

 いいわね、誰かに言ったら承知しないわよと、その眼は雄弁に語っていた。

 もし誰かに告げ口でもしたら、何をされるか解ったもんじゃない。

 気にしない、

 気にしない。

 何があっても気にしない! 


 もちろん地球温暖化のことも知っている。

 今日も世界のどこかで戦争が続いている。

 多くの人が殺され、ひどい怪我を負い、生活を破壊されている。

 深刻な飢餓で、毎日何人もの人が飢え死に行く。

 絶滅危惧種の動物も増えるばかりだ。

 だけどオレひとりが何かしたって、どうなるものでもない。

 気にしない、

 気にしない。

 何があっても気にしない!


 それにしても階段の踊り場のひびは、日に日に拡大して行く。

 二階から三階へ、三階から四階へ、まるで植物が繁殖するように伸びて行く。

 それだけじゃない。

 ビル自体がピサの斜塔のように傾きはじめたように感じるのは気のせいだろうか?

 試しに鉛筆を床に置いてみたら、コロコロと壁際まで転がって行った。

 それでも誰も何も言わず仕事をしている。

 ん?

 何かおかしいぞ。

 建物全体が振動しはじめたぞ!

 棚はガタガタと音を立て、天井からホコリが降って来る。

 オフィスの壁もひびだらけだ。

 ああ、その一部が崩落した。

 明らかに部屋全体が傾斜しはじめた。

 だけど誰も何とも言わない。

 何事もないように、机にへばりついて仕事をしている。

 やっぱりこれはオレの気のせいなのだ。

 ほどなくして、ビルが崩壊を開始した。

 床に大きな亀裂が走り、割れた。

 オレは机ごと落下しながら、仕事を続ける。

 気にしない、

 気にしない。

 何があっても気にしない!

                     了

今日もどこかで、みんなが見て見ぬふりをしているために、大変な事態が進行しているのかも知れません。

それではまたお逢いしましょう。

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