第1話
リスタの町でのトラブルから数日。旧宿場町の中で唯一店じまいをしていなかった宿屋の主人に頼み込んで住み込みで働かせてもらい、数日分の生活費と旅費を手にした私たちはようやくメアリ駅にたどり着きました。
『メアリ。メアリです。長らくの御乗車お疲れさまでした。新フラン方面カモミール行急行は七番線からすぐの発車です。少々お急ぎください。五番線に到着の列車は折り返し、コーエン方面ミナモ行普通です』
大音量での魔法放送が響く中、私の横でアリスが目に涙を浮かべながらメアリ駅の駅名標を見上げていました。
「そんなにうれしいんですか?」
「当然よ。どこかの誰かのせいで一生ここにはたどり着けないんじゃないかと思っていたもの」
「でも、ここは旅の中継地。終着地ではありませんよ。ほら、さっさと行きますよ」
「ちょっと待って。もう少し感慨に浸らせて。お願いだから」
「わがまま言わないでください」
時間がないというわけではないのですが、私としては最初の用事を早く済ませたかったので駅のホームにとどまり続けようとするアリスの手を引っ張って歩き始めました。
メアリ駅があるメアリ公国はかつて世界を統治していた枠組みの一つである東部連合の主要国で「記録を大切にする国」という二つ名をつけられています。
メアリ公国……特にメアリ公国を統治しているメアリ公爵家は代々知識欲の塊のような人間であり、世界中のありとあらゆる記録を日夜収集し続けているとされています。そのメアリ公爵家の知識をひけらかす場として作られたのが今回の目的地であるメアリ国立図書館です。
メアリ国立図書館の規模は図書館としても研究機関としても東部連合最大とされており、日々増加し続ける蔵書に対応するために常に拡張工事が行われ、結果的に内部が入り組み、また訪れるたびに施設に変更が行われているため、「メアリ国立ダンジョン」と言うあだ名がつけられる始末。私としてはどうしてそこまで情報収集にこだわるのかわからないのですが、世の中には私のしている旅人という職業を理解のできない存在だととらえる人も少なからずいるのでつまりはそういうことなのでしょう。
*
メアリ駅に到着してから約半日。
私たちの姿はメアリ国立図書館の読書スペースにありました。
私の目の前には大量の本を机の上に積み上げて、それを前にして読書に浸るアリス。そんなに大量の本を占拠してはほかの人の迷惑でしょうにとは思うのですが、あまり余計なことを指摘して彼女の調べ事の邪魔をしてもいけないのでそのあたりについては黙っておくこととします。
「……うーん。これでもないわね……ねぇマーガレット、もう少し関係のありそうな本を持ってきてくれる?」
「私はあなたの司書ではないですよ。自分で取ってきてください」
彼女が……アリスが興味を持って調べているのはかつて世界を救ったとされる勇者……特に魔王が倒される前後の旅路について興味を抱いているようです。今回の依頼も勇者の旅路について詳しく調べたいから関連のあるところに連れて行ってほしいというもの。そのために大枚をはたくぐらいには彼女にとって勇者について調べるということは大切なことのようです。
「……そういうことじゃなくて……あぁいや、やっぱりあなたに任せると旅行本ばかり取ってくるから自分で行くわ」
「えぇそうでしょうね。私は旅に関する本が読みたいので」
なぜか、アリスが私に冷たい視線を向けます。私としては素直に自分の欲求を述べたまでなのですが、どういうわけかアリスには理解してもらえないようです。
しばらくの間、冷たい視線でこちらを見ていたアリスではありますが、彼女は小さくため息をついた後、席を立って蔵書エリアの方へと歩いていきました。
「まったく。初めからそうすればいいんですよ」
私は目の前に平積みされている本の中から、気になる旅行本を二、三冊引っ張り出してそのうちの一冊を開きます。本の題名は「女の子の喜ぶメアリのデートスポット」というもので、ぺらぺらと流し読みする限りでは夜景がきれいな丘の上のレストランだの、海が見える展望台だのと言ったデートスポットが書かれています。中でもおすすめのスポットはメアリ公国の西部にある「旧フラン王宮跡博物館」だそうです。その理由としては……
「マーガレット。何読んでるの?」
ちょうど、当該のページを読み始めようとしたところで大量の本を抱えたアリスに声をかけられます。
「メアリ公国の名所をまとめた本ですよ」
「へーそうなんだ。勇者に関する話は掲載されてそう?」
「んーまぁ強いて言うならば、旧フラン王宮跡博物館でしょうけれど……」
「そこはもともと行く予定だったものね……まぁそんなものでしょうね」
アリスはそこで会話を終えて、持ってきた本を机の上に積んで、そのうち一冊を読み始めます。
その姿を見ながら、私は小さくため息をついて、今読んでいた本を片手に席を立ちます。
「マーガレット。本を取ってきてくれるの?」
「違いますよ。自分が読んでいた本を書棚に戻してくるんです」
「あぁそう。いってらっしゃい」
大量に積まれた本の間からひらひらと降られる手を背に私は本がおいてある場所に向けて歩き始めました。
変化が起こったのはちょうどそれから十分ほど後。ちょうど、もともとこの本がおいてあったであろう場所にたどり着いた時でした。
「えっ」
それは本当に一瞬の出来事だったと記憶しています。
最初は頭らから何かかぶせられたのかと思いました。しかし、そういった布のような感触はありません。
ただ、突如として世界が暗転し、何も見えなくなったのです。
「いったい何が……」
それからしばらくして、私の意識はゆっくりと失われていきました。
*
「マーガレット!」
アリスの大声で私は覚醒しました。
その声に続いて聞こえてきたのはガタンガタンという列車の走行音、そして汽笛……
「えっ? 私、図書館にいたはずじゃ……」
「はっ? 突然何を言ってるの? 変なこと言ってもごまかせないわよ!」
私は私の身にいったい何が起きたのか理解できずにいました。
私はあの時、確かに図書館にいたはずです。しかし、今はどうでしょうか? 目の前には明らかに起こっているアリス、その背景は客車……
『リスタ。リスタに到着いたします。お降りのお客様はお急ぎください』
さらに追い打ちをかけるように車内放送がかかりました。
「あぁごめんなさい。ちょっと、その……呆けてしまって……えっと、とにかく降りましょう。旅費がありません」
「旅費がありませんじゃないわよ! もうどうするのよ……まさかメアリにすらたどり着けないなんて……」
図書館で倒れて変な夢でも見ているのでしょうか?
状況はわかりませんが、リスタ駅で降りなければならないのは確かなはずです。私は二だなの上の荷物に手を伸ばし、怒り続けるアリスをなだめながら降りる支度を始めました。
*
リスタの町に到着した夜。
最初にこの町に来た時と同じ宿屋に行き、最初にこの町に来た時と同じように宿屋の主人に住み込みで働かせてくれと頼んだ私は一人、部屋で日記帳を開いていました。
とある高名な魔女に造ってもらったこの日記帳は「ページ数の制限がない」「所有者以外には改変ができない」などの特徴があり、この日記には私が旅立ってからのすべての記録が詰め込まれていると言っても過言ではありません。
「まったく、奇妙なことって世の中にあるんですね……」
結局、私たちが図書館から客車へと移動した理由について何もわかりませんでした。ただ、事実として目の前にある日記には「リスタの町を出発してメアリの図書館へ向かった」という旨の記載があり、その内容は私の記憶としっかりと一致しています。
つまり、私はこの町を発って図書館へ向かうという経験を一度しているということになります。
しかし、現実はちょうどリスタの町に到着し、これから働き始めるという状況。これでは日記の内容と自分の現状に矛盾が発生してしまいます。
このような現象について、私には一つ心当たりがありました。私が生まれ育った土地で、半ば都市伝説のように語り継がれているある事象……
時の隙間。
人によって言い方は違えど、内容はだいたい同じで「特定の時間、場所から突然人が消えて、全く違う時間、場所に再び現れること」を指す言葉です。
今回のケースで当てはめるなら、私はあの図書館で時の隙間に迷い込み、リスタの町の到着する前の私に憑依しただとかそういったことになるのでしょうか?
「うーん……なんかちょっと違うような……あってるような……」
実際問題、時の隙間と言うものはその存在自体が観測されたわけではなく、ただ単に行方不明になったはずの人が数十年後にそのままの状況で発見されただとか、異世界から異世界人を呼び寄せただとかそういった話が元になっており、今回のように過去の自分に憑依する、もしくは時間をさかのぼって移動すると言った話は聞いたことがありません。
「……考えても仕方ありませんね。とりあえず今日は寝ましょうか」
意外と図書館で倒れて、夢と言う形で過去を回想しているだけかもしれません。
そう考えるのが一番シンプルで現実的なような気がしてきました。
私は日記帳に今日の出来事を記して布団に入り、目を閉じました。