52 差別意識
部屋に戻ると決めたから入口へと歩く。
クリスタとクィルは持ちドラ専用通路で戻ってもらう。私達は一般の通路だから少しの間別行動、一旦お別れだ。まあこの旅館は持ちドラも中に入れるから、お別れといってもすぐ会えるんだけどね。
「――あ、そうだ。もう美容の湯に行った?」
ん、他の客の話し声か。
傍に歩いて来た犬型獣人女性2人組の声だ。
「いんやー、行ってない。後で行くつもり」
「まだなら止めときなよ。さっき行ったけど、美容の湯に馬が入っていたからさ。ほんっとありえない。普通入らないだろうに、分からないなんて脳が小さいんだろうね、馬は」
「うっわ。じゃ明日はーいろ」
……馬。一瞬、本当にただの馬が温泉に入ったのかと思ったけど、おそらく違う。多くの仲居さんに見つからず侵入するなんて、ただの馬には到底出来ない。
いるよ、馬。下半身だけが馬の人間が。
十中八九ケンタウロスのテリーヌさんのことだ。
ケンタウロスだって人間に分類されるのに……馬なんて呼び方、好きじゃないな。しかもあの人達は悪意があってそう呼んでいる。顔や声から嫌悪感がひしひしと伝わる。
「マジか。うわ、オレ絶対入らねえわ」
……察し悪いよカオス。
彼女がケンタウロスを差別するとは思わない。
きっと、本気で野生の馬が温泉に入ったと思っているんだ。
うん、やっぱりバカだね。私より遥かにバカだねカオス。
「このバカ! 馬が温泉入るわけないでしょうが!」
カオスがタキガワさんに頭を叩かれた。
涙目で「何すんだよ!」と抗議する彼女にタキガワさんが説明する。
やっぱり分かる人には分かるんだね。私だけの勘違いじゃなかった。証拠はないけど確信出来る。さっき犬型獣人女性2人組が言った『馬』はケンタウロスの差別用語だ。何だか、そうだと思うと気分が悪くなる。
事情を理解したカオスも「何だそりゃ、気分悪いな」と感想を零す。
最初に入った温泉に少し早歩きで戻ったけど、既にテリーヌさんもマヤさんもいない。部屋に戻ったんだ。……さっきの人達、直接何か言っていなければいいけど。
気になるし、後で『薔薇乙女』が泊まる部屋に行こう。
*
505号室……505号室……あった。
同じフロアにあった『薔薇乙女』が泊まる部屋の扉をノックする。
「はいはーい、どちら様ー?」
扉が開いてマヤさんが顔を出す。
「どうも」
「おっ、バニアちゃんか。1人なんだね。どうしたの? ミレイユかバンライに用事?」
「はい、そうです」
すみません嘘です。
いや、2人にも用事はあるから嘘ではないか。温泉でのぼせた2人の様子を見に来たのも、この部屋を訪れた理由の1つだしね。
「入りなよ」
静かに頷いて部屋に足を踏み入れる。
この部屋に来た大きな理由はテリーヌさんだ。
温泉で彼女を『馬』と差別発言する人がいたから、彼女が傷付いていないか様子を見に来た。部屋にお邪魔させてもらい周囲を見渡すと、部屋の隅で瞑想する彼女を一瞥する。
良かった、あんまり気にしていないみたい。
のぼせた2人も回復したみたいだし、本当に良かった。
「あ、バニア! らっしゃいですわ!」
「いらっしゃいバニアちゃん」
2人に「お邪魔してまーす」と告げる。
本来ならわいわい楽しく遊ぶところだけど、今は気分が乗らないな。……かといって来てすぐ帰るのもおかしいよね。何しに来たのって話になっちゃうし。
正直、温泉での出来事をテリーヌさんから直接聞きたい。
聞きたいんだけど、デリケートな話題だしなー。
どう話を切り出せばいいのか思い付かない。
……やっぱり諦めて部屋に戻ろうかな。
「バニア、アタシに何か言いたいことがあるんじゃないか? この部屋に来てからアタシを何度も見ているぞ。話し掛けるのを躊躇しているということは、話し辛い内容のようだが」
瞑想を止めたテリーヌさんが私を見つめる。
ば、バレちゃった。バレたなら仕方ないや。
隠す理由はないし素直に訊こう。
「えっと、実は温泉で――」
温泉で聞いた話をテリーヌさんに伝えた。
話を聞いた彼女は真顔だ。顔色を変えることなく話を聞き終えた。感情を出さないというより、抑えているように見える。彼女は数秒目を瞑ってから口を開く。
「アタシを心配してくれたのだな。ありがとう」
「何なのですその女性は! 話を聞くだけでもプンプンですわ!」
「……たぶん、差別用語ですよね?」
浮かない顔のバンライがマヤさんを見る。
当事者に訊かないあたりバンライの気遣いが分かる。いや、この話題になった時点で気を遣うなんて意味ないか。空気は最悪だ。私、この話をするべきじゃなかったかもしれない。
苦い顔をしたマヤさんが詳細を語ってくれた。
昔、100年以上前、ケンタウロスは人間として認められていなかった。今でこそ人間として扱うのを義務化されているけど、昔は誰もが馬としてケンタウロスを扱っていた。見下していたとも言える。
個体数は少ないが知能は高い貴重な馬とされ、奴隷や労働力として働かされていた時代もあるらしい。恐ろしい話だ。もし法律が変わっていなければ、テリーヌさんもそうなっていたんだよね。
どういう経緯で法律が変わったのかはマヤさんも知らないらしい。
「あれ、でも今は人間として扱うんですよね? 法律で決まっているのに『馬』なんて言うのは色々問題がありますよね?」
「……差別なんて簡単にはなくならないものだよ。法律が作られても、一部の人間は心の奥で差別を続けている。誰かが法を犯しても、周囲が黙認するパターンだってある」
「そんな……酷い……!」
「ええ、ケンタウロスだって人間ですのに!」
「ミレイユ達みたいな子供が増えれば差別は減るよ。こればっかりは一気に変わらない。みんなが徐々に変わっていくしかない」
どうして差別なんてものが生まれるんだろう。
誰かと仲良くするのは、誰かを見下すよりも難しいの?
私は相手が悪い人じゃなければ仲良くしたい。種族や容姿で差別したくない。世界中の人がそう考えてくれたらきっと、ケンタウロスへの差別なんて無くなるはずだ。
「慣れたものだよ。君達のように、理解者が少しでもいてくれたら嬉しい。……だが、いつかは差別を減らしてみせるさ。アタシはそのためにギルドで働いている。アタシがギルドでSランクに到達すれば、きっと認める人間が増えるだろう」
そうか、そんな立派な理由があったんだ。
確かミレイユは実家の復興とお父さんの捜索。バンライはその手伝い。
みんな大変な理由があってギルドで働いているんだね。
マヤさんが働く理由は知らないけどきっと立派なものなんだろうな。
「あ、因みに私がギルドで働くのはお金のためね。Sランクともなればめっちゃお金貰えるらしいから」
……はい。
期待、するんじゃなかった。
テリーヌさんの働く動機を聞いてからしばらく雑談をした私は、仲間が待つ部屋に戻ろうと歩く。早くテリーヌさんの話を教えたいから早歩きで戻り、部屋の扉を開ける。
仲間である2人は……寝ていた。
部屋に敷かれた布団に寝て寝息を立てている。
「……私も寝よう」
今日はいいとして明日は絶対私の話聞いてもらうよ2人共。




