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赤い月の下で  作者: 黒猫館長
第一章「白い一室での物語」
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第8話「乙女心」

 世の淑女には「乙女心」なるものがあるという。自分が間違っていると不合理であるとわかっていながらその間違った方向へと足を進めてしまうと。これは人間だれしもいえることではあるとは思うが、乙女はその傾向がより強いのだという。DVを繰り返す夫から離れられないなどのことはその表れらしい。

 自分は昨日の彼女、旭の行動について疑問を持っていた。自分は彼女の存在に色々な興味を持ちつつもそのことに対する言及は避けようと努力はしてきた。なぜなら彼女はその言及をひどく恐れているように感じていたからである。誰しも触れられたくない過去はあるものだが、すべての感情を繕ってまるで「自分でない自分」を作り出してまで自らの存在をひた隠そうとするまい。今までのあの感情の見えない目、不自然なテンションと突飛な行動は自らを隠蔽したいという感情の表れだとそう思っていた。

 だが彼女は勝手に自分の過去を話し出した。自分は実験体でもう用済みになったから捨てられた。ここを出れば病気になって死んでしまうためここからは出ることはできない。現実味のない話であり、もしかしたら虚言の可能性もある。だが彼女の取り囲む場所はなぜか現実味を帯びさせていくのである。彼女は何を求めている?少なくとも自分がどうすることもできない話だ。あの場所から出すことなど到底できない。同情が欲しいのか?それとも研究所に復讐でもさせたいのか、はたまたこの話でほかの事象に目がいかないように画策しているのか。分からない。最初の案以外、ありそうな仮説は浮かばない。触れられたくない部分に自ら手を伸ばし相手に触れさせ、それで生まれるメリットなどあるのだろうか?それがそれこそ全知全能の神ならばいざ知らず、自分のようなただの子供に話しても何の意味はないだろう。この行動は何か自分には悟れぬ意図があるのか、それとも「乙女心」であるのか…。

「ちょっと千明君ー?せっかくのお風呂なのに難しい顔しちゃ皴ができちゃうよー?」

「すみません。考え事してました。」

 ちょうど今自分は病院にある患者用の大浴場的な場所に来ていた。丁度鶴田さんに髪を洗ってもらっているところだ。

「コーンな美人さんとお風呂に入ってるんだからもっと嬉しそうにしないと!」

「そーですねー、うれしいです。」

「うわー、棒読み…。」

 確かに自分は一人では満足に風呂も入れないような状態ではあるのだが、両手は自由なので髪くらいは洗える。だというのに鶴田さんは「お姉ちゃんがやったげる!」と聞かなかったのだ。恥ずかしいったらありゃしない。

「かゆいところはないですかー?」

「ダイジョブですー。」

 それにしてもこの人髪洗うの超うまい。考え事をやめたせいか気づくと眠くなってしまう。

「千明君って、こうしてみると結構イケメン君だねー。」

「いつもはごみレベルってことですねわかります。」

「卑屈だなー。でもうそじゃないよ。いつもはしかめっ面だけど、こうしてリラックスしてると目の隈以外はすっごくかっこいいから。じゃあ流すねー。」

「わかりました。」

 お世辞と言うことだろうが、まあ悪い気はしない。かといって過剰に喜ぶこともできないのだが。

「次は体洗うねー。」

「はい。…でも体洗うのってあれ使うんじゃないんですか?」

 この浴場には寝台のようなものがあり確か患者はあそこに寝かされて洗われていたと思う。

「あれは寝たきりの患者さんとかのときに使うんだよ。私的にはこっちの方がいいの。でもよく知ってるね。昔使ったことあるの?」

「いえ、中学の時に隣の市の病院に職場見学に行ったのですが、その時に寝たきりの老人を洗うところを延々と見させられましてね…」

 そう、もはや自分で寝返りさえうてない老人が機械的に洗体されていく様子をただ見せられた。その時何とも言えない虚無感を覚えたことは今でも覚えている。介護なくしては生きられない老人はその手がなくなれば数日を待たずして死ぬような存在だ。そんな生きた屍をを無意味に発達した延命治療で何年も生き永らえさせている。それが何時かの自分だと思うと尋常ならぬ恐怖であった。

「そっか。それは嫌な体験だったね。」

「ああはなりたくないって思うんですが、未来はわかりませんからね。結構トラウマだったのかもしれません。」

 きっとその人にも人生があっていろんな苦難を乗り越え一度は幸せをつかんだのかもしれない。だが最期にそんな結末なのだとしたら、過程はどうであれバッドエンドだ。すると、背中に柔らかい感触がする。状況を察してしまったせいで体は硬直し、顔は燃え上がりそうになって必死に我慢する。鶴田さんに後ろから抱きしめられたのだ。

「ちょっとだけだけど、千明君の気持ちわかるな。私も昔よく考えてたんだ。きっと死ぬときは誰も私のことなんて気にしない。ならなんで今生きてるんだろう意味なんてないって。」

 こんな気さくな人でもそんなことを思うのか。信じられないが声のトーンから本当のことなのだと理解できる。

「結局答えなんて出ないよきっと。未来はわからないし、どうしようもない。でも少しずつ良くすることはできる。」

「良く、ですか?」

「そう。毎日自分のできることを頑張って、人のためになることしてお金を稼いで、大切な人を作って。そうやって少しずづ未来をよくしていくの。そうすればきっといい未来が待っているから。」

 それでも結局どうなるかなんてわかりはしない。屁理屈ならいろいろこねられそうだが、

「そういうものですか。」

「うん。そういうもの。」

今は流されることにしよう。いつ降ってくるかもわからない隕石におびえていてもしょうがない。何もしないよりした方が有意義である、確かに一つの真理かもしれない。

「じゃ、次は大事な部分に行くよ!」

「チョ?何してるんですか!?人の最後の防衛ラインはぎ取ろうとしないでください!」

 鶴田さんはいきなり自分の腰に巻かれている布をはぎ取ろうとしてくる。

「鶴田さん!セクハラは女性がしても犯罪ですからね!?実刑判決でますからね!?」

「硬いこと言わないでよー!いっしょにトイレも行った仲でしょ?千明君の可愛かったよ!」

「それ以上のたまうなら遺書書いて自殺しますよ!?え?嘘?冗談じゃないんですか!?本当にやめ…!」

「えーーーーい!」

 そして最後の防衛ラインははぎ取られた。中盤までいい話風だったのに、最後の最後で乙女心ならぬ男心はずたずたに引き裂かれた。その後三日は鶴田さんと口を利かなかったのは言うまでもない。

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