『杏の花影』8
声を掛けたのは――
「アンリ、体が冷えてしまうわ」
「お母様……どうしてここに?」
「音がしたから窓に寄ったの。
そうしたら、アンリが見えたのよ」
「あ……ごめんなさい、ご心配を――」
「そんなことはいいの。
娘を心配するのは親の特権なのだから。
……アンリは本当に、この木が好きなのね」
「うん……ブルーお兄様に似ているから……」
「似ている……そうなのね。
ブルー先生がアンリを見るのは、いつもここからだったからかしらね」
「えっ? いつも、って?」
「アンリが孵化した日から、軍人学校に行ってしまうまで、ブルー先生は毎日この木からアンリを見ていたの。
1日に何度もよ。
だから私達は、できるだけアンリを窓際やお庭に居させたの。
『アンリ』という名も、この木の名から、ブルー先生が付けたのよ」
「ええっ!? ……お兄様が、どうして?
お兄様にとって……私って……何なの?」
「何が気になっているのかは知らないわ。
でも、大切な存在……それだけは確かね」
「大切……私が……大切……?」
「そうとしか思えないわ」
「あ……」
お兄様も、よくそう仰るけれど
上辺の言葉だと思っていたわ……
だって、お兄様の心には――
でも……それでもいい。
どんな『大切』なのかも分からないけど
それでもいいわ。
「お母様……ありがとう」
ビリジアがハンカチをそっとアンリの頬に当てた。
「入りましょう。
話したければ温かいものを飲みながらね。
話したくなくても、何かお腹に入れなければダメよ」
「うん……そうよね」
心に少し暖かみが戻ったアンリは、ビリジアに肩を抱かれて歩き始めた。
―・―*―・―
深蒼の祠でチェリーが浄化を続けていると、ブルーが現れた。
「替わるよ。チェリーは休んで」
「あれ? 兄貴なんか嬉しそ~♪」
「そうかな?
俺の事なんかいいから休んでね」
「ちょっと話していい?」
「いいよ。アンリの事?」
「うん」
ブルーは頷くと、祠の外に出た。
チェリーは追いかけて出ると直ぐに話し始めた。
「アンリは少しは落ち着いたけど、でも少しでも早く立ち直れるように、もう少し向き合ってあげてよ。
可哀想過ぎだよ」
「そう思うのなら、チェリーが恋人になって支えてあげるのが一番いいと思うよ」
「兄貴って、このテの事になるとダメダメになるんだよなぁ。
俺なんてアンリの眼中に入れないよ。
全力で兄貴しか見てないんだからね。
兄貴にも全力で想ってるヒト居るの知ってるけど……でもアンリも大切なんでしょ?
どうして見てあげないの?
妃が2人になっても何も問題無いじゃない」
「アンリは……俺にとって大切な存在だけど、そういう『大切』じゃないんだよ。
どうしても恋愛対象には出来ないんだ」
「時々そういう目で見てるのに?」
「それは……重ねてしまっているから……あまりにも似ているから……それだけなんだ。
俺が見ているのは、アンリではないんだよ」
「もしかして……兄貴の恋人さんは、アンリのお姉さん?」
「……そうだよ。
アンリには、ラピスが目覚めたら、全て話すつもりだよ」
「全て、って……?」
「ラピスとアンリは確かに王族なんだけど、ご両親もご親族も亡くなっていて、どう連なった子孫なのか、全く不明なんだ。
ラセット様とビリジア様は、そんな境遇の眠ったままの娘と、長く孵化しなかった卵を快く受け入れてくださったんだ」
「どうして王族だって隠してるの?
エレーナ家も王族なんだから、普通にしてても良かったんじゃないの?」
「ラピスは王族だと知らずに育ったんだ。
なんだかそれが、ラピスを護る為じゃないかって思ったんだよ。
それでもご親族皆、魔物に殺され、ラピス自身も大怪我をして眠ったままになってしまったんだけどね。
卵だったアンリも、護る為の封印が成されていたんだ。
護れる者が現れるまで孵化しないように。
だからアンリも王族だと自覚してはいけないんじゃないかって……それで隠すようにお願いしたんだ」
「だから兄貴はアンリを護ってるの?
兄貴が封印を解いたんだよね?」
「そうだよ。大婆様のお部屋でね。
その奥に、同様の封印が成されていた卵が隠されていたのを知らずにね」
「えっ? じゃあ、同じ時に孵化したのって、偶然じゃないの?」
「たぶんね。
その95年前に俺が孵化したのと同じ時に孵化したんだよ」
「兄貴の力で、一緒に封印が解けたから、だね?
その封印は誰がしたの?」
「分からない。
ただ、大婆様は神竜様だと仰ったよ」
「神様がアンリと俺を? どうして?」
「何方なのかも判らないのに、理由が分かると思う?
でもチェリーは確かに狙われているし、ラピスだって狙われていたとしか思えない。
俺も、そうらしいけどね。
神様しか知らない何かが俺達には有るんだろうね。
まぁ、王族は昔から狙われ続けてきたんだから、その延長線上なんだろうけどね」
「兄貴が色々隠すのは、そのどれが逆鱗なのかが分からないから?」
「そういう事だよ。
神様からお話を伺いたいよ」
「そっか……でも俺に話したのは?」
「もうチェリーは護られる立場じゃない。
一緒にアンリを護ってほしいから」
「一緒に、って俺に押し付けようとしてない?」
「アンリが嫌いなの?」
「嫌ってもないけど……なんだかなぁ」
「いつも俺とやってる、背中合わせを基点にして戦う形は、俺とラピスがしていたものなんだ。
遠目には区別のつかない俺達は『双青輝』と呼ばれていたんだよ」
「同じようにアンリとしろって言うの?」
「出来ない?
護るのにも最適な形だと思うんだ。
チェリーとアンリも遠目には同じだから」
「俺は出来るよ。でもアンリは……」
「アンリもラピスと同じように強いよ」
「そうじゃなくてっ!
アンリは兄貴と一緒がいいんだからねっ!
護りたいんなら受け入れてよ!」
「それが無理だから頼んでいるんだよ」
「ああっもおぉぉっ!
アンリとは組むけど、説得は兄貴がしてよね。
ちゃんと仲間に入れてあげてよねっ」
「もう仲間なつもりなんだけど」
「アンリ、隠し事いっぱいなの気づいてる。
俺から聞こうとしてたんだ。
何か……何でもいいから話してあげてよ。
たまにはアンリ自身を見てあげてよ。
たぶん明け方には、ここ来ると思う。
もっかい俺と話すためにね。
ちゃんと向き合ってあげてよねっ」
ひと息に言うと、チェリーは曲空した。
「向き合う……か……」
ブルーは見上げていた星空に、神眼の光景を重ねた。
「ラピス……俺は、どうすればいい?」
星空で眠るラピスからは、当然ながら答えは返ってこなかった。
―・―*―・―
エレーナ家では、やっと食べる気になったアンリがスープをゆっくり口に運んでいた。
「でも……」
「なぁに? アンリ」
「私、考え事をしていて、よく覚えてはいないのだけれど、玄関から真っ直ぐ杏の木に向かったと思うの。
お母様のお部屋の前は通らなかった筈よ。
とっても遠回りですもの」
「そうね。確かに遠回りよね。
でも、窓から見えたのよ。
暗くて、はっきりとではないけれど、アンリの髪は淡い色だから、窓からの光で、それだけは、ちゃんと見えたのよ。
それで、裏口から出て、その髪を追ったの。
お家の角を曲がったら、アンリが木に抱きついていたのよ」
「裏口から……おかしいわね……」
「でも、ちゃんとアンリに会えたから、私はそれでいいわ。
とにかくしっかり食べてね」
「うん……ありがとう、お母様」
あ……もしかして……確かめなきゃ。
食べる勢いが増したアンリを、ビリジアは嬉しそうに見ていた。
―・―*―・―
結局ビリジアには特に何も話さず、食べ終えたアンリは、部屋に入ると、深蒼の祠に曲空した。
「チェリー? どこ? チェリーってば」
魔人達が眠っている部屋を覗いていき、首を傾げつつ外に出ると、星空を見上げている人影が見えた。
「チェリー! サボってるの!?」
声を掛けて飛んで寄ると、人影が振り返った。
あっ! チェリーじゃない!
どうしてお兄様!?
止まって人姿になったアンリに、ブルーが微笑み、近付いた。
「こんな夜更けに、どうしたの?」
「え、えっと……チェリーに確かめたい事があって……それだけなの」
「チェリーと交替したんだよ。
チェリーは今、食事中だね。急ぐ?」
「急がないわ。朝で十分よ」
「そう。なら――」「帰りなさい?」
「いや。少しいいかな?」
「えっ……」
「仲間だから、これからの事を少し。
どうかな?」
「はい。お兄様のお話なら朝まででも!」
「そうはいかないよ。ちゃんと寝てね。
で、お願いなんだけど。
ここの交替に加わってもらえるかな?」
「はい♪」
「最初は単独にはしないから安心してね。
それと、もうひとつ。
これから戦う時はチェリーと組んでほしいんだ」
「えっ? チェリーと?」
「昨日、俺とチェリーが背中合わせでしていたように戦ってほしいんだ。
具体的な事は改めて説明するけど、力量とか速さがアンリと合うのはチェリーだから。
真剣な闘いだから、そうしてくれないか?」
「お兄様のご判断ですから、従います」
「ありがとう、アンリ」
「あの……」
「ん?」
「私を避けているのではありませんよね?」
「それだけは無いから。心配しないで」
ふわりとアンリを抱き締め、髪を撫でた。
「アンリは大切な存在なんだ」
まただわ……『大切』って、その言葉が
私には、どうしても越えられない壁に
思えてしまうのは何故なの?
お兄様は本当に大切だと思って
くださっているのに……。
「お兄様……私の名前は……」
「うん。俺が付けたよ。
ラセット様は俺の誕生日をご存知だったから、これも縁だと付けさせてくださったんだ。
アンリが孵化した日、窓から見える満開の璃双杏が、とても美しかったんだ。
その花にそっくりな鱗の小さな命を祝福しているように思えてね」
「ありがとうございます、お兄様。
私、この名前が大好きなの」
「気に入ってもらえて良かった」
髪を撫でる手が止まった。
「ひとつ教えないといけないね」
「何ですか?」嬉しそうに顔を上げた。
「曲空なんだけど――」
「あ、そちらですか……」少し落胆。
「第二段階って所かな?
これまでは場所を思い浮かべて発動していたよね?」
「はい」
「次は、気を掴んで、そこに行くんだ。
神眼も利用して、人の気を掴んで発動。
練習だよ。俺を追ってみて」曲空した。
「お兄様!?」
えっと、神眼でお兄様を探すのね?
気を掴む……あ、こうかしら?
場所ではなくて、お兄様へ曲空――
「あっ!」ぱふっ。 くすっ♪「もう一度」
ぶつかって、一瞬ぬくもりに包まれたが、すぐに消えてしまった。
えっと……見つけた!
ぱふっ。「きゃっ」
「神眼を使って、少し距離を取ってね」曲空。
もう一度! お兄様を見て、前に――
「出来たわ♪」「出来たね」笑い合った。
「これで居場所が判らなくても曲空できるよ」
「いつでもお兄様の所に行けるのね♪」
「そうだけど、入浴中とかは来ないでね。
神眼でイキナリ覗くのも嫌だよ。
先ずは気で確かめてね」
「あ……えっと……はい、気をつけます」
「まぁ大抵は忙しいから、服のまま浄化を浴びるだけなんだけどね」
「また揶揄って! もうっ!」
「チェリーが入浴を終えたよ。行ってみたら?」
「あ……はい」
「そんな残念そうな顔をしないで。
また明日ね」
「はい、お兄様♪」曲空。
蘇「あの……先程の方は?」
瑠「実父だ」
蘇「羽と光輪って……まるで神様……」
瑠「『まるで』ではなく本物だ。
が、その点は誰にも言うな」
蘇「はい!」マジ睨みだぁぁぁ!
瑠「しかし、話は父の事だ。
今日、父も王族として認められたのだ。
私と妹達が命を狙われ続けている事に
通ずるので、生い立ちを話す」
蘇「それも書いてもよろしいのですか?」
瑠「現、前王様と大婆様の許可は得ている。
始祖様は面白がっていた」
蘇「そんな御大層なお父様なんですか……」
瑠「本人も家族も御大層だなどと全く
思っていなかったのだがな」
蘇「ん? ええと、『始祖様』って?」
瑠「王族の始祖、シルバコバルト様だ」
蘇「ええっ!? あ……また水晶ですか?」
瑠「大神様だ」
蘇「これ以上聞いたら命ヤバいとかっ!?」
瑠「ミモザ物語はファンタジーとしてくれ」
蘇「本当に書いていいんですね?」
瑠「何度も言わせるな。書いてくれ。
ただし、盛り込む部分、踏まえる部分等の
説明は都度加える」
蘇「はい!」敬礼!