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太陽と月の狭間で  作者: 那月 結音
ChapterⅢ:a year ago
62/63

for the Sake of(2)

 名残惜しそうに漂う灰色の雲に、ところどころ差し込まれた淡い桃色。

 遠く西の空には冬の気配を感じさせる鈍い青が広がり、暮れる光と静かに混ざり合っていた。

 空が流れる。雨の終わりと一日の終わりが、ひそやかに重なる。

 とくに会話を交わすことなく、ふたりは歩いた。

 足元で跳ねる草の雫。雨に洗われた風が、濡れた落ち葉の匂いを運んでくる。

「……ユリア?」

 いまだ話す素振りのないユリアに、不思議に思ったグランヴァルトが呼びかける。

 ユリアの唐突な誘いを受けいれたものの、その意図がまったくもってわからない。

 名前を呼ばれたユリアは、おもむろに立ち止まると、グランヴァルトのほうを見上げた。

 透きとおる水面のような、深い天穹のような、蒼い瞳。さながら星屑のような光を湛えた双つのそれは、静謐で、美しかった。

「グラン様」

 はっと、グランヴァルトは息を呑んだ。

 なぜだろう。見慣れたはずのこの顔に、愛おしいはずのこの顔に、胸騒ぎがする。

 何度も触れてきたはずなのに……今こうして目の前にいる彼女を、掴み損ねている気がしてならなかった。

 湿った空気が、宵の口を連れてきた。頭上には、鮮やかなロイヤルブルー。雲間から覗く夕日は、その周囲を真っ赤な光彩で縁取られている。

「相談は……申し訳ありません。お受け、できません」

 グランヴァルトの目が、大きく見開かれた。

 風のざわめきすら遠のくような静けさの中。

 ユリアは、はっきりと、こう告げた。

「貴方とは、もう会いません」

 それは、別れの言葉。

 グランヴァルトとの関係に幕を引くための、区切りの言葉だった。

「……お前、何を言って……」

「グラン様……いえ、陽帝グランヴァルト陛下。貴方は、この国で、もっとも尊い存在です。この国の、太陽です。わたしのようなヒトが……関係すら、明かすことのできない人間が、貴方に相応しいだなんて、とうてい思えません」

 自分は、月——ひとりで輝くこと叶わぬ、小さな月。

 諦念ではない。これは、抗うことのできない、普遍の原理。

「……それは、俺との関係を、終わらせるということか」

「はい」

「それが……お前の本心、なのか」

「……はい」

 太陽と月は、けっして同じ空には在れぬのだから。

「……っ、そんな一方的な話、納得できるわけないだろう!!」

 激しさを帯びたグランヴァルトの声が、辺りに響き渡った。びくっと、ユリアの肩が震える。

 グランヴァルトの瞳には、怒りとも悲しみともつかない、強い焔が灯っていた。

「俺のこの気持ちはどうなる!! 俺にお前以外を愛せって言うのか!? ……冗談じゃないっ!!」

 掠れた声に、痛みが滲む。感情は、もはや形を保てないほどに膨れ上がっていた。

 これに対し、ユリアも声を張り上げる。

「貴方だって……っ、貴方のほうが、わかっているはずです!! わたしは、竜人じゃない……貴族じゃないんです!! 世論が分断され、国民がいつ安寧を取り戻せるかわからないこの状況で、貴方の隣にいるのがわたしでいいはずないじゃないですかっ!!」

 自分に言い聞かせるように、心の奥を掻きむしるように、言葉を絞り出す。そうして、項垂れた。

 初めてだった。兄以外の男性に、こんなふうに声を荒げたのは。

 これまでの彼との思い出が、彼のぬくもりが、冷えた全身を駆け巡る。

 できることなら、一緒にいたい。ずっと……ずっと、一緒にいたい。

 こんなにも好きなのに。

 こんなにも愛おしいのに。

 この人以上に愛せる人なんて、この先絶対に現れない——。

「……お前といるために、俺にできることはなんだってする……だから、頼む。考え直してくれないか」

 懇願するような彼の声音に、胸が引き裂かれそうになる。

 それでも、ユリアは顔を背けたままだった。言葉にならない想いが、喉元で爛れ、焦げつく。

「……っ、俺を見ろ!!」

 突き刺すような叫びとともに、グランヴァルトはユリアの両肩を力いっぱい掴んだ。

 瞬間。

 ユリアの中で、何かが決壊した。

 振り仰いだ顔、潤んだその瞳から、大粒の涙が弾け飛ぶ。

「……ごめ、なさ……っ、ごめんなさい……——」

 もう、これ以上は無理だった。言葉にしたら、ここにいたら、心が砕けてしまう。

 ユリアは、グランヴァルトの腕を振りほどいて踵を返すと、逃げるようにして駆け出した。乱れた呼吸。もつれそうな足を、必死で踏み出す。

 そのとき、ユリアの前方に、ジークの姿が見えた。

「……ユリア? どうし……——っ!」

 ただならない様子に驚くジークの腕を、ユリアは掴んで引っ張った。戸惑い、振り返ったジークの視線の先には、悄然と佇む(あるじ)の姿。

 空はすでに深く沈み、赤く縁取られた雲さえも、影に溶けていく。そこには、太陽の光も、月の輝きも、存在しなかった。


 白い息。

 噛み殺した声。

 雨露の上に弾けた、玲瓏な雫。


 この秋、ふたりで過ごしたコテージに、夜の帳が落とされた。






  太陽と月の狭間で

  ChapterⅢ:a year ago【完】

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― 新着の感想 ―
ユリア、真面目だからそっちを選んじゃうんだなぁ( ;∀;) グラン様諦めちゃうのか!? 次章もハラハラお待ちしてますー!
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