harshness(2)
久々に見た帝都の空は、鈍色に覆われていた。
沈んだ色調が、胸に重くのしかかる。頭が痛い。耳鳴りもする。今日の会談を知らされてからというもの、グランヴァルトはまた眠れなくなった。
目を瞑れば、まざまざと蘇る。軟禁されていた頃の記憶。
生まれたときから受け入れているつもりだった。己に自由などない。己を満たすための望みなど持てない。
だが、ユリアと出会い、その清らかな心に触れれば触れるほど、近づきたいと思ってしまった。自身でも驚くほど強く、切実に。
離れたくない。ともに生きていきたい。——これは、グランヴァルトの心に巡る、一縷の望みだ。
「グランヴァルト陛下。大変な折に此度の会談を承諾していただき、誠にありがとうございます」
「……いえ、とんでもありません。こちらこそ、遠路はるばるご足労賜り、心より感謝申し上げます」
先刻、北国からガルディアへ到着したライアンに握手を求められ、グランヴァルトは笑顔で応じた。
優しげな翡翠色の双眸。目尻には歳月を謳う皺が幾重にも刻まれ、もともと茶色だった髪は、そのすべてが雪のように真白く染まっている。
世界の為政者の中で、グランヴァルトがもっとも尊敬する人物。こうして直接会うのは、前回開催されたサミット以来、およそ二年ぶりのことだった。
「エリカ、こちらへ」
ライアンの穏やかな声に促され、後ろにたたずんでいた王女——エリカがグランヴァルトの前に恭しく足を踏み出した。麗しい笑みを零す。そうしてスカートの裾を持ち上げると、優雅に体を沈めてカーテシーをした。
「この子が陛下と直接お会いするのは、五年前に陛下が我が国を訪問されて以来ですな」
「ご無沙汰しております、グランヴァルト陛下。本日はよろしくお願いいたします」
薄氷色の気品溢れるオーラ。淑女然とした顔つき。五年前はまだ十代だった彼女も、いまや立派な成人王族へと成長していた。見れば見るほど、王妃にそっくりだ。
「こちらこそ。……よろしくお願いいたします」
それでも、たとえ彼女がどんなに素晴らしい才の持ち主だとしても、自身の心が揺らぐことはない。この心は、ユリアにある。
サイファから「仮に先方から直接話を持ちかけられても、その場で断るようなことはしてくれるな」と口酸っぱく念を押されてしまったゆえ、1万歩譲ってこれには従ってやる心づもりでいるけれど。
時刻は正午前。
これから、十五分ほど車に乗り、迎賓館へと移動する。
「では、ライアン陛下は私と前の車両に乗り、エリカ王女は——」
「ああ、いや。私は主治医と後続車に乗りますゆえ、どうか若いふたりで同じ車両に」
グランヴァルトの提案を、ライアンはにこやかな笑みを添えて断った。半信半疑……とはいかないまでも、サイファの早とちりかもしれないというグランヴァルトのか細い期待は、たった今ぽきりと折られてしまった。ここまであからさまに行動を起こされてしまっては、もはや疑う余地などない。
心の中で深く溜息をつき、グランヴァルトはエリカと同じ車の後部座席へと乗り込んだ。
その際、側近から、けっして窓は開けないようにと繰り返し忠告を受けた。何が起こるかわからないから、と。
この日は沿道も立ち入り禁止となっているため、いつものように国民が並んで国旗を振ることもないらしい。
世情を鑑みれば、致し方のないことだ。けれど、グランヴァルトは己の不甲斐なさを感じずにはいられなかった。
「陛下」
発車直後。
隣に座ったエリカから、声をかけられた。これに対し、「はい」と短く返事をかえし、ほんの少し身構える。
「このたびは、父がとんだご無礼を……本当に申し訳ございません」
だが、彼女の口から発せられた謝罪の言葉に、今度は「え?」と短く聞き返した。ほんの少し、肩の力が抜けていく。
「わたくしが本日参った理由は、陛下もお気づきのことと存じます。わたくしの口から理由を申し上げることはできませんが、焦った父が、勝手に話を広げてしまって……」
本当に申し訳ございません、と、エリカは頭を下げて再度深謝した。
グランヴァルトの頭上に浮かぶ、大量の疑問符。話が見えそうで見えない。
返す言葉が見つからず、というより、余計なことを言わないよう言葉を慎重に選んでいるうちに、さらに彼女が続ける。
「失礼ながら、いまだご結婚されていないということは、お相手はご自身でお決めになりたいとのお考えなのでしょう。……どうか、こちらのことはお気になさらず、陛下のお心の赴くままに」
「……それはつまり、お父上は貴女と私の結婚を望んでおられるが、貴方にその意思はない、と?」
「えっ!? あっ……そ、そのご質問を肯定するというのはなかなか難しいですが、違う、というわけでもなく……え、と……その……そう、です」
あまりにもあけすけなグランヴァルトの質問に、顔を赤らめたエリカの声音はしだいに小さく窄んでいった。
……しまった。やらかした。いったいなんのために慎重に言葉を選んでいたのか。
回りくどい物言いは得意ではないため、グランヴァルトはつい思ったまま問いを投げてしまった。十以上も年下の彼女に。剛速球を。
だが、これではっきりした。彼女自身も、結婚を望んでいないということが。
「陛下とは、これまでどおり、同盟国の心強い友人として、ともに歩んでいただけたらと思っております」
「もちろんです。……私の大切な気持ちにご配慮くださり、本当にありがとうございます」
やはり彼女は、素晴らしい盟友だ。




