harshness(1)
『本日、ここ王青の楼閣にて、ガルディア帝国と北国の連携をさらに強化するための首脳会談が予定されています。両国がどのように協力体制を深め、国際社会に影響を与えていくのか。その動向に、注目が集まります』
重厚な白い石壁に、鮮やかな青の瓦。壮麗かつ歴史的な建築様式を誇る迎賓館を背景に、竜人の女性リポーターがマイクを握る。急遽設定された大国同士の会談は、国内外のメディアでまたたく間に報じられた。
竜人とヒトの共栄。
十年前、皇帝グランヴァルト七世のこの提唱に、真っ先に賛同したのが国王ライアンだった。以来、ツートップで世界を牽引してきた首脳ふたりの此度の会談は、世界じゅうの関心を引きつけた。
今朝から報道各局は軒並み迎賓館を中継し、グランヴァルトとライアンの姿を我先に捉えんとカメラを構えている。ふたりが現れるのはまだ一時間以上も先だが、駆けつけた報道陣の数はゆうに百を超えていた。
その様子を、ユリアは液晶越しに見つめていた。昼に食べるきのこパスタの下ごしらえをしながら、無言のままじっと。
この一週間、父は家に帰っていない。今日のこの会談に備えるため、ずっと本部に詰めたまま。幼い頃より父の不在は珍しくないが、今回はどことなく心細い気分が拭えずにいた。
父からは、会談前後の一定期間は外出しないようにと繰り返し忠告を受けた。警察と協力し、万全の体制で警備に臨んではいるけれど、反皇帝派や竜人至上主義を掲げる過激な連中が何か起こさないとも限らないから、と。
竜人とヒトの共栄を推し進める両首脳の会談は、彼らを刺激するにはじゅうぶんな条件だった。
会談の開催を知ったとき、ユリアは、コテージから一時的に帰宮することとなったグランヴァルトが心配でたまらなかった。けれど、先日行われた軍と警察の共同会見を見て、現場の最高指揮を務めるのがイーサンだと知り、心底安心した。
彼が側にいるのなら、きっと大丈夫だ。
「材料切れた?」
「……え? あ、うん」
母に声をかけられ、ユリアはテレビから視線を外した。どうやらパスタが茹で上がったらしい。
テーブルの上では、ユリアによって今しがたカットされた玉ねぎや数種のきのこたちが、ボウルの中で待機している。
「クリームパスタがいい? それとも、あっさりコンソメ味にする?」
「んー……どっちでも」
「珍しいわね。クリームって言わないの?」
「じゃあなんでコンソメ選択肢に入れたの」
「私が食べたかったから」
「……だったらコンソメでいいよ」
相変わらずのアンジェラ節に翻弄される。
ボウルを持った母は、きゃらきゃらと笑いながら、足取り軽やかにキッチンへと戻っていった。
ため息をひとつつき、調理を手伝うべく母のあとをついていく。時刻は、まもなく正午になろうとしていた。
「鷹の爪入れてもいいかしら」
「いいよ」
「おこちゃま舌なのに食べられるの?」
「なっ……た、食べられるもん!」
がるると唸るユリアを愉しそうに愛でながら、母はフライパンに小さな鷹の爪を一本入れた。オリーブオイルとバターをひいて、玉ねぎを炒める。次にきのことベーコンを加えて炒め、コンソメで味を調えていった。
「いい匂い」
「やっぱり今の時季はきのこ料理にかぎるわね」
きのこは、母と娘が大好きな食材のひとつだ。パスタにシチューにサラダにスープ。何にでも合う魔法の具材。
昔、実兄のロナードに「あいつら菌だからな」と腐されたことを、ユリアは今も根に持っている。
「テーブルに並べてもいい?」
「ええ、お願い。アイスティー淹れて持ってくわね」
完成したきのこパスタを真っ白なプレートに盛りつけ、庭で採取してきたパセリを散らす。残ったきのことベーコンは、サラダに投入した。
ふたりで作れば、すべてが時短料理だ。
手を合わせ、パスタをひとくち頬張る。きのこの芳しい香りと旨味が、口いっぱいに広がった。
美味しい、とても。けれど、ユリアは今日も食べきることができなかった。大好きな母の料理さえ、今は喉を通らない。
依然として、テレビは同じ映像を流し続けている。
「ねえ、ユリア」
唐突に、母から呼びかけられた。「なに?」と小首を傾ぐ。
そうして投げかけられた質問に、ユリアは心臓をきりきりと絞られるような感覚をおぼえた。
「何かあった……?」
「!」
ひゅっと、小さく喉が鳴る。全身から音を立てて血の気が引いていった。
母は気づいていたのだ。ここ最近の娘の様子に。……気づかないわけがない。だって、母だから。
母の表情は、いつもと変わらなかった。眉をひそめているわけでもなく、困ったふうでもない。
優しい眼差し。
あえて普段どおりに接してくれていることは明白だった。
「……何もないよ」
そんな母に、ユリアは嘘をついた。震えそうになる声を必死で隠しながら、どうにか言葉を紡ぐ。今のユリアには、笑ってこう答えるのが精いっぱいだった。
本当のことなんて言えない。グランヴァルトとの関係で悩んでいるなんて、言えるはずない。いくら母でも。
母だから、なおさら。
母は「そう」とひとことだけ返すと、それ以上は何も訊かなかった。
昔からそうだ。母は、けっして無理強いをしない。そんな母の優しさに、自分は甘えることしかできずにいる。
心が離れていく感覚。自分が自分じゃなくなるような。——耳鳴りがする。
とたんに、ふたりだけの空間が騒がしくなった。
テレビの中、カメラのシャッター音が慌ただしく鳴り響く。さながら叫び声のようなリポーターの実況が、耳鳴りを突き破って鼓膜を打ちつけた。
『御用車です! たった今、グランヴァルト陛下が、王青の楼閣に到着されました!』