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太陽と月の狭間で  作者: 那月 結音
ChapterⅢ:a year ago
56/63

reaffirmation

 アミルがギターを片そうと、ネックを持ち上げたときのこと。

「あ」

 一本の弦が、太い音を立てて勢いよく切れた。

「だ、大丈夫!?」

 いの一番に声をかけたのは、すぐ隣に居合わせたエマだった。心配そうな面持ちで、アミルの手元や顔に傷がないかを確認する。弦が切れること自体珍しいことではないが、切れる際の衝撃や飛び散る破片に対する注意は必要だ。

「へーきへーき。悪い、驚かせた」

 だらしなく垂れ下がった弦を始末しながら、アミルはエマに謝罪した。今回ダメになってしまったのは、一番太い六弦。張り替えるために予備の弦を手に取るも、セッションを終えていい気分だったアミルの心は瞬く間に曇ってしまった。

「あ、いいってエマ。オレがやるから」

「いいからいいから。アミルくんは弦張り替えてて」

 立ち上がろうとするアミルにこう言うと、エマは辺りを箒で掃き始めた。先ほど掃除したばかりでほとんど汚れていないけれど、念のためにモップ掛けまでひと息で済ます。無駄のない洗練された動きは、まさに主婦のそれだ。

 エマの厚意に甘え、アミルは手際よく弦を張り替えた。

「どうした?」

「何かあったの?」

 そこに、レイとアイラが戻ってきた。ふたりの手には、湯気立つカップが、ふたつずつ握られている。

 アミルとエマから事情を聞き、納得したふたりは、カップを置いたテーブルへとふたりを誘った。

 帝都内にある、馴染みの音楽スタジオ。

 この日、久々にメンバー全員で集まり、レコーディングを兼ねたセッションが行われた。例年ならば、そろそろ冬の新曲を発表する時期なのだが、その機会にも恵まれないまま今日まで来てしまった。

 曲はできている。それなのに、披露する場が得られない。そんな中でのこの日のセッションは、五人にとって、なにものにも替えがたい貴重なひとときとなった。

「やっぱりみんなで演奏するのが一番だね。すごく楽しかった」

「家でもずっと言ってたもんな。はかどらないって」

「わかる。あたしも、毎日弾きはするけど、ただ指動かしてるだけなのよね」

 甘い香りと、ほろ苦い香りが、交差する。

 いったいどうしてこんな世の中になってしまったのか。考えれば考えるほど、鬱屈とした気分に捕らわれる。

 誰が悪でもない。……否、確かに悪は存在するのだろうが、自分たちの周囲に非難すべき悪などない。むしろ、その悪から自分たちを守るために、必死で戦ってくれている者たちばかりだ。

「……アミル?」

 と、ここに座ってからひとことも発しないアミルを訝しんだレイが、顔を覗き込むようにして呼びかけた。

 はっとしたアミルが顔を上げる。カップの中のココアは、まったくと言っていいほど減っていなかった。

「どうした、ぼーっとして。やっぱ怪我してたのか?」

「あ、いや。そうじゃねぇ、けど……」

 歯切れが悪い。表情も、暗く硬い。

 その理由には、三人ともすぐに気がついた。

「……元気、なかったなって」

 小さな声が、湯気の中へと転がる。アミルの口からぎこちなく語られたのは、今この場にはいないユリアのことだった。

 セッション終了後、ひと足先にスタジオをあとにしたユリアは、ミトの運転で帰宅した。

 普段どおりに会話した。相変わらず申し分のない歌唱力だった。けれど、ふとした拍子に、焦点の定まらない双眸がどこかを見つめていた。

 ユリアの心が虚ろな理由もまた、三人は見当がついている。

「……陛下と、何かあったのかな?」

 ぽつりと、呟くようにエマが言う。ユリアがあんなにもひどく沈む原因は、ほかに考えられなかった。

 このひと月、ユリアがグランヴァルトとたびたび会っていることは、四人とも知っている。ジークやイーサンが、その逢瀬にひと役買っているということも。

 互いに心から信頼し合っている。

 ジークからそう聞き及んでいるゆえ、気を揉みつつも、ふたりの関係は順調に育っているのだと思っていた——が。

「やっぱり、気持ちだけじゃままならないわよね」

「なんたって皇帝だからな。残念だけど、無理もない」

 アイラの言葉に肯いたレイが息をつく。いつのまにか、カップから湯気は消えていた。

 世界的歌手、かつ、出自を隠しているという点を考慮し、ユリアのことは意識して四人で守ってきた。兄ふたりを含め、ときには過保護に。

 けっして恋愛から遠ざけていたというわけではない。とはいえ、初めての恋人が、まさか皇帝陛下とは……。

「またひとりで悩んじゃうのかな。……お兄ちゃんが、亡くなったときみたいに」

 エマのこの発言には、全員が下を向いてしまった。

 二度と戻したくない、あの闇には。

 しかし、仮にグランヴァルトとの関係が潰えてしまうようなことがあれば、ユリアはふたたび、あの闇に呑まれてしまうのではないか。——心が、壊れてしまうのではないか。

 冷えた静けさが、四人の心を締めつける。

 そんな中、冷えたココアを一気に飲み干したアミルが、おもむろに口を開いた。

「……この先、ユリアはたぶん、オレたちに何も言わず、ひとりで決断すると思う。それは、オレたちを信用してないとかじゃなくて、陛下との関係は、誰かが簡単に答えを出せることじゃないって、わかってるから」

 誰にも——両親にさえも、明かせない関係。

 前例のないふたりの関係を〝是〟だと断言できる人物など、おそらく存在しない。

「これからどうなるか、正直わかんねぇ。けど、何が起こったとしても、オレたちは……オレたちだけは、ユリアの味方でいよう」

 ユリアの気持ちを最大限に尊重し、ユリアの心を守る。何があっても、どんなときでも、四人でユリアを支える。

 十三年前に交わした、自分たちだけの誓い。

 今一度確認し合ったそれを、四人は再度胸に深く刻み込んだ。


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