ambivalence(1)
「警護の最高指揮を俺に?」
「ええ。シュトラス元帥が是非貴殿にと」
イーサンが内務大臣室に呼ばれたのは、退勤直前のことだった。
本日帰宅が遅くなる妻イザベラの「今夜は貴方の作ったグラタンが食べたいわ」という愛らしいおねだりを聞いたすぐあと。オーウェンから、少しの時間で構わないから帰宅前に行政府へ寄ってほしいとの連絡を受け、まったくもって気負わずに来てしまった。
「わかりました。元帥の命令なら、断れませんしね」
「命令、というより、推薦という印象を受けました。貴殿が引き受けてくださるなら、内務省としても大変心強い」
北国との会談当日の警護の最高責任者として、セオドアはイーサンを指名した。
当日、帝都全域は内務省が管轄する警察が、グランヴァルトとライアンの周囲は直属の護衛が、それぞれ警護を務めることになっている。そのうえで、イーサンには、彼ら首脳を含めた会場全体の指揮を執ってもらいたいとのことだった。
いつもならば、今回のような案件は、グランヴァルトとより距離の近いジークに白羽の矢が立つはず。しかし、来月遠征を控えた彼は、現在家族との時間を確保するために公務を減らしているらしい。後輩想いの先輩が一肌脱ぐには、じゅうぶんすぎる理由だ。
「今回の会談を提案したのは北国……ですか?」
「ええ。昨日、王室から使者の方が参られて」
「えっ、直接? 陛下が帝都にいないのは知ってるんですよね?」
「……ええ」
刹那、オーウェンの表情が翳ったのを、イーサンは見逃さなかった。
互いに公人として重要なポストに就いてはいるものの、それでも守秘義務は多分に存在する。ゆえに、こういうときは突っ込んだ質問をしないのが暗黙のルール、なのだが。
「……何かあったんですか?」
イーサンは訊いてしまった。珍しく、気になってしまった。
オーウェンに話せないと言われてしまえば、それ以上は何も言わずにいようと思った。
「……警護するうえで非常に重要な事項なので、お伝えしておきますが」
けれど、こう前置きすると、オーウェンは話し始めたのだ。重い重いその口をなんとか動かし、どうにか言葉を絞り出して。
「当日、ライアン王は、第一王女であるエリカ様を同伴なさるようです」
「王女? 珍しいな、王子じゃないなん——っ、まさか……!!」
隠された真意を瞬時に汲み取り、一驚を喫したイーサンに、オーウェンは頷くように無言で項垂れた。
王子ではなく、王女の同伴。理由なんて、口にするまでもない。
今度は、イーサンが表情を翳らせる番だった。
胸が、ざわめく。
「今回の警護対象はグランヴァルト陛下を含め三名です。昨今の世情を鑑み、移動距離と回数は極力抑えるようにと、宰相からも指示がありました」
「……」
「陛下には直接お伝えしようと、本日宰相がコテージに……オランド中将?」
「……! あっ、いや、すみません。……わかりました。明日にでも警護計画を策定して、部下に持ってこさせます」
「お忙しいところ申し訳ない。よろしくお願いします」
オーウェンに一礼し、彼の執務室をあとにする。
彼の言うとおり、少しの時間だった。だが、よもやこんなにも暗澹たる気持ちで帰路につくことになろうとは、半時間前はつゆほども思わなかった。
王女の同伴を知り、イーサンの脳裡に真っ先に浮かんだのは、ユリアの姿。
グランヴァルトの隣で嬉しそうに笑っていた。この緋色の目でしかと見た。ふたりのあいだには、形を成した〝幸せ〟が、確かに存在している。
それなのに、愛し合っているという事実さえ、隠さなければならないなんて。
「……無力ったらねぇな」
心が引きちぎれそうなほどのもどかしさに、イーサンは顔を歪めて自嘲した。中将という、けっして低くはない地位でさえも、こうなってしまってはなんの役にも立たない。
職員たちと挨拶を交わしつつ、建物の外に出る。
空には、凍てつく晩秋の宵が、静寂とともに迫っていた。




