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太陽と月の狭間で  作者: 那月 結音
ChapterⅢ:a year ago
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premonition(2)

「はい、承知しました。……え? いえ、とんでもない。……ありがとうございます。ですが、それはお互い様です。どうかご無理なさらずに。……はい。また日程が決まり次第、ご連絡ください」

 受話器を戻して内線を切ると、セオドアは執務椅子に深く腰掛けた。

 通話の相手は内務大臣(オーウェン)だった。隣接しているとはいえ、行政府と軍本部は敷地面積上かなりの距離がある。「本来ならば直接出向かなければならないところ申し訳ない」との前置きの後、オーウェンからくだんの件について警護の協力を要請された。

 瞑目し、息をつく。まるで虚ろな深淵に引き寄せられるように、全身から力が抜けていくのを感じた。

 オーウェンには、軍としての協力を惜しまない旨返答した。北国(ノース・ランド)が自国より同行させる警護隊との連携を図ることも。だが、今しがたオーウェンと労い合ったとおり、セオドアの繁忙度は常軌を逸していた。

 テロへの牽制。リヴド伯爵を中心とする反皇帝派の監視。国外に売られてしまった少女たちの捜索・奪還。

 一瞬たりとも気を抜くことはできない。とにかく人命第一だ。国民の、そして、部下たちの。それだけは、絶対に譲れない。

「まったく……〝知将〟などと、いったい誰が言い出したのか」

 背凭れに頭を預け、天井を仰ぐ。その顔には、皮肉の色が滲んでいた。

 入隊して三十余年。いつしかそう呼ばれるようになっていた。

 セオドアの正確な知能指数は公に記録されていない。本人にもわからない。士官学校に入学する際、皆一様にテストを受けることになっているのだが、彼だけは測定不能だったのだ。——高すぎて。

 こんなことは初めてだと、試験を担当した上官がひどく困惑していたのを、今でもよく覚えている。

 後に親友となったゼクスは、『いいじゃないか。お前にぴったりだ』などと暢気に笑っていたけれど、はっきり言ってこの呼称に積極的な感情を抱いたことなど一度もない。

 しかし。

「自分の使い道は、自分が一番よくわかっている」

 死んだ両親に誓ったのだ。ふたりのように、国の名のもとに義を尽くす軍人になることを。

 この体は、この頭脳は、この国のためのもの。

 この国の盾となるために、自分は存在している。


 コンコン——と。

 不意に、執務室の扉がノックされた。

 約束の時刻どおり。正確には、一分前。

 相変わらず律儀なやつだと、セオドアは頬を緩めて招き入れた。

「失礼します」

 現れたのは、流れる銀髪と、襟元に一つ星輝くロイヤルブルーのロングコート。

 結婚し、少し大人びた息子同然の彼に、父親さながらの眼差しを向ける。椅子から立ち上がって中央の応接セットに腰掛けるよう彼に告げると、自身もそちらへ移動した。

「悪いな、ジーク。急に呼び出して」

「いえ。……来月の演習について、ですか?」

「ああ。日程は先に話してあるとおり変更はないが、内容について少し確認をと思ってな」

 約ひと月後。少将であるジーク率いる旅団は、最新技術を導入した初の演習を控えていた。

 グローバル・ポジショニング・システム——略してGPS。地上の人や物の位置を三次元測位できるという、非常に画期的なシステムである。

「マキシムから何か説明はあったか?」

「……あるには、ありました……が、あれを『あった』と言っていいものか……」

 そのシステムを開発したドクターとのやりとりを思い浮かべ、ジークは渋い顔をして見せた。

 マキシム・ダリス、三十九歳。軍の研究所に所属する彼は、ヨレヨレの白衣と縁なし眼鏡がトレードマークの、非常に優秀な主任研究員だ。

 種族はヒト。常に飄々としていて掴みどころのない人物だが、理不尽な過去をその努力と堅固な意志で乗り越えた、ジークの親しい友人のひとりである。

「まあ、お前たちの仲だからな。今回彼を推薦したのはお前だし、特段心配しているわけではないが……」

 ここまで言うと、セオドアは言葉を詰まらせた。翳りを帯びた玉貌が、わずかに揺らぐ。

 ひとときの沈黙。やがて鉛のように重い口を開くと、心の底にずっと溜まったままとなっていた懊悩を静かに吐露した。

「本当にすまない。結婚して間もないお前に、三週間も家を空けさせることになってしまって」

 予想だにしない謝罪を受け、ジークは一瞬瞠目した。それと同時に、今日ここに自分が呼ばれた理由に気づき、得心がいったとばかりに小さく息を吐いた。彼の真摯な態度と相変わらずの優しさに、眉を下げ、困ったように笑う。

「それは言わない約束でしょう。国内だけではなく国外がこのようなときに、我々が動かず誰が動くのですか。……それは、妻もよく理解してくれています」

 脳裡に描くは、家で自身の帰りを待つ妻の花顔。

 妻との時間は大切にしたい。けれど、愛するがゆえに全うしなければならない使命がある。

 国を守る者の責務、その覚悟を身をもって示してくれたのは、今は亡き父と眼前の彼だ。

「離れているあいだ、不安や心配は尽きないでしょうが、私たちも、私の両親や貴方がた夫婦のように、何があっても互いに支え合う夫婦でありたいと……そう、思っています」

 母親譲りの美しい顔立ちに、父親譲りの心技体。

 成長したその姿に重なる懐かしいふたりの影に、セオドアは万感の思いを抱かずにはいられなかった。

「……大きくなったな」

「ええ。貴方のおかげです」

 感慨深げに呟いたセオドアに、ジークは綻ぶように微笑んだ。


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