premonition(1)
帝都の空は、今日も高く青く澄み渡っていた。
まるでサファイアを砕いて溶かしたような深い青色。主不在の古都、それを見守らんと威風堂々と佇む宮殿は、朝から慌ただしく動き回る人々で溢れていた。
この日、宰相サイファ・マラードによって、急遽国務大臣ふたりが召集された。
ひとりは、内務大臣オーウェン・ヴァンス。そしてもうひとりは、外務大臣モーガン・ルツヘルムである。
「北国の使者、ですか?」
不思議そうな面持ちでこう聞き返したのは、詳細を何も告げられぬまま行政府からこちらへと赴いたオーウェンだった。
とりあえず急いで宮殿に来るようにとだけ連絡を受け、あとの仕事をすべて部下に任せてきた。それはモーガンも同じだったようで、オーウェンの隣でこれまた同じような表情をしている。
「要件は?」
「それがな。詳細については、実は儂にもわからんのじゃ。今朝がた、王室から帝室に使者を寄越すとだけ報せがあっての」
長い顎髭を撫で、皺の溜まった目尻を下げながら、サイファが言う。この返答には、オーウェンとモーガンも顔を見合わせ首を捻った。
いくら同盟国とはいえ、要件を伏せたまま使者を送り込むなど、通常では考えられないことだ。礼節を重んじるライアン国王ならば、なおのこと。
「事前に通達できない理由ってなんだ?」
「外務大臣を通さず直接帝室に……となると、グランヴァルト陛下に直接関することか?」
「だとしても、陛下が帝都にいらっしゃらないことは、ライアン国王もご存知だろうに」
再度首を捻る。
グランヴァルトが帝都を離れていることは公にされていない。それは、国内外の混乱や不測の事態を回避するためだが、唯一ライアンにだけは伝えてあった。
考えれば考えるほど疑義は募っていくばかり。とはいえ、いくら頭を悩ませたところで仕方がない。
ちょうど北国の使者が到着したとの報告を受けた面々は、揃って来賓室へと向かった。
そこには、王室からの使者が二名、緊張した面持ちで座していた。ひとりは竜人。もうひとりはヒト。三十代後半だろうか。ともに壮年の男性だった。
ふたりは、サイファはじめ大臣たちが入室するやいなや、その場に立ち上がり深々と頭を下げた。
「ああ、そのようにかしこまらずに。遠路はるばるよくお越しくださった。どうぞ、おかけください」
目尻にたっぷりと皺を溜め、サイファがにこやかに挨拶をする。その穏やかさに緊張がほどけたのだろう。ふたりの頬が、わずかに緩んだ。
だが、それもつかの間。本題へと移った使者の顔が、ふたたび引き締まる。
「我らが王より、こちらの書簡を預かってまいりました」
そうして取り出されたのは、国王ライアン直筆の書簡。封蝋印として用いられているヒースの花は、まごうことなき北国の国花であり、王室の象徴だ。
表の宛名には、宰相であるサイファの名が記されていた。
「今この場で拝読しても?」
宛名に記されてあるのが自身のみゆえ、オーウェンとモーガンの存在を配慮し、サイファは使者のふたりにこう尋ねた。もちろん内容は後に大臣たちと共有することになるため、一儀礼に過ぎないのだが。
使者たちは、迷うことなく揃って頷いた。
封を開け、その中身に目を通し、オーウェンとモーガンは瞠目した。
「宰相……」
「これは……」
言葉を詰まらせる。
しかし、サイファはふたりよりも先に、その温顔に険しさを滲ませていた。
書簡の内容を要約するとこうだ。
長らく延期になっていた二国間会談を近々執り行いたいということ。グランヴァルトが国外に赴きにくい現状を鑑み、会談場所はガルディアで構わないということ。
そして、会談の場に、第一王女であるエリカを同伴させたいということ。
「我らが王のたっての希望……どうか、ご承諾賜りますよう」
大臣たちは瞬時に理解した。ライアンの一番の主張は、おそらく最後の部分であると。
北国には、ふたりの王子とふたりの王女がいる。今年二十二歳になる第一王女のエリカは第三子。王妃に似て見目麗しく、博識で聡明であるとのもっぱらの評判だ。
王子、ではなく、王女。彼女の同伴は、二国間の将来にとって非常に重要な意味を持つ。見合いとまではいかないが、実質それに近い意図があることは明白だ。
王女の同伴を拒むことはできない。拒む理由もない。
サイファが首を縦に振ったことに深く感謝の意を示し、ふたりの使者は帰国の途についた。
「まさかエリカ王女を、とは……」
国賓のいなくなった室内で。
頭を抱えたオーウェンが壁に凭れかかった。彼の口から思わず出た溜息が、事の重大さ、その難しさを物語っている。
そんなオーウェンに対し、モーガンが静かに言葉を返す。
「現時点でご結婚の意思がない陛下は渋られるだろうが、王女の同伴を断る理由はない。それに、ライアン国王直々の申し出を無下にできないことは、陛下も重々わかっておられるはずだ」
三十五歳にしていまだ独身。陽帝と謳われ世界を牽引する名君ゆえ、国内外問わず、王族や貴族からそういった対象として見られてしまうことは、致し方ないことなのだろう。
ただ、グランヴァルトの気持ちを尊重したいと願う彼らの内心は、非常に複雑だった。
「ほれ、ふたりとも。ここでこうしていてもどうにもならん。儂らが今為すべきことを」
「……そう、ですね。申し訳ありません。日程を調整し、北国に駐留している外交官を通じて早急に王室へ伝えます」
「私は、警備に関する警察への指示と、軍への協力要請を」
「うむ。……儂は陛下に伝える文言でも絞り出すとしようかの」
並んで公務へと向かうオーウェンとモーガンを見送り、サイファは窓の外を見た。
眩しさに目を細める。どのように伝えるべきか……空を照らす太陽と同じく燦爛とした主を思い浮かべれば、慈愛とも憂いともとれる笑みが零れた。
生まれたときからずっとそばで見てきた。生まれた朝も、コテージでその産声を聞いた。
傷つき、苦しみ、それでも国民のために御身をやつしてきた主の気持ちを、何よりも大事にしてやりたい。
けれどそれは、ともすれば、単なるエゴなのではないか。
「儂もいつまで生きられるか……のう、大佐」
同じ年に同じ町で生まれた友は、先に逝ってしまった。孫娘を愛し、その歌を愛した友は、二年前に。
彼の孫娘への愛は、自身が主に抱くものと、おそらく似ている。
主が心を許せる誰かが隣にいてくれたら……。だが、はたして北国の王女がその存在たりうるのだろうか。
突然現れた、彼女が。
「……」
突然——本当に突然だった。焦りのようなものさえ感じられるほど。
ライアンの人柄は、サイファもよく知っている。先帝になにひとつ学べなかったグランヴァルトが手本とし、心から信頼している立派な君主だ。しかし、此度の件は、はっきり言って彼らしくない。
「……何かあったのか?」
再度窓越しに空を見上げる。
答えの見えない問いが、サイファの胸をひどくさざめかせた。




