CARD 4
私、エリザベス=リードは父が大大大好きだ。人は私のような者を『ファザコン』と揶揄する。それがどうしたというの。
母も嫌いではない。しかし、両親は大嫌いだ。
両親が揃うとなぜか両者の関係はぎくしゃくする。二人の間に流れる冷ややかな空気が子供心に嫌でたまらなかった。間に入る身にもなってほしい。
父と母は政略結婚だったと聞く。母方の家の経営を立て直すため、父の家の財産が必要だった。おかげで母方の事業は持ち直した。しかしその代償に母は恋仲の婚約者と別れさせられた。それが全ての悲劇の始まり。
母は父と結婚した後も婚約者と密会していた。父方の家系は赤髪赤い瞳、母の家系は栗色の髪にブラウンの瞳の一族。しかし私の髪は鴉のような黒髪に青い瞳。どこにその遺伝子があるのだろうか。年齢が上がると学校の授業でABO型の血液の勉強をする。O型とA型の夫婦にB型の子供は生まれない。自分がなぜB型なのか最初は理解出来なかった。しかし、少し周囲に目を向ければ理由が分かった。周囲が自分を見る目と噂。
『あの子はカッコウだ』
カッコウという鳥は、他の鳥の巣に卵を産む。その卵を仮親に育てさせるのだ。母は確かに自分を産んだ。病院にも記録が残っている。では……
――私は、お父様の娘ではない?
思春期の少女にその事実は受け止め切れなかった。何より大好きな父の娘でないことがショックであった。
私はそれ以降こっそり両親を調べはじめた。そして事実を知ってしまった。両親は各々に不倫をしていることに。
私はキッチンから果物ナイフを一本盗み出すと、父の不倫相手を見つけ出し押し掛けた。なぜ母の不倫相手の方に行かなかったのか、それはきっと母より父が手元に欲しかったから。それほど父に執着をしていた。
不倫相手の女は、スラムの入口に住む女だった。
何日も何日も建物の前で張ってようやく見つけた。別段美人でもない。少しスタイルがよくて見栄えが良い程度。いかにも安っぽいピンクのサテンのワンピースと、その上に古びたコートを着流している。父をこんな女に取られるなんて。私の心は、真っ黒な方向へ落ちて行った。
――私が、悪女から父を取り戻さなくては。
その使命感だけが、その頃の私の原動力。
私は女がアパートから出て来たところを、ナイフを突きつけ脅した。
女は最初驚いた顔をしているが、相手が小娘だと分かると、怯えてはくれなかった。
「あなたもしかして、リズ?」
女はしばらく私を観察すると、正体を言い当てた。
「どうして分かったの!」
「この辺で、そんな上等なドレスなんてお目にかかれないわ。それに貴方のお父様が良く話してくれたのよ。うちの娘は黒髪でポニーテールにすると可愛いと」
私は自分の髪を結わくリボンを掴むと髪を下ろした。
「貴方に、父の事を話してもらいたくない!」
「そうよね、ごめんなさい。……さあ正体がバレてしまったのだから、ナイフをしまって頂戴」
女はそういうが、こちらも引っ込みがつかない。ナイフを両手で構え直す。
「いやよ! 私はあんたを刺しに来たんだから」
「リズ、やめよう、ねっ?」
「何をしているんだい?」
丁度その時だった。運悪く制服を着た警察が建物の前を通りかかる。なんてタイミングが悪いんだ。この辺りは治安が悪いので定期的に巡回をしているが今日は時間が少し早い。
女は警察の方を見る。どうせこのまま私を突き出す気だろう。しかし女は私の持っていたナイフを手で握った。もちろんだが手から出血をする。地面の上に血痕がポツリポツリと落ちる。
「な、何をするの!」
「しっ!」
女は私に顔を近づけて声を出すなと言う。
「おはよう、ビビアン変わりはないかい?」
ビビアンと呼ばれた女は、警官と知り合いなのだろうか、こちらに近づいてきた。
「あら、ご苦労様です」
ビビアンは私が怯んだ隙にナイフを奪い取り、自分のコートのポケットに入れた。
「実は今しがたちょっと失敗しちゃって。私も母親らしく何か料理をしようと思ったら、ナイフで手を切ってしまって、ほら」
ビビアンは血だらけになった手を警察官に見せた。
「おお、それは痛そうだ。大丈夫かい? 止血は出来るか?」
「ええ、知り合いの子がこれから手当てをしてくれるって、珍しい事をしようとするものじゃないわね、駄目そうなら病院行くわ」
「そうかいお大事に、お嬢ちゃんよろしくね」
「さあリズ、中に入ってお願いするわ」
「でも……」
「いいから」
私は警察の方を見た後、ビビアンに促され彼女のアパートの中へと案内された。
傾いた階段。落書きだらけの廊下。きっとこの分だと部屋の中は、期待できない。
「どうして庇ったりしたの、私の弱みを握って脅そうとしているの?」
「……そっか! これは脅す材料になるのね。リズ頭いい」
「茶化さないで! 私はあなたと父を別れさせるために脅しに来たのよ」
「そう、ならもう目的達成ね。私、貴方のお父さんとはとっくに別れたわ」
「へっ」
ビビアンは、アパートの部屋の扉を開けた。すると中から甘い香りがする。
部屋の中は暖房が効いていて温かい。お世辞にも綺麗とは言えないが、想像していた殺伐とした部屋ではなかった。
そして驚かされたのは、部屋の一番温かい場所にベビーベッドがあったこと。
「この子が寝ている隙に買い物に行こうと思ったんだけど……レオナルドって言うのよ可愛いでしょ」
小さな檻があるベッドの上には、父と同じ赤髪の赤子がスヤスヤと寝息を立てて寝ていた。青いベビー服から男の子なのが分かる。
ビビアンは狭い室内にある小ぶりのキッチンにナイフを置くと、手をタオルで強く押さえ止血をしている。果物ナイフとはいえ刃物だ。深く切れたに違いない。
私は赤ん坊を見てから無言になった。
一目見て分かった、この子は父の子だ。父と同じ火のように赤い髪をしている。そしてその赤い髪を羨望の眼差しで見ている自分がいることに気づく。自分の黒髪がそのまま心の中に侵入してきて、私の内側を真っ黒に染め上げてゆく。
何故、私の髪は黒いのだろうか。そして、この赤子が疎ましい。
ビビアンは私を置いて話を続ける。
「別れる条件として、私がこの子を貰うことにしたの。年を取って子供がいるのもいいかもって、だからリズ貴方何も焦ることはないのよ。一時だけど貴方のお父様を取ってしまったのは謝るわ、ごめんなさい」
「……何も知らないで! いつか私は父に捨てられる。そしてこの子を自分の息子にするんだわ」
自分の周りにある世界全てが嫌になった。どうにでもなればいい。
私が大声を出したので、それに驚いた赤ん坊が泣きはじめた。
――うるさい! 黙って。
「リズ……そんなことにはならないわ」
「だって私は、父の娘でないから!」
私は涙が止まらなかった。言葉も話せない赤ん坊と一緒にワンワンと声を上げて泣く。
この女は父を取った憎い奴なのに。
憎い相手に自分の秘密をばらしてしまった。ずっと抱えていた不安を誰かに聞いてもらいたかったが、この人ではない。一番打ち明けたくない相手に自分の弱い面を知られたことが、私のプライドをズタズタにする。
「可哀そうに、知ってしまったのね」
そういうとビビアンは傷ついた手を庇いながらも、私をそっと抱き寄せた。そして泣く赤ん坊に、大丈夫よと傷の無い方の手でベッドを揺らしてあやす。
どうやらビビアンは全ての事情を知っているようだ。
それから私は、昏々とビビアンに愚痴を溢し続けたが、彼女はそれをにこやかに時々相槌を打ちながら、根気よく聞き続けてくれた。赤ん坊は私が泣き終わるのと同時に落ち着いたのか静かになった。
「大丈夫よ、貴方はお父様に愛されているわ、大丈夫。オリバーは貴方が可愛いの。こんなかわいい子手放したりしないわ」
ビビアンは呪文のようにそう繰り返し肯定的な言葉をかけて、私をなだめてくれた。なぜだろう。先程までビビアンが憎くてたまらなかったのだが、話を聞いてもらい終わると彼女の事をとても身近に感じた。きっと父もこんな彼女のことが気に入ったのだと子供心に理解した。傍にいて話を聞いてもらいたい。この女性はそんな人だ。自分をそのまま受け取ってくれる。否定をせず肯定して次を示してくれる。私が欲しかったのはここに居ていいという肯定なのかもしれない。
「お家に帰りなさい、ここでのことは誰にも言わない」
ビビアンは、そう言うとウィンクをしてみせた。
「うん」
「よし、いい子ね」
しかし、まだこの部屋は平和には進まない。赤ん坊が再び泣き出してしまった。
「あらあら、時間きっかりね」
「何の時間?」
「ミルクよ。リズ悪いけどちょっと見てくれる、まだ血が止まっていなくて」
「ええ! 私が?」
私を構っていたせいでまだ傷口から血が出ていた。これでは赤ん坊の面倒を見ることが難しいようだ。怪我をさせたのは自分の責任だ。ここは責任を取らなければいけない。
「お願い、ミルクは液体のがあるから、それをパッケージに書かれている通りに温めてあげて、哺乳瓶はそこよ」
オロオロと室内を見回すと、ミルクと哺乳瓶を見つける。パッケージに書いてある通りにミルクを準備する。途中分からない所はビビアンが教えてくれた。ミルクの入った哺乳瓶を持って、さて……これからどうする?
「えっとえっと……」
「抱っこしてあげて頂戴。レオはもう首は座っているから少し乱暴に抱っこしても大丈夫よ」
私は生まれて初めて赤ん坊を抱き上げた。難しかったが、ベビーベッドから持ち上げると、何とか落とさないように腕の中におさめ、近くにあった椅子に座る。
赤ん坊とはこんなにも重く温かいのか。初めての経験に、心の中まで温かくなる。
先程までこの子に憎しみを感じていた。
しかし腕に抱くと、ちゃんと守ろうと体が動いた。これが世にいう母性というものなのだろうか? 自分にもそんなものがあるとは思いもしなかった。
レオナルドは哺乳瓶のミルクを見せると、涙をいっぱいに溜めた赤い瞳をキラキラさせてそれをくれと言っているように見えた。思わず笑ってしまう。
「はいお待たせ」
母親ではない自分を警戒しないで、ミルクを飲んでくれた。
「レオ良かったね。お姉ちゃんがミルクくれたよ」
ビビアンが私たちの様子を見ていてくれる。
――お姉ちゃん!?
ああ、そうか私はこの子のお姉ちゃんなのか。私の弟――
レオナルドの瞳はミルクをくれる私をじっと見つめている。何の邪気もない真っ直ぐな瞳に心奪われるのに数分と掛からなかった。
「この子、悔しいくらいオリバーそっくりなのよね。少しは私の成分はないのかしら」
確かにレオナルドは、ビビアンに全然似ていない。父のパーツのみで作ったような赤ん坊だ。
「……あのビビアンさん、その手が治るまででいいから、この子の面倒見させてくれないかしら?」
私は椅子の横に立つビビアンを見上げ提案をする。
「……もし、貴方がこの怪我に責任を感じての行動なら」
「違うの、いいえ、違わない。責任を感じていないわけじゃないわ。ずっとここに居てはいけないのは分かっている。でも少しの間だけでいいから、この子と一緒にいたい。ダメかな?」
私は腕の中のレオナルドに視線を戻す。
「……ご両親には秘密よ」
ビビアンは、私の意思を汲み取ってくれた。
「うん!」
「リズお姉ちゃんよろしくね」
温かな子供の体温をもう少しだけ味わっていたかった。血は繋がっていないが、ここには自分が持っていない家族の温もりがあるような気がしたから。