CARD 3
まさかエリザベスの正体が大富豪の一人娘だったとは。俺は学校の休み時間中ずっと端末でリード家を調べた。
少し検索サイトを潜れば、一家のスナップ写真が出て来た。さすがセレブの一家だ。様々な慈善活動などもしており、そういった場での記念写真などが大量にヒットする。
その写真の中に、黒髪の少女がいた。
まだ幼い頃のものだったが、この生意気そうな顔付き。
エリザベスには、あごの下と、普段は前髪を下ろして隠れているがこめかみに目立つホクロがある。不本意だが寝顔を間近で見ているので知っている。
黒髪をポニーテールにしている少女には、そのホクロが両方ある。写真の中の彼女は、父親らしき赤毛の男性に抱き上げられ、ご機嫌に笑っている。
――これは、リズだ。
俺はエリザベスの一番写りが良いこの写真を端末に保存して、検索履歴は全削除して画面を閉じた。別に悪い事をしているわけではないのだが、何となく。
エリザベスの正体は、大富豪リード家の一人娘。職場の同僚や周囲には秘密にしているようだが、俺はひょんなことからその事実を知ってしまった。彼女の生まれを聞いて、何故か全てにおいて合点がいった。
エリザベスは、家事が何も出来ない。執事や家政婦がいるような家ならば、そんなことをする必要もないだろう。
俺の母も、料理がろくに出来なかった。おふくろの味でパッと思い浮かぶメニューは、ピザのデリバリーに朝食のコーンフレーク。たまに料理ぽいことをした時は、レトルト食品に缶詰だろうか。ご馳走はチェーン店のハンバーガー。もし自分で料理を覚えなかったら、十代前半にして成人病を発症していただろう。
しかし、エリザベスはさらにその斜め上を行くクレイジーさだ。
彼女は洗濯を知らない。一回使った下着は捨てる。ブランド物のスーツも消耗品扱いだ。もちろん料理が一切出来ない。食事は外食。このアパートメントには、立派なキッチンがあるのだが、使われた形跡がない。
そしてラストこれが最大級に酷い。ゴミの捨て方が分からない。
ゴミの出し方が分からず、はじめてこの家に足を踏み入れた時、ミネラルウォーターのペットボトルと捨てた衣類が山になっていた。その酷さは目を疑う。
俺を助けた時に使ってしまった三千ドルは、この部屋の惨劇にたまりかねて、清掃とハウスキーパーを雇うつもりで用意したものだった。
さて、エリザベスの正体がわかったからといって、何が起こるわけでも、何かを変えるわけでもない。
元々俺とは別の世界に住んでいる人種なのは知っていた。それが五十か百かの違いだけ。そして共に生活をして普通の人間だということも分かった。
お互い共同生活をしている利点は、一緒に住んでも支障がないことぐらい。
俺を傍に置くことが、エリザベスにとって一時の暇つぶしだとしても、それでも構わないと思っている。ここを出されたら予定通り養護施設に行くだけのことだ。
どこか世の中に対して冷めている自分に驚く。子供らしくないと。
――そう、俺には関係のないこと。
俺は学校の授業が終わりアパートに帰宅すると、ハンディークリーナーを片手にテーブル周りの掃除をはじめる。これも俺が体で払っている仕事の一つ。住居を清潔に保つこと。その他にゴミ捨て、洗濯。たまに料理。
エリザベスにAI搭載のロボット掃除機を買わせたので、掃除は必要最低限でいい。汚れる前に片づけているので、人が住める空間を維持出来ている。料理はネットでレシピを調べて作れるものを出来る範囲で自炊している。決して上手くはないが食べられないこともない。しかし今日はエリザベスから外で食べてくると連絡が入ったので、料理はサボることにした。
俺は広いリビングのテレビの前に、ブランケットを広げてその上にクッションを並べるとピクニックを開始する。炭酸飲料とスナック菓子もスタンバイ。テレビのリモコンも忘れずに。そしていそいそとテレビに接続されているゲーム機をONにするのだ。
今日は宿題もないし、家事も終わった。さあゲームの時間といこうか。
最近エリザベスは、同僚から型落ちしたゲーム機を譲り受けてきてくれた。親切な同僚様はもうやらないからとソフトも一式つけてくれた。それも有名タイトルばかりだ。どのタイトルも色あせていない、俺にとって宝物。
母と暮らしていた頃は、ゲーム機など買ってもらえるわけがなく、友達の家で借りて遊んでいた。それが自由に好きなだけ出来る。留守番も料理も洗濯も何でも喜んでやろうじゃないか。
+
「ただいまー」
制限時間いっぱい粘ってもう少しでクリア出来そうという時、エリザベスが帰宅した。
「おかえり」
俺は手が離せなかったので、声だけで出迎える。
「ねぇレオ聞いてよ」
「いま、手が離せないから待って。……プレゼンは上手くいったの?」
画面ではもう少しでモンスターを狩れそうだが、タイムはリミットギリギリ。本当にタイミングが悪い。
「ええ上々よ。私の手に掛かればなんてことないわ。予算もきっちりいただいたわ。なんかねぇカフェの紙袋の中に素敵なお守りがあったのよね」
それは、俺がカフェの袋に忍ばせたメモの事を言っているのだと分かった。付箋に『リズ、ファイト!』と走り書きをした。
「そう、良かったね」
しかし、今はそんな話をしている場合ではない。
「……何よその態度。どこであんなテクニック身に着けたのかしら?」
エリザベスは、俺のピクニックスペースに侵入してくると突然胴に抱き付いてきて、ゲームのコントローラを掴んで取り上げた。
「ああああ! 馬鹿リズ、何するんだよ!」
画面にはタイムオーバーの文字が。
――もう少しだったのに。
俺はエリザベスを睨みつける。
「私を無視するのが悪いのよ」
しらっと言い放つ。ゲームに熱中している俺も子供だが、もっと子供なのはエリザベスの方だと思えてしまう。
「……もう!」
俺はエリザベスの手からコントローラを取り返すと、足で追いやるが酔っているエリザベスは、俺の腰に掴まってなかなか離れようとしない。
「ゲームがそんなに楽しいのか!」
こうなるとしつこいのは学習済。俺はコントローラを離すと、テレビのリモコンでゲームの画面を終わらせ、テレビ画面に切り替えた。夜中のバラエティ番組が映し出される。
「……で、今日は打ち上げだったの?」
昨日はプレゼン前の決起集会で、今日は打ち上げ。エリザベスの職場はどういうことになっているんだ。ため息が漏れる。酔うと大概こんな感じなのだが、今日はやけに絡んでくる。ダメだ。こうなると本当に手に負えない。今日もベッドを占拠されてしまうのだろうか。俺は諦めて話を聞く態勢体制に入った。
「まあね、打ち上げはいいのよ、いつものメンバーで気兼ねなく飲み食いするだけだから……」
エリザベスは、俺から剥がれ落ちて床の上に転がる。
「今日はもう寝たら?」
「いやよ、この嫌な気持ちのまま寝たくない!」
癇癪を起した酔っ払いは、グーを作った両手で床をダムダムと叩きはじめる。このアパートは床が厚いと思うが、近所迷惑になるのでやめてもらいたい。
プレゼンが成功したのに嫌な気分とは、一体全体何があったというのだろう。
俺は皆目見当がつかない。
「……だからどうしたんだよ? 俺に愚痴を聞いてほしいのかよ。それとも……」
「聞いてほしい! 聞いてよレオ、……私ね、お見合いしなきゃいけないの」
見合い? それは男女が結婚相手を探すために、仲介人を介して出会う席のことだ。いまどき古風なことをするものだ。
「……ふーん、で?」
「で、じゃないわよ! 今の時代お見合いよ。まだ私は二十五歳よ? ようやく仕事も軌道に乗ったし、まだ結婚なんて頭の隅にもなかったわよ。それも相手は会った事もない男よ。普通嫌でしょう!」
「会うだけ会ってみたら? 嫌なら断わってもいいじゃない」
「ああ! あんたもみんなと同じこと言うのね」
普通見合いとはそういうモノじゃないのか? 気に入らなければ断る。
「ごめん、俺その辺はまだ子供だからよく分からなくて」
エリザベスは、ルージュが落ちた唇を尖らせると、ふて腐れた顔で俺の顔を睨む。
「あっ、……そうよね私ったら……子供相手に何を向きになっているのかしら。ごめんなさい。レオといるとビビアンさんといる気分になってたわ。やっぱり親子ね似ているのよね」
ビビアンとは母のファーストネームだ。
「はい? どこがどう似ているんだよ。この赤髪と瞳じゃ、似ても似つかないだろう?」
「……赤髪ね」
エリザベスは、起き上がると俺の前髪を一房掴むと一心不乱に引っ張りはじめた。
よく見ると黒めの焦点が若干下に落ちている。
「お姉様、痛いのでやめていただけます?」
「……私だって断れる相手なら断るわよ。この話を持ってきたのがお父様じゃなかったらね」
「リズの親父さんが?」
「……そう、夕方電話が掛かってきて、突然要件だけ言ってきたのよ。たぶん父のことだから相手に会ったら最後、婚約させられるわ」
「それって、バックれられないの?」
「それは、……私、お父様を失望させることだけは、出来ないわよ」
――おっと、これはもしや?
今うっかり口をついたのは、もしかして? 俺は鎌をかけるよりストレートに質問を投げてみた。
「リズってもしかしファザコン?」
「っ……い、いいこと、今のは聞かなかったことにして、誰にも言わないでよ」
エリザベスは俺に念を押す。これはどうも図星だったのだろうか。しかし話を聞けだの、今のは聞かなかったことにしろだの、どうしたらいいんだ。
本日二つ目の新事実。そっと閉まっておくつもりだが、眼前の姉上様は至極ご機嫌ななめになっている。これは少し話の方向性を変えてみようか。
「ねぇ、お見合いの相手がどんな人かの情報はないの? 意外と素敵な人かもしれないじゃないか」
エリザベスは、俺の方から何故かテレビの方に身体を向けた。そして画面を指差す。
そこには今朝見た胸糞が悪い男の姿が映っていた。俺に見せた通りのおかしなポーズで映っている。
「あの人よ」
「ふーん」
――そ、いうこと。
画面の向こうから、ダグラス・キングが白い歯を見せて笑いかけてくる。画面と現実で二人が並ぶように重なる。俺はテレビのリモコンを掴むと、無言で電源ボタンを押し画面を消した。なぜかとてつもなく面白くない気分になっていた。
「シャワー浴びて来て気分転換してこよう、愚痴を溢している暇があったら、何か丁重にお断りできる策を考えないと、困ったなぁ」
エリザベスは立ち上がると、バスルームへフラフラと歩いてゆく。
俺はチューインガムを包んだ紙と一緒に、ポケットにねじ込んだ名刺のことを思い出していた。
はてさて、どうしたものか。
+
この地区全体は排水施設が万全ではない。古いビルが多く、各家庭が各々の家で洗濯が出来るほどの余裕はない。
そのため洗濯はコインランドリーを利用するのが一般的だ。俺は洗面所に置いてあったサンタクロースが持つような大袋を二つ担いで数日ごとに近場のランドリーに行く。袋の中はもちろん洗濯物が詰め込まれている。一つは俺の、もう一つはエリザベスのものだ。
俺は学校が終わった後、週二でランドリーに通っている。
ランドリーはいろいろ方法がある。お金を払うと店員がクリーニングをしてくれるタイプ。綺麗に畳んで袋に詰めてくれる。忙しい人やお金に余裕がある人はこっちを選べばいい。
他には自分で洗剤を持ってきて大型洗濯機に放り込んで洗濯をする。全行程セルフ。こちらは経済的だが、洗濯中はランドリーに張り付いていなければいけないのが難点。
俺はエリザベスの洗濯物が入った袋だけクリーニングの窓口に預け、自分の服は洗濯機で洗うことにしている。壁一面に並んだ大型ドラム式洗濯機の中から、使用されていない物を見つけ扉を開ける。
「……あっ」
たまにこういうこともある。
洗濯機の中に、先客の忘れものらしき洗濯物が取り残されていた。
黙って貰ってしまってもいいが、これはあんまり欲しくない。
――いや、これは使えるかも?
自分の口の端が数センチ上がっているのが分かる。おっといけない。俺は野球帽を深く被りパーカーのフードを引っ張ると表情を隠した。
そして洗濯機の扉で手元を隠すと中から衣類を取り出し、洗濯物袋に押し込んだ。
数時間だけ拝借させてもらおうか。もちろん使い終わったら返すさ。
最近行儀の良い飼い猫になり下がっていたが、久しぶりに野良に戻ってみるとしようか。
+
アパートから学校までは少し距離がある。徒歩でも行けなくない距離だが、スクラップ置き場で見つけた自転車を手入れして乗り始めた。今日はその自転車にまたがり、オフィスビルが立ち並ぶ摩天楼へと踏み出す。夕方前の道は空いていた。
向かった先は、あの俳優とコンサルタントというおかしな組み合わせをしている男の元。
自宅の場所は、名刺と同じ場所だった。
行ったことがない場所で不安があったが、さすがは有名人だけあってパパラッチが取った写真で、すぐ場所が特定出来た。そして、動向はSNSを使えばすぐに分かった。
ダグラス・キングの名前で検索をかければ、どこで見かけたというリアルタイムの情報が手に入る。プライバシーなんてありゃしない、恐ろしい時代だよな。
今日はもうじき自宅のビルから高級車で撮影スタジオに移動するのもリサーチ済み。
「毎度こんにちは」
俺はランドリーで見つけたデリバリーショップの店員の制服を身に着けると、高級車の運転席の窓をノックした。
運転手が顔を出した。
「あの、こちらダグラス・キングさんのお車でお間違いないでしょうか?」
「なんだお前」
俺は胸ポケットから、偽装した伝票を取り出すと、注文を読み上げた。
「えっと、コーヒーが二個にシナモンロールと……実はダグラスさんから、少し出発が遅れそうなので、こちらの車の運転手の方に飲み物を届けるようにと、うちの店舗に注文が入りまして。あ、御代はクレジットで前払いでいただいていますので……あの、受け取っていただかないと持ち帰らないといけないんですが」
「そうか、じゃあ貰っておこうかな」
「ありがとうございます」
御代がタダと言えば大概の人は受け取るものだ。それも制服を来たデリバリーショップからの配達ならよほどの事がない限り不審に思わない。
飲み物にちょっと細工をさせてもらった。毒なんて盛りませんよ。犯罪になってしまうじゃないですか。ちょっと利尿作用とか、便通が良くなるよう特別レシピで提供をしただけ。このブレンドは普通の薬局で市販されているので格安で割と安全。
数十分後、物陰で様子を伺っていると、運転手が車を置いてどこかに猛烈ダッシュしていくのが見えた。
――これで下準備はOK。
自宅前のビルにはさすが俳優、出待ちのファンやパパラッチが数人彼の登場を待ち構えている。
+
ダグラスは自宅ビルから外に出ると、パパラッチとファンに揉みくちゃにされている。
出たところをすかさず車に飛び乗りたかったのだろうが、運転手は不在で車のドアを開けることができなかった。
「くそっ! あいつはどこに行った。何のために雇っていると……」
大声で愚痴を溢す。近くをタクシーが一台通り、近くで止まった。
ドライバーは、窓を開けるとダグラスに向かって叫んだ。
「よう色男! 俺のタクシーに乗ってかないか? 記念にサインしてくれれば、ここの連中振り切ってやるぜ」
「ナイスタイミングだ! サインぐらい、何枚でも書いてやるからすぐに出してくれ」
「まいどあり!」
タクシー運転手はダグラスが乗り込むのを確認すると、メーターをスタートさせた。
コンコン。信号をワンブロック行ったところで、運転席の窓ガラスがノックされる。
運転手は、外の人物に気が付くと車のウィンドを開けた。
「よう!」
「おじさん、無事に拾えたみたいだね」
「坊主が言っていた通り、あそこで待っていたらダグラスさん乗っけられたよ。娘がダグラス・キングのファンでさ。これで株があがるぜ」
俺はそっと後部の扉に回り込むと、扉を開けするりとダグラスの隣の座席に身を滑り込ませる。
「どうも失礼します」
「……なんだお前」
「いやだな、三日ほど前に会ったじゃないですかダグラス・キングさん」
どうもと帽子を取って挨拶をする。そして貰った名刺をこれ見よがしに見せつける。
「お前は、エリザベス嬢の……まさか、お前が何かやったのか?」
「何のことですか。俺はまだ十三歳の子供ですよ、貴方と会ったと同級生に行ったら、嘘だと言われましてね。証拠にサインを貰って来いと言われて、名刺を頼りにここまで来たんですよ。あと折り入ってちょっと話がしたくて。ビジネスの話がね」
嘘がするすると口をついてくる。俺、詐欺師の才能あるかも。先程まで着ていたデリバリーショップの制服は脱いでリュックの中だ。
「ほぉ、俺との時間を自力で作ってくる根性はなかなかだな、どんな話だ。聞いてやろうじゃないか」
ダグラスは話しにのってきた。
「エリザベスのこと、あれから調べたんですけどね。あ、貴方に言われるまで、知らなかったんですよ、これは本当ですから」
「それで」
「その晩聞いたんですよ。近々見合いがあってエリザベスと婚約するとか」
ここまでは嘘はない。さて問題はここからだ。
「おそらくそうなるな」
「へぇ」
「まあ俺も本意じゃないぜ、あんな気が強そうで喚き散らす尻軽女願い下げだ。でもあの女の家には興味がある。俳優業もあと数年で潮時だ。事業を広げるチャンスだと思えば悪い話じゃない」
「それ俺も一枚噛ませてほしいなと……今はエリザベスに養ってもらっていますが、将来は貴方に鞍替えした方がいいと思って」
「なるほど、そういう話題は嫌いじゃないぞ」
「恐れ入ります」
「そうまで言うなら何か手土産でも持ってきたか?」
「いえ、まずはあなたが何を欲しているかリサーチが必要じゃないですか、俺も全てを知っているわけではないですよ。あとエリザベスを侮らない方がいい、頭脳だけは優秀ですから。でも懐にいる俺なら時間をかけてピンポイントに探ることは出来ます」
「……そういうことか」
「何が望みですか」
ダグラスは、俺の肩に腕を回すと近寄る。運転手に聞こえないようにしているようだ。
「そうだな、リード家の脅迫材料を探してきてほしいな」
「将来乗っ取るために?」
「そうそう、分かっているな。父親が生きている間は娘婿の立場だからな。大して会社を動かせない。何か事業を任せざるをえなくなるような、プライベートな弱みがいいな。それを探して来い。そうしたら、お前の事飼ってやるよ」
「分かりました」
「俺は美食家だからな、変な獲物は持ってくるな」
俺は、帽子をかぶり直すと、ダグラスから身を離した。そしてシートの端に隠していた端末を取り出すと、指先で素早く操作する。画面に表示されているボタンを押すと、端末からダグラスの声が聞こえてくる。このタクシー内で話した内容がスピーカーから流れてくる。会話が全て録音されていた。
「ほう、それをどうするつもりだ?」
ダグラスは、俺の持つ端末を奪い取ろうとする。
「どうぞお好きに、その端末を壊しても無駄ですよ。すでにネット上のクラウドにバックアップしましたので、もうここにはデータが入っていません」
こうなることは計算済みさ。ダグラスは端末をタクシーの床の上に捨てた。壊されると勿体ないので拾っておく。
「保険のつもりか? それともその音声で俺を脅しているつもりか。いい度胸だな。週刊誌かパパラッチにでも売って小銭でも稼ぐか?」
「いえ、そんなことはしませんよ。そんなところに売っても、貴方のバックにいる権力で握り潰されるのがオチだ。この音声をちょっと加工してSNSにアップするだけです」
「SNSにだと?」
「そうです。アップした後、書き込みをして煽るんですよ。『ダグラス・キング脅迫の一部始終。富豪の一人娘を食い物に』大衆って根も葉もない噂大好きですよね。人の口の前に戸は立てられませんから、情報を売るより面白いことになるとおもいませんか?」
「そんなことしても……」
「ダグラスさん、いま何本CM持っているんですか? スポンサー契約は? イメージ大切ですよね。もし何かあったら違約金ってどれくらいするんですかね。経営している会社の株価暴落とかしちゃったら大変ですよね」
「……このガキ。ひっかけたな」
「人聞きが悪い、俺はビジネスの話をしにきたんですよ」
「ずいぶん、手慣れているな。どこでそんな悪知恵を身に着けた」
ダグラスは、俺の首を掴むと後部座席に押しつけた。運転手に気づかれないよう、声は荒げない。
「申し訳ない。育ちが粗野なもので、こっちが俺の通常運転なんですよ」
「脅迫で警察に突き出すぞ」
「俺まだ十三歳なのでこの国の刑法では罰せられないんですよね。この程度のことなら、施設に放り込まれてもすぐ出てこれますし……それに」
俺はタクシー運転手の背後にあるボードを指差した。そこには小さな丸い穴が空いており、光る物が覗いている。
最近は客とのトラブル防止や強盗の顔を記録するために、タクシーにはカメラが搭載されている。
「たぶん今のこの行動、ばっちり録画されていますよ? 俺が警察にお世話になるのなら、この車載カメラも証拠に提出されますよね。もしこの映像を証拠提出されたらダグラスさんは児童虐待罪ですか? それってやばくないですか?」
「……はははは、そこまで計算していたか、お前本当に十三か? 末恐ろしいな。何が望みだ言ってみろ」
「そう来なくちゃ。では……うちの姉との見合い、ダグラスさんから断ってください」
「……そういうことか」
俺はニコニコしながら、カメラを指差し端末を振ってみせる。
「分かったよ、断ればいいんだろう」
「ありがとうございます。助かります。あ、断りの確認が取れたら、このデータ消しますので安心してください」
俺はタクシーの扉に手を伸ばすと、戸を開けた。
次に車が止まるのを見計らって、車にひかれない様タイミングを見計らって道路に降りる。
「お前は、あの小娘の何なんだ」
「……それは」
――一体俺はリズのなんだろうか。
エリザベスは、俺が世の中から見放された時、唯一温かい言葉をかけてくれた。母から受けた恩を返すと言っていたが、今回恩を受けたのは俺だ。
「いくら心を砕いても、捨てられるのがオチだぞ」
「知ってますよ、それで構わない」
そんなこと百も承知。これはエリザベスの一時の気まぐれなのだ。
こちらが好きでやっているだけ。ただ、他の奴がエリザベスを悲しい顔にさせるのだけは気に食わない。
「お前なかなか骨があるな。どうだ、俺と一緒に仕事をしないか?」
おや、今脅迫されている相手に勧誘をするとは、この男ただでは起き上がらない食えない性格をしている。俺はこの性格を少し見直し始めていた。
「すいませんが、まだ就業可能年齢に達していないので。二年後も同じことを思っていたら誘ってください」
「覚えておくよ」
俺は後ろ手にタクシーのドアを閉めて、歩道へと歩き出す。
+
アパートに戻る前ランドリーに忘れ物の制服を届けた。残っていたのに気づかず、持って帰ってしまったとランドリーの店員に謝罪する。これで一件落着。
摩天楼からの帰りはバスか地下鉄で帰りたかったのだが、今日はいろいろ仕込みの 出費が多く、帰りの切符が買えなかった。自転車を置いて行った場所まで歩いて帰り、そこからランドリーを回ってきたので、アパートに着いた時は十九時を過ぎていた。エリザベスはまだ帰ってこない。朝のスタートが遅い分、夜も遅い。
俺はアパートの鍵を開けて中に入ろうとした、しかし開けたはずの鍵が閉まる。
エリザベスのやつ、鍵をかけ忘れて出かけたな。今日は後に出たのはエリザベスの方だ。
全く不用心だ。不審者にでも入られて、鍵をコピーされたらどうするんだよ。
俺は注意しながら部屋の中に入る。すると――
「リズ帰ったのか!」
見知らぬ男が、リビングにいた。エリザベスの愛称を呼ぶので知り合いのようだが、どうして勝手に部屋に入っているのだろう。俺は警戒をして玄関の方に後ずさる。
「どなたですか?」
お互い初対面と思ったが。この男はどこかで見覚えがある。
俺はジーンズのポケットから端末を取り出すと、写真のアルバムを呼び出した。記憶は正しかった、目の前にいるのはリード家を調べている時、子供のエリザベスを抱いていた赤毛の男だ。確認が終わった端末はポケットに戻す。
「リズのオヤジさん?」
この写真よりだいぶ老けているがおそらく同一人物だ。
「ああ、私はリズの父のオリバーだ、そういう君は?」
「俺は……」
自己紹介をしようとしたとき、突然背後から、口を塞がれた。冷たい指先が唇に触れ、ふわりと甘い香りがする。その香りで誰かすぐに分かる。
「お父様、彼はレオナルド=ラッセルよ」
いつの間に帰って来たのだろうか、俺の背後にエリザベスが立っており、代わりに俺の事を紹介する。首を少し回しエリザベスの方を振り返った。彼女の額は汗ばんで息が上がっている。走ってきたのだろうか?
「お父様が家に来ていることを教えてくれた人がいたのよ。会社を早退して飛んできたのよ」
「そう、おかえり」
一応帰宅の挨拶をしてみる。一呼吸置いてただいまと小さな声で俺に伝える。
俺はまだエリザベスの正体を知らないことになっている。ここは少し様子をみよう。
「ラッセル? リズ……まさか、その子は」
オリバーは、俺とエリザベスの前に歩み寄る。
「そうよ、ビビアンさんの息子さん」
オリバーは俺の顔を見た後、視線を少し上げ娘のエリザベスを黙って見つめる。
その表情は、なんと表現していいのか。一つ分かるのは動揺しているようだ。
「なぜ、君がビビアンを知っている」
唇が震え、声が若干上ずっている。
「お父様にはずっと黙っていたけど、私、ビビアンさんと面識があるの」
エリザベスは、俺を引き寄せ抱きしめる。その手には力がこもる。これは震えを押さえるのに力を入れているんだ。背中に伝わる心臓の鼓動が早い。そして少しこのまま黙っていてと小声で懇願される。俺はエリザベスの手を軽く二度叩き、了解と返事をする。
「……どこまで知っているんだ」
「……全部、よ。半年前ビビアンさんが交通事故で亡くなって、私がレオを引き取ったの」
「ビビアンが亡くなっただって!」
会話の話しぶりから。オリバーは母を知っていたのだろうか。そして母の死を知り、さらに目を見開いて自分のスーツの胸元を掴む。母の訃報を知り呆然としているようだった。
母とこの男はどういう関係だったのだろう。彼は大富豪の当主。母は世間の底辺に近い世界に住んでいる女だ。どこで知り合ったというのだろう。質問をぶつけたら俺がエリザベスの正体を知っていることが分かってしまう。今は疑問を脳内リストに書き起こして、黙っていてくれという指示に従っているフリをするしかない。
どれくらいの時間が経過しただろうか、エリザベスとオリバーはその後数分お互いを見つめたまま無言でいる。はじめに声をあげたのはエリザベスだった。
「気づいてなかったのね。もう少しでレオは路頭に迷っていたわよ」
おそらく深く傷ついた人間の顔は、こういう顔なのだろう。オリバーはエリザベスが語る言葉一つ一つに打ちのめされていく。頭を抱えリビングの椅子に腰を下ろす。
「私はなんてことを……」
「ビビアンさんから生前頼まれていたの、自分にもしもの事があったらレオを頼むって、だから私は実行した」
「そうか……エリザベス、よく気づいてくれた、私は君に返しきれない借りが出来てしまったね」
「レオは私にとってもただの他人じゃないから」
エリザベスに黙っていて欲しいと頼まれたが、俺はいったいこの親子のなんだと言うんだ。疑問のリストは十を軽く越し、俺は何をするべきなのか、キャパを超えはじめていた。
「レオナルド大変だったね。私が早く気づいていれば、申し訳ない……」
オリバーは、話の矛先を俺に向けてきた。椅子から立ち上がると、俺とエリザベスの前に歩み寄って来る。俺に手を伸ばそうとするが、それはエリザベスの手によって打ち払われて妨害された。娘のその行為に驚き、おそらく傷ついた父オリバーは、伸ばした手を所在なげに引っ込める。言葉の続きも飲み込んでしまった。
俺はさらにエリザベスにきつく抱きすくめられる。後頭部が思いっ切り胸の谷間に埋まっているが、それについて苦情を入れられる空気ではない。
「それよりご用件は何かしら? 娘の部屋をオーナーに頼んで鍵を開けてもらって入るなんて、いくら父親でも失礼だと思うのだけど? オーナーが不審に思って連絡してきたわ」
エリザベスは、この重い空気を変えるべく話題を変えてきた。オリバーは俺の方を一瞬見てからエリザベスの話題に乗った。
「そうだった。先程キング氏から電話があって、話はなかったことして欲しいと言われた。理由を聞いたが……リズ、君が断ったのか確認をしたくてね」
ダグラス・キング、表は俳優業をしている、本当の顔は実業家。あの白い歯で笑う顔が脳裏にちらつく。
「私は何もしていないわ」
それはそうだろう。話を壊したのは俺なのだから。ここはさすがに白状しなければいけないか。
「お話し中申し訳ないんですが、それなら俺が破談にしてきました。アイツは性格が悪いから止めておいた方がいいですよ」
「レオ、が?」
エリザベスは、自分の腕に抱く俺を見下ろす。
「リズには言ってなかったけど、一昨日ダグラスが俺に話しかけてきたんだ。リズ家のこととか、全部聞かされた……それにリズも乗り気じゃなさそうだったから、ちょっと脅迫して、話をぶっ壊してきた」
結婚を嫌がっていたが、破談にしてほしいと頼まれたわけではない。俺の独断でやったことだ。しかもその方法が脅迫なので、怒られるのを覚悟した。しかし――
エリザベスは、俺の被っていた帽子を脱がすと、髪をゴシゴシと撫で回す。
「やるじゃない! 偉いぞ私のナイト! 最高にクレイジーでイカしてる」
どうやらお望みに添えたようだ。エリザベスは、一昨日から暗い顔だった表情がパッと明るくなりご機嫌だ。問題は父オリバーだ。
「なんてことをしてくれたんだ!」
案の定雷が落ちる。これが正しい反応だ。
「彼の親御さんは政界にも名の通った名士で、地位も名誉もある、結婚すればリズは将来……」
「お節介はやめて! お父様は私もお母様のようにするおつもりなの」
エリザベスのご機嫌になった気分は、父の言葉で一気に不機嫌となり、父に噛みついた。そこに自分の母を持ち出してきたのは、何か複雑な事情があるのだろうか。エリザベスが繰り出した一撃に、オリバーは顔を赤くしている。
「リズ……話を早急に進めてしまってすまないと思っている、これには事情があってだな」
「……お父様はいつもそう。全て隠して自分に都合がいいように話を進めていく。だから私は家を出たのよ。一人でも生きていけるように勉強をして、家に関係のない企業に就職をした。これが私の答えよ」
オリバーは娘に突き付けられた宣告を黙って聞く。俺はエリザベスが家を出た理由をこの時ようやく理解出来たような気がした、そして彼女の考えに親近感を覚えた。自分の力で生きていこうとしたのは、自分と同じではないか。エリザベスは俺を解放すると、今度は手首を掴み、玄関へと手を引く。
「レオ行こう、ここに居たくない」
「ん、でも……」
しかしオリバーは、立ち去ろうとするエリザベスの肩を掴んで止める。
「待ちなさいリズ、お前は社会に出たかもしれない、でもまだまだ世間知らずのお嬢さんなんだよ。私はお前のためを思ってだな」
「やめて! お願い、これ以上お父様を嫌いにさせないで……私全部知っているのよ! ……私がお父様の本当の娘じゃないことも、レオの父親がお父様だということもね! …………あっ、私……」
――なんだって!?
エリザベスはとうとう耐えかね、抱えていた真実をその場にぶちまけた。彼女は数秒固まると、俺の手を離してその場に膝をついて座り込んだ。
俺はエリザベスの後姿を見下ろす。
「なあリズ、いまの、どういうこと?」
「……ごめんなさい」
エリザベスは両手を口に当てて詫びる。その姿は、叫び出してしまった言葉を必死に飲み込もうとしているかのようだ。しかし一度明るみにされた真実は、引っ込めることは不可能だ。
「俺の父親が……あの人?」
俺はというと突然の告白に脳みその情報の処理が追いついていない。どう言葉を紡いでいいのか分からない。人を脅迫する時はスラスラと嘘を並べられたこの口は、今は幼い子供のようなたどたどしい言葉しか並べることが出来ない。
「レオ、今まで黙っていてごめんなさい」
謝罪は真実であることを告白している。
俺はオリバーの方に振り返った。
その頭についている髪は、俺と同じ赤だ。瞳の色も同じ。なぜ気づかなかったのだろう。先程まで赤くして怒っていた表情からうってかわり、青ざめた顔で俺を見ている。
なぜかエリザベスは今にも泣きそうな顔をしている。何でそんな顔をするのだろうか。
どうしてここに居る大人は、みんな不幸そうな顔をしているのだろう。そして俺に視線を合わせようとしない。そんなに俺の事が怖いのか? 俺の存在が悪いのだろうか? そうだ母の名刺。全部燃やされてしまったけれども、手書きでリストを作っておいた。そこにリードという名前はなかったはず。
――母さん、最後まで隠しぬいたのか。
「何だよ、これ、……知らなかったの、俺だけなのかよ」
みんな知っていて俺だけ除け者というわけか。
「……レオナルド、私は」
「レオ!」
少しだけ信頼しかけていた人間に裏切られ、一人除け者にされた気分は結構最悪だ。半年前の自分からは想像ができない。まさかこんな気分になるなんて思いもしなかった。ただただ、この場に居たくなかった。
俺は二人の制止を振り払い、部屋から飛び出そうとした。しかし背中を向けて玄関に向かった時、背後で大きな物音がした。
振り返るとオリバーが床の上に倒れていた。
「お父様!」
エリザベスの悲鳴が上げる。
俺より先にエリザベスが父に駆け寄ろうとするが、足が上手く動かないのか、リビングの床の上を這いずっていた。ようやく父の元に辿りつくと、抱き起こそうとする。ここからでも分かるがオリバーの顔色は、青から土気色になっていた。
一瞬このまま、去ってしまおうかと思ったが、ふとエリザベスの姿が目に入り、俺は出かけた足を引き返す。
床に膝をついてオリバーの様子を伺う。触れるとスーツがびっしょり濡れており、脂汗をかいている。興奮して気を失った類のものではない。おそらく何か他に――
「……リズ! 動かしては駄目だ! 頭を打っているかも、すぐ救急車を!」
「え、ええ!」
俺は学校で習った救急救命の基礎を思い出して、耳元でオリバーに声を掛ける。返事がない意識を失っている。呼吸は酷く荒い。あとは……
エリザベスは、横で自分のバッグの中身を床の上にぶちまけた。震える手では端末を鞄から取り出せなかったようだ。俺は床の上から端末を拾い上げると、代わりに救急センターをコールする。
突然の告白から、俺の心は止まったままだ。しかし事務作業だけは淡々とこなせるのは、この場で自分がしっかりしなくてはという緊迫感のせい。心臓がうるさく脈打つのが聞こえる。いまは感情で動いては駄目だ。俺は自分に言い聞かせる。
二回のコールで、端末の向こうから女性の声がする。
『救急ですか? 消防ですか?』
「救急です。五〇代とみられる男性が倒れました。場所は――」




