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第六話 雷電改と烈風

 雷電の採用時に川西が海軍からもらった宿題が、エンジンを換装した性能向上型を開発しろというものであった。


 新たに搭載を指示された火星改一〇一型エンジン(後の火星二〇型系統)は、元の十一型に水メタノール噴射と各部改良を加え離床出力を1500hpから1800hpに向上したものである。もちろん同系統のエンジンであるため換装自体になんら問題はない。


 ただしエンジン重量が100㎏以上増加しているため、操縦席後部に防弾鋼板を追加することでバランスを調整していた。この際少しでも重量を軽減するため、やや薄めの防弾鋼板2枚を操縦席直後と胴体燃料タンク後ろの2か所に分けて設置する方法をとっている。偶然にもこの配置はF6Fと同一であり、二重になった防御鋼板が空間装甲の役目を果たし防御力の向上に貢献している。


 防御力については海軍も零戦や陸攻の戦訓から重要性を認識しはじめており、海軍から指示で自動防漏式の燃料タンクと自動消火装置も装備された。


 武装についても20mm機銃が一号機銃から二号機銃に変更され、欠点と言われていた射程と装弾数の改善が行われている。


 これら防御装備の充実により本機は日本機としては異例の打たれ強さを発揮する事になる。そして四月には試作機が完成し629km/hの高速を発揮して関係者を喜ばせた。しかし水メタノール噴射関連のトラブルが続き、昭和一八年(1943年)一月にようやく三二型として採用された。


 本機はあらゆる面で雷電一一型を上回るため、現場では通称「雷電改」と呼ばれるようになる。



 昭和十八年から十九年にかけて海軍の戦闘機はほぼ雷電改と零戦改が主力となっていた。


 この頃には米軍のF6Fも姿を現していたが守勢を維持すれば性能上は十分以上に対抗可能であった。実際この頃の米軍の評価ではJACK(雷電・雷電改の識別コード)はF6Fに対し速度・上昇力・旋回性能・降下速度の全ての面で上回るため、JACKとの単独での交戦は控える様にという指示がでている。



 一方この頃の日本海軍は敵の漸減を目的とした「い号作戦」「ろ号作戦」を相次いで発動していた。


 しかし航続距離が短い雷電改や零戦改では十分に攻撃隊の護衛を行う事ができず、戦闘機の被害こそ少なかったものの、艦爆、艦攻は壊滅に近い被害を受け、機動部隊の再建は絶望的な状況に陥っていく。



 海軍は作戦失敗の原因は戦闘機の問題であると考え、やはり雷電はあくまで十七試艦戦までの「つなぎ」であるという認識を強くしていく。そもそも局戦である雷電は航続距離が短い。艦戦としても太い機首と高い降着速度から狭い空母の甲板に着陸するのが難しい、いわゆる乗り手を選ぶ戦闘機であった。海軍としては、もっと空母での運用に向いた戦闘機を望んでいた。


 その期待を担うはずの十七試艦戦の開発は難航していた。


 開発を担当する三菱では、海軍の要求する翼面荷重と高速の両立に苦心しており、海軍に対して再三にわたり要求性能の変更を要望していた。海軍も空戦の様相がかつて零戦の得意とした水平面の旋回を中心としたものから、ズームダイブを中心とした垂直面の戦いに変わったことを認識し、翼面荷重の要求を零戦改と同等の130kg/m2から150kg/m2に下げることを認めた。


 ちなみに雷電改は高速発揮のため180kg/m2もの高翼面荷重をもつが、これでもF6Fよりは小さい数値であり、いかに日本海軍が格闘戦と着艦速度に拘っていたかが分かる。



 翼面荷重を巡る議論に決着がついたことにより、ようやく十七試艦戦の本格的な設計が開始された。三菱は既に十四試局戦の開発や零戦の改良作業から解放されていたこともあって、設計と試作は順調に進み昭和十八年(1943年)八月に試作機が完成する。しかしその試作機は、公称2000hpを発揮するはずの誉エンジンを搭載したにも関わらず、要求性能に遠く及ばない594km/hの速度しか出せなかった。


 三菱は要求性能未達の原因を誉エンジンの出力不足との実験結果を示し、自社で開発中のMK9(後のハ四三)への換装を要望した。しかし当時MK9は量産どころか未だ審査も通っていないエンジンであり、とりあえず現状の性能でもF6Fには対抗可能と思われることから、エンジンは誉のままとし、昭和一八年(1943年)十二月に新型艦戦「烈風」として制式化された。


 性能に妥協した形の海軍であるが、実情としては年々低下する搭乗員の技量では雷電改は手に余るようになっており、技量に合った艦戦を欲している事情もあった。また、十四試局戦を失注し零戦の生産も先細りの三菱に対し発注量を確保するための政治的な判断もあったと思われる。尚、試作機に搭載されていた誉エンジンは特に調子の悪い個体であったらしく制式化時の公試では608km/hを発揮し関係者を安堵させている。



 烈風は零戦を送り出した三菱の機体らしく、雷電改に比べてやや華奢なものの零戦ゆずりの軽快な運動性を持ち、零戦に慣れた古参搭乗員に諸手を挙げて受け入れられた。また、雷電改に比べて細い機首により視界も良く、降着速度もはるかに低いため、たしかに雷電改よりは技量の低い搭乗員に向いた機体であった。


 しかし米軍から見ると、GEORGE(烈風の米軍識別コード)はJACK(雷電・雷電改)に比べはるかに御しやすい機体と考えられていた。烈風は雷電改に比べると、旋回半径こそ優れているものの、上昇力・水平速度・ロール率で劣っており、防御もやや弱く、格闘戦に釣り込まれなければF6Fで対抗可能と評価している。



 烈風の制式化と配備により、雷電はもとの局地戦闘機の任務に戻っていった。結局、雷電の艦戦としての運用期間は1年余りに過ぎなかった。配備されたのも翔鶴級、飛鷹級のみであり、その生産もごく少数に終わっている。


 だが烈風登場までの間、日本海軍の機動部隊を支え損害を最小に抑えた立役者が雷電である事は明らかである。もし雷電がなく、日本が烈風の誕生まで零戦だけで戦い続けていたら、日本の戦闘機部隊の崩壊が1年は早まっていたであろうと言われている。





「社長、十七試艦戦もやりませんか?中島社長もNK9をこっそり融通するって言ってくれてますよ」


「ありゃ儲からんからいらん。地上じゃ雷電の方が上やから空母にしか使えへん。それにあれまで取ったら今度こそ本当に三菱に殺されるわ。それより十八試局戦の話が来てるから対応よろしく」

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