第五話 艦戦化と零戦改
昭和十七年(1942年)六月、ミッドウェー海戦において、日本海軍は正規空母4隻を喪失するという大敗北を喫する。
このため海軍は急ぎ空母機動部隊を再建する必要があった。失われた空母については昨年策定したばかりのマル五計画を急遽改訂中であり、今後は空母と補助艦艇を中心とした建艦計画となる見込みであったが、それに搭載する艦上戦闘機が問題であった。
今の所、零戦は連合軍の戦闘機に対し優位を保っているものの、いずれ敵も新型機を投入してくる事が予想された。今後も優位を維持するためには、より強力な新型艦戦が必要であった。
零戦の性能向上については、十四試局戦の開発中止と入れ替えに、手の空いた三菱に対しエンジンを金星(1300hp)に換装する指示が出ており、ミッドウェー海戦直後の七月には試作機が完成している。この零戦は量産が始まったばかりの三二型のエンジンを栄から金星に換装し、空力上問題のあった翼端を丸く整形したもので、580km/hの速度を発揮できた。
本機はすぐに四三型として制式採用される。この型の零戦は通称「零戦改」と呼ばれ、終戦まで改良を重ねつつ使い続けられることとなる。その性能は現時点では十分満足できる水準であるが、今後予想される連合軍の新型機に対してはかろうじて対抗可能な程度と考えられた。しかし零戦にこれ以上の性能向上は見込めなかった。
零戦の性能向上の頭打ちが明らかな一方、その後継とされる十七試艦戦はようやく要求仕様が決まり、今年開発が始まったばかりである。本来は十六試艦戦となるはずであったが、要求仕様決定までに紆余曲折があり十七年にずれ込んだ事情がある。ここで失われた一年間が惜しまれたが今さら時間を巻き戻すことはできない。
従って、この時点で海軍が使える有力な戦闘機は雷電しかなかった。
ミッドウェー海戦に先立つこと2ヶ月前、海軍は川西に雷電の艦戦化を打診した。その変更内容は、翼面積の拡大、燃料タンク増設、フラップ大型化、着艦フック等の艦上装備を追加等、多岐に及んだ。
「こんな仕事まじめにやってられっか!」
「確かにこんな変更をしたら雷電の強みはなくなりますね。手間だけ掛かった挙句どっちつかずの中途半端な性能になります」
海軍からの仕事が増えるのは万々歳だったが、龍三はそのまま受けるつもりは無かった。それは菊原も同意見だった。雷電を優秀たらしめているのは、その速度である。海軍の要求を全て飲んだら駄作機になり下がること間違いなかった。
「海軍さんはこまい空母にも降りられる様に考えとるんやろうが、そんなのは三菱様にお任せや。あんじょうやるやろ」
そして川西は海軍に対して逆提案を行った。艦上装備の追加だけであればにすぐに安く出来る、他の変更は今後の改良型で行うという案でどうかというものである。もちろん「今後の改良型」なんて作る気は更々なかったが。
「お困りでしょう?今ならお安くしときますよ」
龍三のセールストークが効いたのか、海軍は川西の提案を認め試作を指示した。もちろん海軍側も戦力化を急ぐという事情があったが、どうせ十七試艦戦までの繋ぎでもあるという割り切りもあった。
変更が最小限に留まったことから、試作機は零戦四三型と同じく七月に完成した。艦戦化による性能低下はほとんどなく、雷電ゆずりの上昇力、強武装、頑丈さは健在であり、連合軍の新型機に十分優位を保てる性能と思われたため昭和十七年(1942年)八月、雷電二一型として制式採用された。
一応は制式採用の艦上戦闘機であるから新しい名前をという話もあったが、外見があまりにも雷電と同じなため見送られた。なにしろ外見上の違いは着艦フックの有無しかない。当然、米軍の識別コードでは両機ともJACKとされている。
雷電は零戦に比べて太い機首と高い着艦速度から小型空母での運用は危険と考えられたため、大型正規空母の瑞鶴・翔鶴と、改装空母ながら比較的大きな隼鷹・飛鷹にのみ配備されることとなった。搭乗員も雷電に搭乗経験を持つものを中心に集められたが、それでも当初は着艦事故がいくらか発生したと言われている。
もっとも、後年サイパンで鹵獲された雷電をテストした米軍のパイロットは、F6FやF4Uよりも視界良好で操縦性も素直だと評している。いかに零戦が乗りやすい飛行機で、日本軍の搭乗員がそれに慣れ親しんでいたかの証左であると言えよう。
艦上機としての雷電と零戦改の真価を発揮する機会はすぐに訪れた。
昭和十七年(1942年)十月に、ガダルカナル島の攻防の中で発生した南太平洋海戦で、日本は投入した5隻の空母すべての艦戦を雷電と零戦改の新型として戦いに挑んだのである。日本は戦いの序盤で空母飛鷹の脱落を許したものの、米空母2隻の撃沈に成功するとともに、味方空母の損害を翔鶴小破・瑞鳳中破のみに留めている。雷電と零戦改が攻撃隊と艦隊を敵機からよく守り抜いたことが勝利の要因であった。
米軍にとって日本が新型機を集中投入したこの戦いは、なまじ両機とも外見があまり変わってない事も相まって、技術的な奇襲となり大きな被害を被ることとなった。そして一時的ではあるが太平洋の稼働空母を完全喪失する。空母の喪失より多くの優秀な指揮官や熟練搭乗員、水兵を失った事の方が深刻な問題であり、以後の米軍の作戦に影響を与えたと言われている。
一方日本側も、表面上は艦艇の損害も少なく勝ち戦ではあったものの、本来の目的であったガダルカナル島制圧に失敗している。また進化しつつある米艦隊の防空システムにより攻撃隊の艦爆・艦攻は大損害を受けた。このため日本機動部隊はしばらく敵艦隊への攻撃を控えざる得ず、また母艦航空隊の編成も戦闘機重視に見直されることとなる。
海軍が大勝利を収めたニュースが派手に報じられ日本のあちこちで提灯行列が行われる一方、海戦の実態を軍から聞いているメーカーはあまり浮かれた気分にはなれなかった。
「社長……十七試陸上戦闘機の話が来ているそうですが、どうします?」
「やらんやらん。中島さんも三菱さんも昔よう似た話で失敗しとるやないか。今さら遠距離用の戦闘機なんて使いもんになるかい」
「まーそうですよねー」
「それより雷電のエンジン換装の話な、海軍さんは燃料タンク以外は防御はいらんと言っとるがバラスト代わりに装甲も付けておけ。燃料タンクのやり方も陸軍で経験のある中島さんに相談しとく」
「社長、やっぱり戦争は厳しくなりますか?」
「この調子で飛行機が落とされたら、すぐ日本から搭乗員がおらんようになるわ。せめて戦闘機だけでも落ちにくうしとかなあかん」