第二話 川西の野望
川西航空機はこれまで水上機専業メーカーとして業績を伸ばしてきた。そして世界レベルで見ても傑作と言える九七式飛行艇を世に送り出すなど、その技術力は決して三菱、中島にも劣らない自負もある。
しかしすでに水上機の黄金時代は過去のものとなり、今では成長も量も見込めないニッチな斜陽産業になりつつあった。このため社長である龍三は、会社の発展のために何としても需要の見込める陸上機市場に進出する必要があると考えていた。
これまではその候補として十三試大型飛行艇(後の二式飛行艇)を考えていた。しかし飛行艇として奇麗にまとまりすぎている事が仇となり変更規模が大きく、また四発の大型機であることから数もあまり出ないだろうことが悩みだった。
もし十五試水戦を陸上機化できれば、三菱の十四試局戦を押しのけて数の見込める陸上戦闘機市場に進出できる。これは会社のために絶対に逃してはならない機会であった。
しかし菊原はそんな龍三の心中を知らず、その真面目な性格を反映してか水上機としての性能を徹底的に優先した案を提出してきた。それは野心的な案ではあったが、龍三の求めたものではなかった。中翼形式では本命の陸上機への改造や部品共通化が困難であり、二重反転延長軸の採用など川西が現在開発中の十四試高速水偵をみれば問題にぶち当るのが火を見るより明らかだった。
三菱を出し抜くには、とにかく早い安い旨いが大事なのである。社長として全く容認できるものではなかった。
「水上機なんかこの先あかん!とにかく陸上機や!陸上機を作るつもりでやれ!」
龍三の指示は、とにかく陸上機としての仕様を第一に考慮すること、そして構造を単純にして納期を厳守すること、の2点であった。自信満々の案を否定された菊原にも言い分がある。水上機でも高性能をだせるはずという自信もあった。
「しかし社長、十五試の要求は水上機です。陸上機と水上機は別物です。うまく設計すれば十三試大型飛行艇のように陸上機にも負けない性能がでるはずです」
「その高性能の水上機はそのまま陸上機にできるのか?どんだけ時間と手間がかかるか自分も分かるやろ。それに陸上機は数が全然違う。飛行艇とわけが違うんや。これまでうちは水上機しか作っとらんかったから誰も気にせいへんかったが、陸上機やるなら安く早う作る事も考えなあかん」
「陸上機を主とするなら水上機としての性能はある程度妥協する必要があるかもしれません。それにうちには陸上機の経験がありませんが」
「水戦に脚つけるのは飛行艇を陸にあげるよりは楽やろ。脚と海軍の方は俺がなんとかするさかい、この先も飯が食いたきゃ、うちが陸上機を作ることだけを考えや!」
菊原は陸上機前提の機体では要求性能を満たせない可能性を懸念した。しかしそんなものは海軍との交渉でどうとでもなると龍三は考えていた。実際問題、過去の機体において要求性能が全て満たされた事など稀であることを龍三は知っていた。
三菱が開発中の局戦は搭載するエンジンも同じで開発着手時期も大差がない。設計担当は零戦を設計した堀越技師らしいが、漏れ伝え聞いたその機体仕様は菊原の初期案と同様に凝りに凝った仕様だと聞く。それに今三菱は零戦の不具合対策と改良でてんてこ舞いらしい。十四試局戦の開発はこの先難航するであろう。それを見越して龍三は三菱から仕事をかっ攫う腹積もりであった。とにかく勝負は先に出したもの勝ちである。だからこそ納期の順守は絶対であった。
「あの三菱様と堀越技師に同じ陸上機の土俵でがっぷり四つに組んで勝つんや。おもろそうな話やろ?」
「まぁ社長がそうまでおっしゃるなら……正直、技術者として水上機より戦闘機をやってみたいのが本音ですし。三菱に一泡吹かせるのも面白いですね。いっちょやってみますか」
こうして海軍の意向を半ば以上無視し、会社の事情を最大限に考慮した計画がスタートした。
まず、目玉であったはずの延長軸と二重反転プロペラはあっさりボツ。中島飛行機が陸軍向けに開発中の重戦闘機(後の二式単座戦闘機)が大直径の空冷エンジンを機首に搭載するオーソドックスな機体構成にも関わらず、600km/hに迫る速度を出したとの情報を得た事もありこの構成で十分いけると判断された。
主翼も中翼形式から低翼形式にする。中翼形式は確かに空力の面で多少有利であるが、胴体の真ん中を主桁が貫通するため胴体構造や主翼取付が面倒になる。更に陸上機化すると脚を長くする必要があり、その強度や格納に苦労しそうであった。低翼であれば胴体は主翼に載せるだけであるし脚も普通にできる。もちろん主翼自体も最初から陸上機化を想定した構造と強度をもたせた。
操縦席は高速発揮のため機体に半ば埋め込んだファストバック形式も検討されたが、戦闘機は視界が重要であるため、零戦や一式戦で好評な涙滴型とした。
プロペラは効率を優先すると三翅式とすべきであったが、陸上機にした時の地面とのクリアランスを考慮して四翅式とした。
流石にオーソドックスすぎる機体では海軍に呆れられるため、新技術として自動空戦フラップだけは残した。もし駄目なら制御装置を外して普通の空戦フラップにしてしまえという程度のものであったが。
こうして出来上がった新たな機体案は、機首にダイレクトに火星エンジンと四翅プロペラを装備。涙滴型風防を載せた胴体は太い機首から機尾にかけて徐々に絞る形状。主翼は低翼配置。胴体下部中央に大きな浮舟と両翼に小さな補助浮舟を持つ機体となった。
つまり、ちょっと大柄な陸軍の二式単戦に四翅プロペラと浮舟を付けた感じの機体である。知る人が見れば友邦ドイツのFW-190に浮舟を付けた様と評しただろう。実に堅実なある意味平凡極まりないデザインの機体となった。
木型審査では審査官から陸軍も水上機を使うのかと皮肉を言われたものの特に大きな指摘も無く、堅実な設計のため試作機の製作もほとんどトラブル無く進み、早くも昭和十六年(1941年)十月には初飛行に漕ぎ着けた。
試作機は最高速度は490km/hと要求性能(572㎞)には遠く及ばなかったものの、大きな上昇力とオーソドックスな機体構成からくる信頼性や工夫された量産性が評価された。要求未達であった速度も水上機としては十分以上に高速であり、三菱が開発中の火星二〇系統への換装で今後の増加も見込まれた。
開戦時期が近づいていることから、海軍はすぐさま川西に増加試作を命じる共に部隊編成も急ぎ、開戦翌月の昭和一七年(1942年)一月に二式水上戦闘機として制式採用した。
ちなみに海軍では十五試水戦が開戦に間に合わない場合に備え、保険として零戦に浮舟を付けた水上戦闘機も計画していたが、幸いにも川西の開発が順調に進み、ある程度の性能も確認できため計画は立ち消えとなったと言う。
二式水戦は、開戦とともに水上機ならではの進出速度で各地の占領地域に素早く展開し、その強武装と上昇力で主に爆撃機の迎撃に活躍した。戦闘機相手の戦闘でも、バッファロー程度の二線級戦闘機が相手ならば互角、ハリケーンやP-40が相手でも戦い方次第では十分対抗可能であった。そうして滑走路の整備や零戦の配備が追いつかない戦線の穴をよく埋め、戦争序盤では海軍の目論み以上の活躍をした。
「あの、社長……高速水偵の方はどうしましょう?」
「……あれはまぁ、あのままでええわ。適当にやっときや。どうせ儲からんし。」
この後、もし世に出れば紫雲と名付けられるはずだった十四試高速水偵は本当に適当にダラダラと開発(している振り)が進められ、愛知の十四試水偵(瑞雲)が高性能を発揮したため昭和十七年(1942年)十一月には海軍より開発中止が言い渡された。




