始動
「条件は一つだけ。改造の設計は私にやらせてください」
「おいおいシズ、お前はもう80のじいさんだろ?こういっちゃ悪いがあんたは俺のじーさんが死んだ歳と変わらん。俺が命かける機体を老いぼれに任せる訳にはいかねぇぜ。残念だがその頼みだけは飲めねぇ」
声を荒げるビルを無視して菊原は静かにニックにたずねた。
「あなた達はこれから、この雷電を切り刻んで違うものに作り替えようとしています。おそらくエンジンをP&W R-2800あたりに載せ替えるだけのつもりでしょうが、オリジナルから変わる事に違いはありません。そのくらいならニック、あなたなら多分私に声などかけなくても自分で出来たはずです。私に声をかけたのは設計者の私に敬意を表すること、そして頼み事があるからですね」
「こいつぁもう俺たちが買ったんだ、どうしようと勝……」
「よせ、ビル!……その通りだ、シズ。ここにほぼオリジナルの雷電がある。我が国の戦闘機なら沢山残っているが、悪いが君たちは敗戦国だ。だからこの機体は君たちにとってはとても貴重なものだと思う。だがどうしても俺たちはレースに出たい。もし改造に同意してもらえないなら、F8Fが買えるくらいの金額で買い取ってくれる伝手を紹介してもらいたい」
じっと見つめるニックに菊原は優しく微笑んで答えた。
「この機体をどう改造しようと私は反対しません。安心してください。幸いこの国には他にも雷電がたくさん保存されています。しかも我が国より遥かに良い状態で。だからこの機体だけがとても貴重という訳ではありません。ただですね」
そこで菊原は言葉を切ると、笑顔を消してニックとビルの目を交互に見つめた。その眼差しと迫力はとても80歳の老人のものとは思えなかった。ビルがゴクリと唾を飲む音がガレージに響く。
「あなた達の根性が気に入りません」
「あなた達は飛べれば良いというだけで勝負に勝つことを端から捨てています。この雷電は戦闘機です。戦って戦って、そして勝つために生まれた飛行機なんです。それが例えレースであろうと戦う以上は勝つことを目的にしないといけません。そうでなければ、この子を侮辱することになる。だから私は生みの親として、この子には勝ってもらいたい。そのためには全力を尽くすつもりです」
二式飛行艇をめぐるあれこれを考えると菊原は暗澹たる気持ちになる。船の科学館の前に展示されている二式飛行艇は元々はノーフォーク海軍基地に保管されていたものだった。菊原が見学した頃は手を入れればいつでも飛行可能状態に戻せるほどしっかりと管理されていた。
その後菊原が返還活動を行った時は叶わなかったが、1979年(昭和54年)に米国海軍の予算縮小に絡んで返還されることとなった。当時は菊原も大変喜んだものだった。だが処遇について国内で散々揉めた挙句、最終的に船の科学館前に展示されることとなった二式飛行艇は野ざらしで整備もされないまま放置され、あっという間にスクラップ同然の状態になり果てていた。
今思えば二式飛行艇はあのまま米国のどこかで保管されていた方が幸せだったのだろうと思う。飛行機は空を飛ぶために生み出されたものなのだ。今この雷電を日本に還せたとしても、きっと辛い未来しか待っていないだろう。それよりは例え形を変えても空に還してあげた方がずっと幸なはずだ。そしてどうせ戦うなら勝たねばならない。もしここに社長が居たなら、きっと勝てと言うだろう。不思議な巡り合わせから菊原はそう確信していた。
「オーケー、シズがこいつを改造してレースに出すことに反対しねぇ事はわかった。でもよ、常勝チームの連中の機体は化け物揃いだ。奴らに勝てるほど改造するにゃあ金と技術が要る。俺たちにはそんなもんねぇぞ」
「ひと月待ってもらえませんか。日本でスポンサーや協力企業を募ります。必ず用意しましょう。設計についても強度計算とか技術的な部分はちゃんとした会社を使いますから安心してください」
「シズ、俺たちは遊びだからそんなに急ぐ必要はない。半年待つよ。良い報せを期待している」
「80歳のじいさんと思えないガッツだな。さっきは老いぼれなんて言って悪かった。許してくれや。ぜひ一緒にやろうぜ!待ってるぞ、シズ!」
日本に帰国した菊原はすぐ活発に動き始めた。80歳という年齢を感じさせないその姿は、まるで往時の川西龍三社長が乗り移ったかのようだった。
名機雷電の設計者というネームバリューと菊原自身の精力的な働き、それに折からのバブル景気も追い風となって、かつての雷電に関わりのある新明和工業や三菱重工、富士重工など多くの企業が資金提供と技術協力に快く同意してくれた。
しかし協力を受けるにあたり菊原が頑なに断ったことがある。それはチームや設計に誰も受け入れないという点であった。元々はニックらが細々とやっていた趣味に自分が加えてもらった形なのである。これに日本からたくさん人が加われば彼らの楽しみが台無しになってしまう。それに菊原自身にもやりたい事があった。船頭の多い船の大変さはYS-11で散々味わっている。菊原は今回ばかりは誰にもその楽しみを邪魔されるつもりは無かった。
菊原が雷電を改造してリノのエアレースに参加するという話は、色々な所から伝わった結果、日本で一時ニュースにもなった。意外な事に左翼勢力はこの件に関してあまり反対しなかった。旧日本軍の兵器が日本人自身の手で壊される(と彼らは表現していた)事に喜んでいる節すらあった。
むしろ反対は旧軍関係者から多く出された。歴史的な遺産として保存すべきだと言うのである。それに対して菊原は堂々と反論している。国内にある現存機すらまともに管理保存できていない自分らを棚にあげていることを非難し、何より飛行機は飛ぶために作られたのだから飛ばしてやることが幸せなのだと語った。
「あなた達は怪我をしてまだ生きている鳥に死んで剝製になれと言うのですか?姿だけ残っても鳥は喜びません。鳥は大空を飛べるから幸せなのですよ」
そう菊原は言い放ち、自宅に押し掛けた反対派を黙らせたという。
菊原は日本での活動の傍ら、自宅で久しぶりに製図版に向かって改造素案の図面を引いていた。ほとんと不眠不休だったが、まるで身体が60年前に戻ったかのように、どこからか活力が湧いてきた。そして2か月後、資金や技術面のサポートに目途がつくと書きあがった図面を抱えて再び米国へ渡った。
「ニック、ビル、すみません。約束を1か月も遅れてしまいました」
6か月で良いと言った期限にわずか2か月で話をまとめてきた菊原の行動力に彼らは驚かされたが、それよりも菊原の持ち込んだ改造案に度肝を抜かれることとなる。
「シズ、本当に良いのか?お前の雷電は原型を留めないくらい変わる事になるぞ」
「わりぃ、シズの本気を甘くみてたわ。本気で勝つつもりんなんだな。見ただけでブルっときたぜ」
菊原の改造案のメインはもちろんエンジン換装であるが、これがとんでもない物であった。ニックらは当然P&W R-2800かライトR-3350を選んでくると思っていたが、菊原が選んだエンジンはP&W R-4360であった。
菊原は量産された星型空冷レシプロエンジンとしては史上最大最強のエンジンを選択してきたのである。
R-4360は7気筒の星型エンジンを4列並べ28気筒としたエンジンである。当然その構成から恐ろしく巨大であった。全長2.45m、直径1.4m、そしてその重量は1.8tにもおよぶ。オリジナルの雷電が搭載している火星21型に比べると直径こそ近いものの全長で約600mm、重量に至っては1t以上重い。その巨体から4000hpを超えるパワーを発揮し爆撃機や旅客機に搭載されたが、すぐにターボプロップやジェットに取って代わられ歴史から消えていったエンジンである。まさにレシプロ時代の最後に現れたティラノサウルスの様なエンジンであった。
こんな化け物のようなエンジンであるが、既にリノではいくつかの機体がこのエンジンを使用して好成績を納めている。いかにアンリミテッドクラスが何でもアリかという見本であり、また勝つつもりならこのくらいのエンジンが必要という事でもある。
それにR-4360には利点もあった。まずは入手のし易さである。R-4360は多くの機体に搭載されたため、その生産台数は18,000基を超える。短期間で表舞台から消えたためデッドストックも多い。このため今でも程度の良い個体が安価で入手できた。消耗品の入手にも困らない。
また信頼性も優れている。R-4360は旅客機にも広く使われたため大馬力にも関わらず安定したエンジンとして知られていた。B-29に搭載されたもののトラブルが多く戦後も民生用途に広まらなかったR-3350とは訳が違う。もっともR-3350をF8Fに積んだRare Bearという化け物も居るが。
さて、菊原の改造案ではその巨大なR-4360を搭載するために胴体の方も大きく変更されていた。
エンジンの全長が火星よりはるかに長いため、操縦席の前にあった燃料タンクとオイルタンクを撤去し0番隔壁にエンジンを直接固定する。それでもまだ重心が合わないため胴体燃料タンク上にオイルタンクを移設し、巨大なオイルクーラーをP-51の様に胴体後方に設置している。もちろんオイルクーラーの設置に際しては境界層に注意して飛燕の様な失敗を避けている。ちなみに飛燕を設計した土井武夫はまだ存命であり、菊原が日本でオイルクーラー配置の事を話した所たいそう悔しがったという。
トルクもまた巨大であるためプロペラは二重反転式としている。強制空冷ファンは無いがギアボックスを内蔵した延長軸で直径3mを超す巨大な三翅のプロペラをそれぞれ逆向きに回転させることとなっていた。もちろんプロペラ端で音速を超えないようにギアボックスで減速されている。十四試高速水偵の頃は工作技術が低いため延長軸の振動や油漏れ、それに大きな馬力損失に苦労させられたが、今の時代ではそんなものに苦労させられる事は無い。
主翼もまた増大した重量と予想されるGに対応するため大幅に補強される。主桁の補強は当然として、20mm機銃と翼内燃料タンクの空間にも補強の桁を追加する。主翼外板も層流翼の効果が完全に発揮されるよう板厚を増して全て貼りなおし平滑にすることになっている。
二重反転ペラを採用したため垂直尾翼の拡大は行わない。風防は外形こそ雷電に似ているが窓枠や段差が少なく軽量で空気抵抗の少ない物に交換される予定である。
改めて見てみると、これで雷電と言えるのかという内容だった。しかし勝つためには必要なものである。雷電の原案を持ち込んだ時は社長に「ダボ」と言われたが、今回は許してもらえるに違いない。菊原はそう思った。
「基本構想は分かった。しかしR-4360は強力なエンジンで他でも使っているが……俺たちで扱えるのか?」
「元々R-4360は旅客機にも使うエンジンです。他のエンジンのように無理しなくとも4000hpを発揮できます。なので信頼性や耐久性に不安はありません。マニュアル通りの整備をしていれば問題ないでしょう」
実際、先にR-4360を使用しているチームはリノでのフライト前に整備を行う事が少ない。これは現場で整備するには手間がかかり過ぎる事もあるが、きちんと整備さえしていればいつでも100%の力を発揮できるという高い信頼性の証左であろう。
こうして二人の了解をとった菊原は本格的な設計にとりかかった。強度計算や空力計算は新明和工業、二重反転軸とプロペラの設計製作は三菱重工のお世話になっている。さすがに現代の技術で作られた二重反転軸は軽やかに回転し振動や油漏れなど皆無であった。
一方ニックらは米国でR-4360の調達を進めていた。そして設計図を受け取ると早速機体の改造に取り掛かる。胴体や主翼各部の強化、外板の貼り換えなどやる事は一杯あった。バブルに沸く日本から潤沢に資金が送られてくるため作業はいたって順調だった。
そして1987年春(昭和62年)、日本から送られてきた延長軸とプロペラを取り付け、ついに機体が完成した。FAA(連邦航空局)への機体登録も無事完了している。初飛行の日には日本からTV局も取材に駆けつけていた。菊原は81歳になっていたが、まだまだ意気軒昂だった。日本のTVスタッフからの戦争に絡めた意地の悪い質問も軽くいなしていく。
その機体は日本の国旗をイメージしてか赤と白のツートンに塗り分けられていた。純白の機体に大きな太陽が被さる様に、機首から操縦席後部にかけてゆるく弧を描いて赤く塗られている。
そして側面には、とんがり帽子を被ったビキニ美女が手から大きな雷を放つノーズアートが描かれていた。雷についてはニックが見た第三五二海軍航空隊の写真から思いついたものだという。ビキニの魔女については……
「さて機体の名前はどうしようか?」
「別にRAIDENでいいんじゃねぇのか?そういやRAIDENって何て意味だ?」
「確かサンダーボルトという意味だ。そうだな、シズ」
「最初にアリゾナで見た名前はJACKだったよな。カミさんと同じなんで良く覚えてるぜ。それに雷かよ。ますますカミさんと同じだな!Jackie Thunderなんてどうだ?」
「ビル……後ろを確認してからしゃべった方がいいぞ」
その後ビルは妻のジャッキーにぶん殴られた後、名前にLadyを付けることで許してもらった。こうして名前は「Lady Jackie Thunder」に決定した。
6月にはRARA(Reno Air Racing Association:リノ・エアレース協会)への出場登録も終えた。Race Number(機番)は、たまたま空いていた#54で登録した。雷電の最終型が四三型であったことから、後にマニアの間では雷電五四型、Jack54の通称で呼ばれることになる。