接触
本編七話の最後に名前だけ出たリノ・エアレースで戦う「Lady Jackie Thunder」のお話です。時代はバブル景気の頃になります。
1986年春(昭和61年)。その日、菊原静男は神戸の自宅でぼんやり庭を眺めていた。新明和工業は遠い昔に退職し、その後は講演や臨時講師などもしていたが、既に傘寿も迎えた今は日がな一日、本を読んでいるかぼんやりしている事が多い。たまに所要で上京した時は船の科学館の二式飛行艇や遊就館の雷電を眺めて過ごす事が楽しみだった。
そんな菊原の元にある日一通のエアメールが届いた。
それはカリフォルニアからだった。職業柄、海外との付き合いも多かった菊原だが差出人にも住所にも全く覚えがなかった。まだボケてはいないはずだがと首をかしげる。無視してしまっても良かったが代わり映えのない日常に飽きており、また何かに背中を押されるようなものを感じて開封することにした。中からは数枚の写真と5枚に渡ってビッシリと英文がタイプされた手紙が出てきた。
菊原はまず同封されていた写真を見て目を見張った。更に手紙を読み進める内に彼の表情はみるみると変わっていった。その顔はまるで新しいおもちゃを見つけた子供の様だった。
一か月後、菊原は手紙の差出人を訪ねてカリフォルニアに居た。
「ようこそミスターキクハラ、まさか本当に来てくれるとは思わなかった。ニコラス・タイラーだ。チームのチーフメカニックをやっている。ニックと呼んでくれ。そしてこちらがパイロットのウィリアム・アンダーソン」
「ビルだ。細けぇ事はいつもニックに任せてるんだが今回はニックがどうしても一度あんたと話したいって言ってきかねぇんだ。何とか助けてやってくれ。おっとこっちが妻のジャッキーだ」
「二人ともいい大人の癖に遊んでばかりの穀潰し共だけどね。この人なんてつい先日も死にかけた癖に全然懲りてないのよ。ようこそミスターキクハラ。ジャッキーよ。はじめまして。ご老体なのに遠い所さぞお疲れでしょう。まずは一緒に軽くお食事でもしてからホテルにお送りしますね。難しいお話は明日からにしましょう」
菊原は東京帝大卒の秀才であり、航空関係の仕事であったことから英会話にさほど不自由しなかった。それに経験者には分かるだろうがエンジニア同志の英会話は一般に比べて非常に意思疎通がしやすいのである。空港でニックらに出迎えられた菊原は翌日改めてニックの自宅で話を聞いた。
ニックらは他数名の仲間達とリノ・エアレースのアンリミテッドクラスに参加しているとの事だった。
リノ・エアレースとは、毎年9月にネヴァダ州のリノで行われる世界最大の飛行機の草レースである。その競技クラスの一つにアンリミテッドと呼ばれるクラスがある。ピストンエンジンのプロペラ機であれば、どんな機体でも出場できるという、その名の通り何でもアリのレースである。(乾燥重量4500lb=約2000㎏以上の規定は2005年以降)
出場機のほぼ全てが大戦中の戦闘機達であり、それを飛ばす者たちはWarbirds Jockeyと呼ばれ一大勢力を築いていた。規定を満たせば新開発の機体で出場しても一向に構わないがブーイングは避けられないだろう。
ニックらもそのWarbirds Jockeyである。昨年までP-51Dを改造した機体で出場していた。とは言っても弱小チームのため機体もほとんどノーマルに近く成績も振るわなかった。趣味でやっている事なので成績についてはさほど気にならなかったものの、だましだまし使っていた機体に昨年とうとう限界が来て墜落全損してしまった。幸い操縦していたビルは脱出して大事に至らなかったのだが懲りずに新しい機体での再挑戦を計画していた。
その機体というのが雷電であった。
昨年のレースで機体を失った後、彼らは米国アリゾナ州ツーソンにあるAMARC(Aerospace Maintenance and Regeneratin Center:航空宇宙整備・再生センター)で代わりの機体を探した。AMARCは第二次大戦後から現在に至る余剰航空機の保管と処理のための施設である。ガラクタの様な飛行機が広大な敷地に並べられている事から一般には飛行機の墓場として有名である。もちろんすべてがガラクタという訳ではなく将来使用する可能性のある機体はモスボール処理されきちんと管理されている。実際、日本の自衛隊もここから度々中古航空機を購入している。
もともと彼らはここで中古のF6FかF4Uをを入手するつもりであった。最近は液冷エンジンを搭載するP-51に使える程度の良いマーリンエンジンは入手困難となってきたため、高出力エンジンが今でも比較的容易に入手できる空冷エンジン機に乗り換えるつもりだったのである。
資金に余裕のない彼らは手間をあまりかけずに飛ばせる程度良い機体があれば思いここにやってきた。たしかにF6FやF4Uはたくさん見つかったが、全てガラクタ同然の機体ばかりだった。あわよくばF8Fが見つかればと虫の良い事を考えていたが現実は残酷だった。どれもエンジンは取り去られ、カバーも無しに放置されている。機首を下にして地面に立てられている機体も多い。仮にエンジンを手に入れても、これを飛べるようにするにはどれくらい手間がかかるか知れたもので無かった。
わざわざアリゾナくんだりまで来て手ぶらで帰るのが癪だった彼らはAMARCの倉庫を物色することにした。そして保管リストの中にJACKと記されたモノを見つけた。ツールに分類されたそれの説明には簡潔にこう書かれていた。
「JACK:日本製、分解状態、エンジン付」
それは倉庫の一番奥でいくつかのパレットに載せられ保管されていた。被せられた防水シートには長い間誰も触れていないのか砂が積もっている。多少古くても日本製の大型ジャッキなら機体の整備にでも使えるかもしれない、そう考え彼らはシートを取り払った。
だがシートの下から出てきたのは分解梱包されたプロペラ機だった。それは戦後フィリピンで鹵獲されテストのために米国本土に送られたものの、そのまま忘れ去られていた雷電であった。
「……おいおいニック、俺は夢でも見てるのか?こいつベアキャットだよな!」
「残念ながらお目当てのF8Fじゃない。ホワイトスターは描いてあるが、そもそも我が国の機体ですらない。大戦中の日本の戦闘機だな」
「日本の戦闘機だと?」
「すまない、JACKという名で早く気づくべきだった。どういう訳かリストでツールに分類されていたせいで分からなかった。きっとそのせいで今まで誰も気付かなかったのだろう。あぁ、JACKと言うのは連合軍の付けた識別コードだ。確か日本名はRAIDENとか言ったはずだ」
「知っているのかRAIDEN!」
「?」
「すまないニック、なぜかそう言わなきゃならん気がしただけだ。気にするな……と、とにかく大戦中のヤツならWarbirds Jockeyどもに文句は言われねぇ!こいつにしようぜ!」
早速彼らはAMARC事務所に戻り、素知らぬふりでで雷電の購入手続きを済ませた。価格はわずか300ドルだった。完全にガラクタのツールとして扱われていたらしい。そして2週間後、ニックのガレージに雷電が到着する。輸送費の方が本体の数倍かかったが、それでも元々考えていた費用より随分と安く済んだためビルの妻のジャッキーはご満悦だったという。
そして今、菊原はガレージに置かれた雷電の前に居た。機体はまだ手付かずのままAMARCで発見された時と変わらず分解されパレットの上に置かれている。菊原はまず胴体にある銘板を調べた。
『昭和20年1月24日、鶉野製作所製ですか……中島や三菱でなく、本家の川西製じゃありませんか。しかも製造日が社長の命日とは、やっぱり運命でしょうかね……』
1時間ほどかけて一通りの見分を終えた菊原は後ろで黙って見守っていたニックらに向き直った。
「どうだミスターキクハラ。まずは率直な意見が欲しい」
「二人とも面倒なので、これからはシズと呼んでください。まずこの機体は雷電三二型乙、あなた達がJACKと呼んだ戦闘機で間違いありません。1945年製ですから戦争の最後の年に生産されたものです。部品はニックの見立て通り一通り揃っています。エンジンはオーバーホールすれば使えない事も無いでしょうが……残念ながら消耗部品がもう手に入らないし、例え動かせたとしてもこのエンジンではレースに勝つのは厳しいでしょう。機体や翼はフレームに切断や折れも見当たりません。超音波で疲労具合を調べてみないと分かりませんが、多分使えるでしょう」
「そうか!そりゃいい!では早速……」
「待ってください。今回の件で私は出来る限り協力しましょう。私蔵の図面やマニュアルもあります。それも提供しましょう。米軍の公開情報と併せれば修復や改造には十分な資料となるでしょう。君たちの目的に対して今後もできるだけ協力しましょう。金が必要なら日本でスポンサーを募っても良いです」
「シズ、願ったり叶ったりの話だが……多分条件があるんだろう?」
「話が早いですね、ニック。条件は一つだけ。改造の設計は私にやらせてください」