タクシードライバー ※上記のCMとは関係のない、コメディー小説
ドキュメント 新宿 立ち食いそば屋②
「立ち食いそば屋はねえか〰っ」
今日も、なまはげのように新宿を徘徊し、青梅街道の路地という路地に入り込んでは探索していた。
昼は当にすぎた3時頃、初台方面に下ったところで、蕎麦つゆのかほり・・・。
店の看板は、板地に竹の枠で囲われ、緑で「ちあき庵」と、趣きがある。
外装から見て、最近出来たらしく新しい。
中をちらりと覗くと、奥行きもあり、カウンター席だけでなく二人掛け席もある。
隣の客と肘がぶつかり合う心配もなく、ゆっくりとそばを堪能できそうだと入店した。
客は私だけ。練り歩きすぎて胃が絞られるように腹が減り、スタミナを欲す。
少々高めだが、ざるそばとカツ丼セットを注文しようと、カウンターから厨房に向かって「お願いします」と声をかけた。
「はい、ご注文は」とさっと出て来た店員と目が合うと、視線が釘付けとなってしまった。
年齢は20代後半から30代前半の女性。
ありきたりな表現となってしまうが、息を呑むような美しさと気品に満ちていた。
白い三角巾型帽子を被り、透き通るような色の白さ、優雅な居ずまいに目を奪われる。
かといって、動作はゆるりとしている訳ではない。
なんなんだっ、この小津安二郎作品に出てきそうな、庶民派の中であっても、煌くような美貌を放つ女性は・・・。
目は大き過ぎず、穢れを知らぬような眼差しがなんとも涼しげで、吸い込まれるよう。
高級クラブのママとは違って、薄化粧でありながらも健康的で、必要以上な自己主張を感じさせない慎ましさともいうべきものがあった。
何かの事情で、そば屋に潜り込んでいるかと思わせるほど、意識をごっそり持っていかれた。
「どうされました?」
見つめすぎて、女性店員に声をかけられてしまった。
「ああっ、そうでした。ざるそばとカツ丼セットをお願いします」と注文を急ぐ。
女性店員は微笑んで、柔らかい上目遣いに変わった。
「ご用意できましたら、お声がけをいたしますので少々お待ち下さい」
女性店員は、こちらに頭を下げると、さらりと背を向け調理に入った。
厨房に近いカウンター席に座り、後ろ姿を眺める。
背筋正しい凛々しさは、何か深い事情があるのではないかと勘繰ってしまう。
誰にでも事情はあるものだ。しかし、美しければ美しいほど、それに比例して、とてつもない事情を抱えて、この新宿の立ち食いそば屋で働いているのではと想像が膨らむ。
やめよう、それこそゲスの勘繰りというものだ。
知らぬ顔で通すのが人の道だと、入口から見える通行人に目を向けた。
まもなく、「ざるそばとカツ丼のお客様」と呼びかけられた。
振り返り、カウンターからお盆を手渡される際に、再び目が合う。
どう見ても、非日常的だ。
客との境となるカウンターの奥にいる女性店員は、スクリーンの中にいるかのようで、2,3度目を瞬かせ、現実を確認する。
ふと、ドッキリカメラでも仕掛けられていて、私が知らないだけで、本当は有名な女優さんが潜り込んでいるのではと周囲を見渡した。
「どうなさいました?」
「いえ、何でもありません」
我に返り、お盆を受取り、元のカウンター席に座って食べ始めた。
余り興味本位でじろじろ見てはいけない、ドッキリであっても知らぬふりをすればいいことじゃないか・・・。
気を取り直して、わさびをそばに添え、箸で掴んでつゆに浸し、するっと啜る。
ふわっと広がる、蕎麦のかほり・・・。
歯ごたえも、そこらの安い蕎麦ではない、恐らく二八そばだっ。
美味い・・・。
こんなに美味いなら、カツ丼セットにせずに、ざるそば2枚にすれば良かったと後悔した。
わさびも、西洋わさび主体のキレのないものではない。純日本産の本わさびだっ。
辛味が舌先から鼻につーんと抜け、微弱な電流が後頭部から前頭葉に伝わってゆく。
バツゲームのように大口を開けて、うわーっと周囲に喚き散らしてアピールするものではなく、おっと来たなと片目をつぶる刺激。
立ち食いそばで、こんな本格的なものが食べられるなんてと喜びが広がる。
しばらくすると、店の自動ドアが開いた。
振り向くと、タクシー運転手だろう。帽子を被ったまま、深緑のスーツを着た50代後半から60代の客。
背は小さく、ややふくよかな体型。よく見かけるタイプだが、なんとなく赤ら顔だったことが印象に残った。運転手も大変だなと思いながらも、私は再びそばと向き合う。
カツ丼そっちのけで、箸がとまらない。
私の後ろを、さっきの客が通りすぎ、厨房の前のカウンターに向かった気配があった。
運転手らしき客は、鼻が詰まったような甲高い声で早口で注文した。
「いつもの」
常連なのだろう、気さくに品のある女性店員に声をかけた。
ドッキリじゃないんだと、わずかに安堵してそばを啜る。
「いつもとは、なんでしょうか・・・」
「いつものだよ」
早口の後、独特の間が空いた。
背中越しに聞えた会話に、箸を止めて振り返る。
タクシー運転手は、カウンターに左の肘を乗せ、斜に構え短い足を組んでいた。
得意げにもう一度、ヘリウムガスを吸った後のような声で「いつものだよ」と早口で言うとニヤけて女性店員に、空いている右手を挨拶するような手付きで呼びかける。
古臭い気取り方だなと、今度は女性店員に目を向ける。
招かざる客が来たかのように無表情で毅然とした態度のまま「いつものとは何でしょう?」と感情を殺して繰返す。
恐らく最上級のお気取りポーズなのだろう、運転手は「いつものったら、いつものだよ」とヘリウムガスの早口で繰返せば、3秒ほどの間を空けて「いつものとは、何でしょうか?」と抑揚をつけてゆっくりと返す。
ふうと、運転手は息を吐いた後、めげずに「だから、いつものだよ。いやだねえっ」と早口は続き、帽子を取って白髪混じりのパーマ頭を整えた。
おばさんみたいなパーマを当て、言葉遣いも微妙におかしい。ヤバいおっさんか・・・。
女性店員は諦めたのだろう、はいとも返事もせずに厨房の中に戻ると、何かを持ってやってきた。
「お待ちどうさま」
カウンターに置かれたものは、水だった。
「そうだね。まずは水がなけば始まらない・・・。でっ、お後は、いつもの、いつものように」
キーホルダーを指にはめてクルクルと回し、より一層ダンディズムを演出し始めた。
傍から見ていると、気の毒なほどボロい。
男気を強調しすぎて大丈夫かと心配になる。
昭和の日活俳優のノリが、今ここで再現されているようにも。それとも、宝塚の男役を意識しているかのようにも見えなくはない・・・。
とはいえ、5回もこんなやり取りをして、いい加減、まともな注文はできないもんかと、見ている私ももどかしく、そのしつこさに猟奇的なストーカーじゃないのかとも背筋がひやりとしてきた。
女性の冷ややかな接客態度とも辻褄が合う。
昨今のニュースでも、70代の男性が、喫茶店の若い女性店員にラブレターを無理矢理手渡し、なかなか返事がないと、執拗に付きまとって返事を求め続けた。
挙句、ストーカーとなって、昼夜問わず追い回すという事件があった。
更には、80代の男性が、結婚相談所で知り合った40代女性に付きまとった事件。
これまた年金暮らしで、たっぷりと有り余る時間を駆使し、自らの力量を持って探偵調査。
女性の行動を全て把握していると告げ、「愛しているんだ〰ぁっ!」と抱きついて、即御用になった等々、枚挙に暇がない。
話は戻る。
タクシードライバーは、苦い笑いを浮かべつつ、まだ言う。
「いつものぉ〜っ」
今度は甘えるようなヘリウムガスの声帯で、冷やかしにも似た様子。
実はオネエかっ・・・。
女性店員は、再び3秒ほど客を無表情のまま眺めた後、静かに言葉を返す。
「おはぎですか・・・」
「えっ、おはぎもあるの?」
「ありませんけど・・・」
店員は、客の言葉を遮るようにヘリウムガスの早口ドライバーを封じた。
こうなってくると、意地と意地のぶつかり合いの様相を呈してきた。
これ以上、緊張状態が続くと、そのうち運転手が逆上してグレムリンのように襲いかかるのではと、私も覚悟を決めた。
と、いうよりも、止められるのは必然的に私だけしかいない。蕎麦も喉に通らない。
美人の店員さんにも、苛立ってきた。
「いつもの」と言われたら、「すいません、忘れてしまいましたので、ご注文を頂けませんか?」と問えば済むことじゃないかっ・・・。
全く、面倒な状況になってきたもんだと、私の眉間にも力が入る。
あの小男が、カウンターによじ登ったところを、お盆で叩くか。もしくは、箸でケツを刺すか・・・。
いや待てよ、人は見かけによらない。小兵は跳躍力があるから、ピョンピョン飛び跳ねるかもしれないぞ。ガスを吸って声高な早口だから、俊敏な動きをみせるかもしれない。
それこそ、グレムリンじゃないかっ!
違うっ、ありえない。
もしかしたら、足にタイヤが付いていて、ホッケー選手のように突っ込んで行く可能性。これはもっとありえないか・・・。
まあ、いずれにしても飛び掛ったら、私の役目は引き剥がすか、水をぶっかけてやる。
私は、そばが食べたいだけなんだっ、カツ丼も残っているんだぞ・・・。
嵐の前の静けさとは、このことなのだろうか。
シミュレーションをしている間も、沈黙が続いている。
私は、事が起こる前にと、水を飲み干す。
コップを持って、女性店員と深緑のタクシードライバーの間に「すいません、水を下さい」と割り込む。
二人は私に意識を奪われたようで、同時に私に注目したが、すぐに二人は向き合う。
「いつもの」とドライバーが、甲高い声で早口で言い出した。
私は、秀麗な女性の表情を見逃すまいと、咄嗟に目を向けた。
「もうやめて・・・」
スクリーンの一場面を見ているかのように、淡々と悲しげに告げる中にも美しさが際立つ。
対するタクシードライバーは、甲高く蟹股で息巻いた。
「何を言ってんだいっ。あんたが心配だから、こうやって毎日客の振りして来てやってんじゃないかっ」
事情は良く分からないが、穏やかじゃないことだけは確かなので、私は割って入る。
「あの〜っ、店員さんも困っているようなので、ちゃんと注文された方が宜しいんじゃありませんか?」
小太りの運転手が、なんだと私を睨みつけ、ガス声で捲くし立ててきた。
「うるさいねっ、この唐変木っ!あんたに私とこの子の何が分かるってんだいっ」
「いやっ、運転手さんが怒鳴るから。まあ、ここは穏やかに・・・ねっ」
「ねっ、てなんだいっ、猫でも抱いておとといきやがれってんだよっ。訳も分からないくせに、口挟んでくるんじゃないよっ。こんな昼日中から、粋に蕎麦ってガラじゃないだろうっ、あんた鏡を見てごらんよ。湿気たモナカみたいな顔しているからっ。あっ・・・もしかして、あんたストーカーだねっ!」
「ちっ、違うっ!今日初めてこの店に入ったんだっ」
ストーカーかと疑っていた男に、今度はいきなり私がストーカー疑惑返しを喰らい、小太りの男が問答無用と飛び掛ってきた。
「つかまえてやるぅ!」
「放せ、グレムリン野郎っ、うっ!」
「あっ、あんた、私の胸を触ったねっ!チカン、チカンよっ」
慌てて、類稀なる美貌を持つ店員は、カウンターを潜ってこちらに出てきた。
「お母さんっ、この人じゃないよっ」
お母さん?女っ?。
私は何がなんだか分からなくなった。
小太りの男と掴み合いになり、掴んだところがゼイ肉かと思いきや、女性の胸、らしい。
なんとも言えない渋い触感が残って、溜まらずグーパーを繰返した。
この美人は、このおじさんの様なおばさんの娘なのか・・・。
「本当に申し訳ありませんっ」
女性が平謝りで、私に謝罪をしている後ろで、母親を語る男装おばさんは、「いやだよ、ブラジャー付けて来れば良かったよ」と勝手に嘆いている。
随分と下の方を掴んだつもりだったから、腹かと思っていたのにと納得いかない。
何だか臓腑の奥がぞわぞわして、胸やけがしてうつむいた。
こういう面倒な時に限って、店の入口が開いて客が入ってきたようだ。
「どうしました?」
別の客が首を突っ込んできたなと、ぱっと振り返ると、警察官が立っているじゃないかっ!
迷惑な事に、美人の母親が緑のタクシーの制服で、ルーキー警官に走り寄る。
「あのジャガイモみたいな男に、大事な胸を触られたのっ」
「違うって!そのおじさんみたいなおばさんが、私に飛び掛ってきたからぁっ」
何が嬉しくて、ゼイ肉だか分からない胸を掴まなければならないんだっ。
私は必死の抗弁をしていると、この母親の娘である女性が、警官にあらましを説明した。
ここ3ヵ月、妙な客が、この美人店員を付け回していたらしい。
母親が変装して店に立ち寄り、客がストーカーかどうか本人に確認するために、いつもの奴かと、合言葉として「いつもの?」と聞いていたという。
そして、少しでも娘をなごませようと、日々服装を変えて男の振りをしておどけていたという・・・。
警官は、美人店員に見とれた後、はっと我に返って納得して帰る。
と思いきや、「そうですか・・・まあ、一応念のために、そちらの方も事情聴取しましょう。まあ、そこへ座って下さい・・・」と勝手に場を仕切りだした。
私は何もやましい事はない。こっちの方が被害者だと一から説明してやると腹を括る。
「だから、この店に入ったのは初めてですよ。ざるそばとカツ丼セットを注文して、そこで食べていたら、このおじさんが・・・」
「おじさんじゃないよっ、おばさんだよっ」
変装した母親がヘリウムガス声で口を挟んできた。
警官は私が座っていた場所に目を向けた。
「では、お食事中だったんですか?」
「はい・・・まだカツ丼が残ってます、勘弁して下さい」
私は非常に不快な顔で、警官を見つめた。
「カツ丼・・・丁度いいじゃないですか、どうぞ食べながらで結構ですよ」
警官は妙な笑みを浮かべた。
それを見ていたおばはんが、「あんた、うまい事かけたね〜っ。犯人とカツ丼って、ご飯と味噌汁みたいなもんだからねっ」と警官を褒めそやす。
「いや〜っ」と警官は照れ隠しに制帽を直す。
「照れんじゃねえーよっ、俺は犯人でもねえっ!ゼイ肉掴んで捕まったんじゃ、たまんねえーよっ。そんなことより、まぎらわしいんだよ、なにもかもっ。訳分かんねーっ」
「あっ、この犯人、わたしのお乳をゼイ肉って言ったわよっ。名誉毀損よっ」
おばはんが、急に胸を隠して警官に寄りかかって、女を出してきた。
きりがないから、このおばはんの娘に助けを求めようと顔を見た。
「だからぁ〜っ、こちらの美人の店員さんが」
「あーっ、うちの娘を美人って言った。こいつはホレてんだよっ。やめとくれっ」
私としても、否定すればなんだか失礼な気もするし、かといって肯定すればややこしくなると、警官の動向に目を向けた後、おばはんに警官を見るように首で合図した。
「えっ?あらいやだっ、こっちは真っかっか。あたしだって女なんだよっ、お巡りさんっ」
「じゃかーしいっ!」
荒ぶる私を宥めようとしたのか、美人店員が、私の左の耳元にすっと近づいた。
間近に見る女性の目に、私の胸は張り裂けんばかりにどきどきと高鳴り、赤面して言葉も出てこない。
女性は3秒ほど見つめた後、囁いた・・・。
「カツ丼、作り直しましょうか?」
私に負けじと「本官も、カツ丼頂きますっ」と敬礼。
「じゃあ、あたしも」
「おじさんも食うのかよっ」
「おばさんだよっ!」
(終)
貴重なお時間を割いて御拝読頂き、誠にありがとうございます。
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掌編小説「小池豊教授の発見」も、お時間のある時にお読み頂けましたら幸いに存じます。