プロローグ 神格を持ちし少年は不可思議の夢を見るか
処女作
遠い昔、少年は不思議な夢を見た。
高校生位にまで成長した「自分」が、日本ではなくましてや地球でもない、どこか異界の地で相対する者を倒していく夢だ。
しかしそれは、夢でありながらもどことなく現実味を帯びていて、その夢は成長した自分視点ではなく第三者が傍観しているような、どこか映画を見ている感じだった。
そしてそこには、次々と襲いかかってくる敵を倒していく「自分」がいて、それをみて感動している自分がいた。共闘していた仲間らしき人も、次々と倒れていくのを視界の端にとらえていたが、そんなことを気にする余裕などなかった。「自分」の勇姿をみつめることに夢中だった。
泣きながら敵を殺す「自分」が、血だらけになりながら戦う「自分」が、その全てがかっこよく見えた。
しかしこれは夢だ。
夢というものは必ず終わりがある。その夢の話が区切りの良いところで終わることもあれば、キリの悪いところで突然終わってしまうこともある。今回は後者の方であった。
諺に、『釣りのがした鯛は大きい』とあるが、まさにそれだった。夢から覚めてもあの夢が忘れられず、その日の内に親に、学校では友達に、そして近所のおじさんに、出会ったすべての人に夢のことを話した。この感動を自分と共有してもらいたかった。
その日からあの夢をもう一度みたい、と寝る前にいつも願うようになった。しかし、その願いは叶えられることなく、年月だけが過ぎていき、夢のこともいつしか忘れてしまった…………
そして現在彼は夢をみている。
遠い昔にみた、あの夢を。
そして彼は夢の中で恐怖した。
少年だった頃の自分に。
あの頃の自分はなにをみていたのだ、と。
気でも狂っていたのか、と。
これは戦争の夢だ。
戦争、と言葉にするのは簡単であるが、行動に移すとなると周囲に甚大な被害をもたらす。多人数対多人数の意見の押し付けあい。自分側の主張を押し通すための最終手段。
得をするのは「使う側」の人間であり、戦う側、つまり「使われる側」は、死のリスクもあるうえに損しかしない。
よくできたシステムである。
少年の頃の自分は何をみて「使われる」自分をかっこいいと思ったのか心底疑問である。
そんなことを考えているうちに見覚えのある光景をみる。
そうだ、ここで目が覚めたんだ、と彼は夢の中で悟った。そして彼は、ついに少年の頃にみることのできなかった夢の続きをみることができた。そして彼は…………
ピピピッと、目覚ましの音がきこえる。
時刻は現在六時半。
カーテンの隙間からこぼれでる太陽の陽が目の辺りに当たってとてもまぶしい。
下からは祖母が朝食の準備をする音が響いてくる。
青年は朝のまどろみに身をまかせながら、先ほどみていた夢の内容を思い出そうとする。
(確か何かすごく重要な………)
だが、その思考は母の
「朝御飯できたよー」
という声でどこかへふきとんだ。
急いで制服へと着替え、下へ降りて朝食を摂る。
そして昨日と同じように、もう見飽きた学校へと登校するのだ。
あと1ヶ月もすれば夏休みだ、とそんなくだらないことを口にしながら通学路を歩く青年。
その青年の名前は結月咲といった。