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わけもわからず異世界へ

 俺、井上聡一郎の日常、平凡な高校生活は今ここに崩れ去る。

 四限の数学の時間、トイレのために教室を離れてほんの数分くらい。教室のドアを開けた先には異常な光景があった。


 誰もいない。それだけならまだ理解のしようもあった。だが、床に描かれた赤く光り輝くソレの異常性に呆気にとられる。

 それはまさしく魔法陣。その幾何学的な模様の類似物を漫画やアニメといったメディアで幾度となく目にしてきた。


「ありえねぇ……」


 誰にともなく独り言つ。消えたクラスメイトたちとこの魔法陣はおそらく何かしら関係しているのだろう。根拠はないが、そう考える他に説明のしようがない。


 魔法陣に近づき、よく観察する。そういった方面の知識を残念ながら持っていないので、観察したところで何かがわかるわけでもないのだが。

 何気なしに魔法陣の一部に触れる。その刹那、魔法陣の輝きが異様に強くなった。


「なっ!?」


 驚愕し、慌てて手を放す。そんなことはお構いなしと言わんばかりに魔法陣の輝きは一層強くなる。その強すぎる輝きに思わず目を閉じる。遅れて、引き込まれるような感覚。


(何が……どうなって……!!)


 身体が浮遊感を覚える。意識を保っていられるのはそこまでだった。




~~~~~~~~~~~~~




 目覚めた俺はゆっくりと身を起こす。緩慢な意識のままで、周囲を見渡す。自分がいるのはまったく見覚えのないところであるようだと瞬時に認識。意識を失う前のことを思い返す。


 消えたクラスメイトたち。赤く輝く魔法陣。そして魔法陣に引き込まれていく感覚。そこまでははっきりと憶えているのだが、自分がここにいる理由は導き出せそうになかった。


(ここは?)


 改めて周囲をぐるりと見渡す。そこは何と言うか、お粗末という言葉がしっくり来る部屋だった。横たわっていたベッドの他には少々の家具が置いてあるのみで、なんとも殺風景である。ベッドもあまり良い品質ではなさそうだ。ついでに言うと、全体的に少々小汚い印象を覚える。


 今はとにかく現状を把握しなくてはならない。ベッドから立ち上がり、部屋を出る。


「あっ、起きてる!」


 部屋を出てすぐに声のした方に目を向けると、金髪の快活そうな少年がそこにいた。一目見て日本人ではないとわかった。ますます今自分が置かれている状況がわからなくなる。


「なあ、ちょっと聞きたいことが……」


「せんせー! お兄ちゃんが起きたよー!」


 少年は、そう言ってどこかへと走って行ってしまう。ボリボリと頭を掻き、仕方なしに少年の後を追うように歩き出す。


 そうして間もなく、おそらく少年の言う『先生』と対面する。


「おはようございます。御身体の調子はいかが?」


 女性は柔和な笑みを浮かべながら挨拶してくる。

 綺麗な人だ。背の高さはジャスト百七十である俺よりも少し低いように見えるし、おそらく百六十後半といったところだろう。年齢はおそらく二十歳前半くらいか。紺色を基調とした服は派手さこそないが、女性の雰囲気と相まって、見る者に安心感を抱かせる。腰まで届く長い金髪は陽光を反射し、何とも言えない美しさである。エメラルドのような瞳に優しさを宿していた。


「おはようございます。調子はばっちりです」


「それはよかった。本当にびっくりしたのよ? 院の前にあなたがぐったりと横たわっていたんだもの」


 どうやらこの人は俺を介抱してくれていたらしい。それについては感謝のしようもない。


「俺は井上。井上聡一郎と言います。介抱していただいたみたいで本当にありがとうございました」


「ふふっ、どういたしまして。私はラティと申します。この孤児院の院長を務めているわ」


 互いに自己紹介をする。ラティという名は日本人ではまずありえないだろう。というか金髪碧眼の日本人なんてそもそも存在しない。


「それにしても聞きなれない響きね……イノウエソウイチロウ……黒髪黒目というのもなかなかお目にかかれないし、異国の方かしら?」


 井上聡一郎という名の響きに聞き覚えがない? 黒髪黒目がなかなかお目にかかれない?

 ここが日本であるならそんな言葉が出てくるはずがない。


「ここは日本じゃないんですか?」


「二ホン?」


 キョトンとした顔で首を傾げるラティさん。その仕草は妙に可愛らしいが、今はそんなことを言っている場合ではない。この反応、まさか日本を知らない?


「……自分でも馬鹿な質問だとは思いますが、この国の名は?」


 目をパチクリさせるラティさん。無理なからぬ反応だろう。どこの世界に自分がどこの国にいるのかわからない馬鹿がいるというのか。


「エルレーン王国よ……失礼かもしれないけど、もしかして記憶喪失?」


「そういうわけではないと思うのですが」


 何かを忘れている可能性もないとは言い切れなかったので、あえて曖昧な言い方をする。しかし、エルレーン王国か。全く聞き覚えがない。


「馬鹿ついでに……この王国があるのはヨーロッパ? それともアフリカ大陸辺りですか?」


「ヨーロッパ、アフリカ……聞いたことないわ。エルレーンはアカシャ大陸の国」


 俺の言葉に困惑しているラティさん。そして、アカシャ大陸という俺の知らない大陸。これまでの経緯を頼りに、俺は一つの推論を立てる。


(これはいわゆる『異世界』とやらに来てしまったんじゃなかろうか?)


 あまりに突拍子もない推論。しかし、この現状においてはそれ以外に何も思いつかないのだからどうしようもない。

 以前読んだ漫画にも似たような展開のものがあった。俺と同じくらいの歳の主人公が魔法陣によって異世界に召喚され、そこで目覚ましい活躍をするという感じの漫画で、それなりに面白いと思ったのをよく覚えている。


(いったいどうしろってんだよ……)


 心の中で愚痴を零す。俺の推論が正しかったところで、はいお終いとはならないのだ。あの漫画の主人公には世界を救うという明確な目標があった。対して、今の俺は何でここにいるのかも何をするべきなのかもわかっていない。そして、当然というか帰る方法もわからない。わからないことだらけで頭が痛くなってくる。未知の状況に動じずにいられるほど齢十七歳の高校生は立派ではない。


「はぁ~……」


 へたり込んで、大きく嘆息。ふと家族の顔を思い浮かべる。万が一、もう会えないなんてことになったら……そう考えただけで、不安や焦りといった暗い感情が胸を埋め尽くしていく。


「駄目よ」


 へたり込んでいる俺の正面に屈んで俺の顔を見据えるラティさん。


「ため息なんてしちゃ駄目。幸せが逃げちゃうわ」


 相変わらず柔和な笑みを浮かべながらそんなことを言う。あまりに真剣な顔をして言うもんだから少し可笑しく感じる。そこに嘲笑の意味はもちろんない。


「いろいろと訳ありみたいだけど大丈夫。私も力になるから」


 ラティさんはギュッと俺の手を握り締める。気恥ずかしさもあったけど、それ以上に人の優しさが身に染みるようで。俺の不安や焦りはいったん引っ込んでくれた。


「重ね重ねありがとうございます」


「いいのよ。人間、困ったときは助け合い。それが普通じゃない?」


「ははっ、今は助けられてばっかですけどね俺」


 それでも、いつかは必ずこの恩を返そうと誓う。


「とりあえずこちらにいらっしゃい。ここで話すのもなんだしね」


 ラティさんに促されるままに後に続く。


~~~~~~~~~~~~~


 案内された広間は子供たちの喧騒に包まれていた。数十人はいるみたいだが、俺よりも年上であるのは少なくともこの場にはラティさん以外にいないようだ。俺のような黒髪の子はラティさんの言葉通りというか、一人もいなかった。


「よー! 大丈夫か兄ちゃん!」


 さっきの快活そうな少年がこちらに気づくや否や走り寄って来た。


「ああ、おかげさまでな」


「行き倒れなんて兄ちゃんも苦労してるんだねー! あっ、俺はカッシェ! よろしくな!」


 元気が有り余ってるようで、いちいち声が大きい。元気なのは良いことだと思うけど。


「俺は井上聡一郎。よろしく」


 そう言って、カッシェと名乗る少年の頭をポンポンと叩く。カッシェも満更でもないといったように笑ってくれた。


「兄ちゃんどこから来たの~?」


「としいくつ~?」


 カッシェに続いて、広間にいた他の子供たちも俺の元に駆け寄ってきて、一斉に話しかけてくる。こういうのは慣れていないので少し慌ててしまう。


「ふふっ、人気者ね」


 くすりと笑うラティさんにつられて俺もつい頬が緩む。来たばかりの俺が言うのも何だと思うけど、ここは良いところだ。うん、間違いない。


 しばらく子供たちと戯れた後、俺とラティさんはゆっくりと話をするため椅子に腰掛けた。


「さて、まずは何から話しましょうか?」


 ラティさんから話を切り出してくる。ひとまずは先ほど立てた推論を語ってみることにする。


「あくまで推測でしかないんですけど、多分俺はこことは違う世界から来ました」


「こことは違う世界?」


「はい、俺のいた世界にはエルレーン王国もアカシャ大陸も存在しません。この世界に俺のいた世界にあった大陸がないように」


 ラティさんは神妙な顔で俺の話を聞いている。何か思うところがあるのだろうか。俺は話を続ける。


「なぜこちらの世界に来てしまったかはわかりません。おそらくあのとき突然現れた魔法陣が関係しているとは思うんですが」


「なるほどね……」


 こんな突拍子もない話をラティさんは真面目に聞いてくれている。それが少し不思議だったから問いかけてみる。


「あの、馬鹿げた話と思わないんですか?」


「そんなことないわよ。ちょっと心当たりがあるの」


「心当たり?」


「ええ……一ヶ月前のことなんだけど、王都の方で勇者様方が異世界から召喚されたらしいの。そのことと何か関係あるんじゃないかしら?」


「異世界から召喚……もしかしたらその勇者一行とやらを俺は知っているかもしれません」


 勇者かどうかはともかく、異世界から召喚というところに思い当たる節がある。俺の前に消えたクラスメイトたち。きっと、あの魔法陣によってこの世界に召喚されたのだろう。異世界の勇者として。しかし、そうなると不可解な点がある。クラスメイトたちが消えたのは、俺が魔法陣に引き込まれるほんの数分前のことだった。だが、ラティさん曰くあいつらがこっちにやって来たのは一ヶ月前。あまりに時間がかけ離れている。それに、俺だけ違う場所に飛ばされているのも説明がつかない。とは言え、今縋ることができるのはその情報のみ。


「あなたも勇者様だったりするのかしら?」


「それはわかりかねますが、きっと違うでしょう。何か特別な力を持っていたわけでも特別な力を得た感覚もありませんし」


 事実、俺の身体には何の変化も見られない。勇者ならもう少し何かあってもいいというものだろう。


「とにかく確かめてみる必要がありそうですね。王都というのはどちらに?」


「西の方よ。ここから向かうとなれば数日はかかるわね」


 数日かかるという事実に少しげんなりする。着の身着のまま、それもこの世界について何も知らない俺にとっては数日の旅路もかなり厳しいものとなるだろう。


「焦っても仕方がないわ。少しの間ここに滞在したらどう? きっと子供たちも喜ぶだろうし」


「……そうですね。本当に申し訳ありませんが、お言葉に甘えさせていただきます」


 こっちに来ているならあいつらに会いたいが、闇雲に行動するのはあまり得策ではない。ひとまずはこの孤児院に滞在させてもらって、この世界に関する知識を得るべきだろう。


「ただ……ううん、なんでもない」


 ラティさんが何か言いかけて、慌てて口を紡ぐ。それが妙に気になったが、追究することはしなかった。



~~~~~~~~~~~~~



 ラティさんとの話を終え、また広間にて子供たちと戯れ、その後夕食を済ませた。夕食はパンにスープと実に質素なものだったが、大勢で食べる食事は悪くなかった。

 さらにその後は、少しでもこの世界について知るべく、孤児院にある書物を読ませてもらった。得た知識の中で一番興味を引かれたのはこの世界には魔物がいるというもの。魔王を頂点とし、様々な魔物が世界中に存在するらしい。勇者という言葉を聞いた時点で予想していたことであるが、なんともファンタジーチックなことだ。


 夜遅くになり、今俺は目覚めたときにいたあの少々小汚い部屋のベッドの上にいる。元々空き部屋だったようで、孤児院に滞在する間はこの部屋を宛がわれることとなった。ベッドに横たわり、ずっと前から抱いていた違和感について思いを巡らせる。


 ここは異世界。俺のいた世界と全く異なる文明が支配する世界。それなのに、俺はこの世界の人と何の支障もなく会話ができる。それどころか、知らない文字で書かれている書物を読み、その意味するところを理解できている。


(あの魔法陣に何かそういう仕掛けがあったというところか)


 考えたところで答えがわかるわけでもなかったので、それらしい結論を出す。

 

 そろそろ眠くなり、このまま眠りに就くつもりだったが、ふと入口の方に人の気配を感じて視線をそちらに送る。そこにいたのはカッシェだった。俺の元に駆け寄って来る。


「こんな時間にどうしたんだ?」


「異世界の話、もっと聞きたくてさ!」


 俺が異世界から来たらしいという話をあえて隠す必要もなかったので、孤児院の子どもにはそのことを伝えてしまっていた。王都の勇者一行と関係があるかもしれないということも含めて。その結果、今日は怒濤の質問攻めを味わうことになった。しかし、こんな時間になっても俺の元にやって来るとは大した好奇心だ。


「もう子どもは寝る時間だぞ」


 俺自身が眠かったので体よく断ることにする。


「子ども扱いすんなよな~!」


 俺の言葉に拗ねた様子のカッシェ。こういう反応こそ子供っぽいとは言わないでおく。


「また明日いくらでも話してやる。今日はもう寝ろ。それに、こんな時間まで起きていたら先生に怒られるんじゃないのか?」


「うっ……」


 どうも覚えがあるようだ。明らかに気勢を削がれている。


「おやすみカッシェ」


「ちぇっ、おやすみ!」


 踵を返し部屋を去ろうとするカッシェ。そのままいなくなるかと思いきや、入り口でふと立ち止まる。そして、俺の方を振り返って言う。


「兄ちゃんはさ、ホントは勇者だったりしないの?」


「多分違うだろうな。そんな頼りがいのある存在に見えるか?」


「……見えないね!」


 自分で言っといてなんだが、こうもはっきり否定されるとなかなかに悲しくなる。


「そうかぁ……まあ、そんなに都合良いことってないか」


 カッシェの顔に憂愁の影が差す。どうしてこの子にそんな表情をさせてしまっているのか、俺にはわからなかった。今度こそカッシェは俺の部屋から去っていく。


 こうして俺の異世界での最初の一日は終わりを迎える。

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