第七話
「ちょっと、どこまで歩かせる気よ?」
青柳を連れ、まどかのいる船着き場まで歩き出すまではこうして上手くいった。けど歩を進めるにつれて、次第に青柳が愚痴り始めたのに私は軽い焦りを覚えた。
そういえば、青柳は人一倍我慢というものが苦手な我が儘な性格だった。それでも帰ろうとしないのは、それだけ桃生への反発心が強い事の表れだろう。
「すみません、念には念を入れたいので……大事な話なので、誰にも聞かれたくないんです」
「そ。これでくだらない話だったらどんな目に遭うか、覚悟しなよね」
何とか青柳をそう言いくるめ、なるべく早足で船着き場を目指す。決して短くはない距離をもうこの夜だけで一往復半しているから、正直疲れが酷い。
それでも。今まで味わった地獄に比べたらこんなのは遥かに軽い苦痛だと、私は自分を奮い立たせた。
ふと空を見上げる。あれほど晴れていた空に、いつの間にか月が隠れるほどの雲が満ちていた。まるで、これから青柳に起こる事を暗示するかのように。
そして、残った微かな星明かりを頼りに、私達は何とか船着き場まで辿り着いたのだった。
「で? 桃生がどうしたってのよ」
桟橋の方に向かって歩きながら、青柳がそう切り出す。金になるまで脱色した、軽いパーマのかかった髪をくるくると指で弄ぶその姿は早く帰りたいという感情を全身から滲ませていた。
私は青柳の問いには答えずに、辺りを見回しまどかの姿を探す。けどこの暗さもあるのだろうか、あの特徴的なセーラー服姿はどこにも見当たらなかった。
「……ちょっと、ここまで来てだんまり?」
焦りを強くする私に追い討ちをかけるような、苛立ちを隠さない青柳の声。……どうしよう。もしも私達が、まどかをどこかで追い越していたりしたら……。
「キモ井、アンタ、聞いてんの!?」
「……その子は陽子ちゃんだよ」
桟橋の端で、遂に苛立ちが限界に達したのか怒声を上げながら青柳が振り返る。と同時に、どこからかまどかの声がした。
「ぎゃっ!」
続けて聞こえる、青柳の悲鳴。目を凝らして青柳の方をよく見ると、桟橋の下から突き出た手が青柳の腱に包丁を突き立てていた。
思わず固まる私の視界に、桟橋の下から這い上がるまどかの姿が映る。まさか、そんな所に隠れていたなんて……。
「ひ、ひいっ!」
「酷い渾名。あなたは本当に、陽子ちゃんから聞いてた通りの人だね」
「な、何よアンタ、何よアンタ」
「悪い子には、お仕置きしなきゃ、ね?」
予想外の展開にパニックになったのか、肘から倒れそのまま這って逃げ出す青柳に海水をスカートから滴らせたまどかがゆっくりと近付く。その手に、青柳の血の付いた包丁を持って。
「キモ井、アンタ何突っ立ってんのよ、助けなさいよ! また酷い目に遭わされたいの!?」
「……まだ、そんな事を言うんだね」
顔を上げ、青柳が叫んだ内容にまどかの声が低くなったのが解った。そしてまどかは包丁を大きく振り上げると、それを躊躇なく青柳の背に突き刺した。
「ギャアアアアアアアアッ!!」
今までの人生の中で、とても聞いた事がないような悲鳴が辺りに響く。私は反射的に、両手で耳を塞いでその声を遮る。
暗がりの中、包丁を次々と青柳の胴体に突き刺すまどかのシルエットだけが私の目に映る。その光景は怖いというよりもあまりに非現実的で、まるでホラー映画を映画館の最前列で見ているような不思議な感覚に陥った。
「たす、たすげ……ギモ……くろ、い……あやまる、がら、だすけ……」
次第に弱々しくなっていく青柳の声に、私はいつの間にか耳を塞ぐのを止めている自分に気が付いた。それと同時に、沸々と怒りがこみ上げてくる。
助けて? 最初、私も何度もそう言った。でも、こいつらは……。
私は固まっていた足を動かし、今まさに殺戮の行われているその現場に近付いた。微かに見えたまどかの無表情な顔が、ぐるりとこちらに向けられる。
「陽子ちゃん?」
「ごほ……ぐ、ぐろい……」
私を見た青柳が、最後の力を振り絞って震える腕を私に伸ばす。その手を、私は……全力で、払いのけた。
「まどか、とどめをお願い」
「うん、任せて」
「い……や……いやあああああじにだぐないいいいいいいい!!」
絶望に彩られたその叫びが、青柳の断末魔になった。
次の瞬間には、まどかの降り下ろした包丁がまるでケーキを切り分けるみたいに青柳の頭蓋骨を貫いていた。