第三話
――次に気が付いた時、私は別荘の外に転がっていた。
軽く身を起こす、それだけでお腹や背中が鈍く痛む。こんな痛みは、産まれてからきっと初めて味わう。
いつもは学校だから、気を失うまで暴行を加えられた事はなかったのに。ここはやはり敵地なのだと、改めて思い知った。
どれくらい気を失っていたのだろう。辺りは既に暗く、空には星が瞬いていた。けれどそれを美しいと感じる余裕は、今の私にはない。
「……そうだ、バッグ……」
ぼんやりと、そう口にする。黄原の手で森に投げ捨てられてしまった私のバッグ。取りに行くなら、今しかない。
この微かな星明かりだけで、上手く見つかる保証はないけれど。このままでいれば、きっとそのまま放置されてしまうから。
混み上がる吐き気を堪えながら立ち上がると、私は、ふらふらとした足取りで昼間来た道を引き返し始めた。
結論として……私の見通しはあまりにも甘すぎた。
いくら体育会系とはいえ、女の力ではそう遠くにバッグを投げられないだろうというのが私の考えだった。だから道から外れないように気を付けながら、周囲を探すだけでいいとそう思っていた。
けれど、そうして道を辿りながら探し続けるうちに、私は船着き場が見える位置まで戻ってきてしまったのだった。
「……どうしよう」
呆然と呟く。どの辺りでバッグが捨てられたかなど遅れないように歩くのに必死で覚えていなかったけど、こんな船着き場に近い位置ではなかったのは解る。という事は、もっと森を深く分け入らないとバッグは見つからないという事だ。
けれどこんな暗い中を森になんて入れば、果たして無事に出てこれるかどうか。もし最悪遭難なんて事になったら、赤澤達は迷いもせずに私を置いて帰るだろう。
バッグは探したい。でも自分の身は可愛い。どうしていいか解らず、私はその場に呆然と立ち尽くした。
「……どうしたの?」
その時だった。突然、そんな幼い声が背後から聞こえたのは。
まさか赤澤達が。焦った私は咄嗟に振り返る。けれど、そこで見たものは赤澤達の姿ではなかった。
そこにいたのは、夏物のセーラー服に身を包んだおさげ髪の少女だった。歳は多分、私よりも少し下。桃生とはまた別の方向で整った顔立ちをしていて、思わず庇護欲をそそられるというのか、そんな印象を受けた。
何故、こんな所にセーラー服の少女が。いや、そもそも、今この島には私と赤澤達しかいない筈じゃあ。思いもがけない出来事に、私は軽く混乱した。
「どうしたの? 何か困ってるの?」
もう一度、少女が私に問い掛ける。私は何と答えていいか解らず、ただ呆然とその場に立ち尽くした。
「あ……」
不意に、私は気付いた。少女が両手に下げているもの。
それは、探していた私の黒のボストンバッグだった。
「これ? さっき拾ったの。落とし主を探そうと思って」
少女は私の視線に気付いたのか、バッグを軽く持ち上げてみせた。私は一瞬迷ったけれど、ここは素直に本当の事を言う事にした。
「それ……私の……」
「え? 本当?」
私が告げると、少女はパッと顔を輝かせた。そして手に持っていたバッグを、何の迷いもなく私に差し出した。
「はい! 何があったか知らないけど、もう落としちゃ駄目だよ」
「あ、ありがとう……」
そのあまりにも素直な反応に、この四ヶ月ほど赤澤達の悪意に曝されてきた私はどうしていいか解らなくなる。戸惑いながら私がバッグを受け取ると、少女は柔らかい笑みを浮かべた。
「私、白石まどか。あなたは?」
「……黒井、陽子……」
「陽子ちゃんか。可愛い名前だね!」
まるで昔からの友達だったみたいに、明るく私に話しかける少女。この少女は、一体何者なんだろう。私の名前を聞いても態度を変えない辺り、赤澤の一味ではなさそうだけど。
「……あなたは、こんな所で何をしてたの?」
気が付けば、私は少女にそう聞いていた。両親以外とこうしてマトモに会話をするのは、随分と久しぶりの事だった。
「私? 私はね……」
少女が、私の問いに一瞬キョトンとする。その仕草が、同性の私でも小動物みたいで愛らしいと感じた。
けれど、すぐにまた笑みを浮かべた少女の口から出てきたのは全く予想も出来ない、とんでもない言葉だった。
「私は、この島に今日来た子達を殺しに来たの」