第一話
「キモ井ー、何ボサッとしてんだよ!」
「はぁ……はぁ……」
赤澤の取り巻きの一人、黄原雅美の怒鳴り声が、疲れた体に響き渡る。けれど疲れ果てた私は、それに返事一つ返す事は出来ない。
理由は私の抱えるこの六人分の荷物。赤澤達は、この島に着くなり私に自分達の荷物を総て押し付け、さっさと歩き出してしまったのだ。
そう、島だ。私達は今、瀬戸内海に浮かぶ島の一つにいる。
ここにある別荘の持ち主、緑川綾子は政治家の娘で、表向きは優等生だが中間テストのカンニングが赤澤にバレて以来赤澤の言いなりになっている。今回の旅行も、恐らくは無理矢理赤澤に押し切られた形なのだろう。
「緑川ぁ、まだ着かないの? そろそろ歩き疲れたんだけど!」
そんな緑川にあからさまな不平をぶつけるのは、赤澤の腰巾着、青柳智世。赤澤の会社の重役の娘らしく、いつも赤澤にゴマを擦りつつ他の人間を威圧する赤澤の取り巻きの中では一番の小物だ。
青柳の不平に、緑川がびくりと体を震わせる。緑川はこの赤澤を頂点としたカースト制度の中では最も地位が私に近い。かと言って、カンニングなんてする馬鹿に私が同情する必要なんて全くないが。
「大体出迎えも何もないってどういう事よ! この! あたし達が! わざわざこんな所まで来てあげたのよ!」
「そ、それは……」
「緑川、アンタ、あんまり舐めてると……」
「そこまで。……聞いてるだけで余計に疲れる」
「も、桃生……」
どこまでも続くと思われた青柳の怒声、それを止めたのは今まで赤澤の隣で黙って彼女の話を聞いていた桃生菫だった。青柳は途端に勢いを萎ませ、ちっ、と舌打ちをするとまた大人しく歩き出す。
……桃生の事は、正直よく解らない。読者モデルを務めた事もあるちょっとした有名人らしいが、そういったものにてんで疎い私にはそう言われても上手く理解出来なかった。
桃生はいわゆる、赤澤の「お気に入り」という奴らしい。他の人間、同じ取り巻きの黄原や緑川までも見下している節のある青柳ですら桃生への意見は控えめだ。そんな桃生は、私へのいじめに関してはひたすら無関心を貫き、いつも少し離れた所でつまらなそうにスマホを弄っている。
「……キモ井、アンタ何見てんの?」
いい気味だと、正直そう思っていたその時だ。青柳の目が、不意にこっちに向けられた。
やばい。そう思うがすっかり疲れたこの足では逃げられない。いや、逃げても、この孤島では逃げ場なんてない。
「笑ってんの? キモ井の癖に? マジ、ムカつくんだけど」
「い、いえ、笑ってなんか……」
「香苗も何か言ってよ! 桃生にばっか構ってないでさ!」
青柳が振り返ると、赤澤は実に不機嫌そうに私の方を見た。だがすぐに、何かろくでもない事を考え付いた時の意地の悪い笑みを浮かべる。
「……キモ井、荷物重そうだよね。雅美ぃ、ちょっと減らしてあげなよ」
「はぁ? ……ああ、そういう事」
表向きは情けをかけるような言葉に一瞬怪訝な顔をした黄原だったが、間もなく得心がいったという表情を浮かべて私に近付いてくる。勿論私も赤澤の言葉を額面通りに受け止めてはいないので、今度は何をされるのかと恐ろしい気持ちになる。
私に力ずくで何かをする時は、いつも黄原がそれを担当する。バレー部所属で背が高く、力もある黄原にはインドア派の私などとてもじゃないけど敵わない。
「貸せよ」
そう言って黄原が強引に掴んだのは、私の黒のボストンバッグだった。私は止めようとするが、元々の力の差に加えて大荷物を抱えて消耗した今の体力ではまるで抗えなかった。
引ったくられる、私のバッグ。黄原はニヤリと笑うと、手にしたそれをすぐ脇の森の中へ力一杯放り投げた。
「あっ……!」
「これで軽くなったでしょ? 黄原に感謝しなよ、キモ井」
楽しそうな赤澤の声に青柳と黄原が釣られるように笑い、それに合わせて緑川がひきつった不格好な笑みを浮かべる。その中でただ桃生だけが、何の感情も読めない無表情で私を一瞥し、先へと進み始めた。
「あっ、待ちなよ、菫。キモ井、荷物軽くしてやったんだから遅れんなよ!」
赤澤が桃生を追い、他の三人もまた私に興味をなくしたようにまた歩き出す。その姿と荷物が消えた森を少しの間交互に見ていた私だったが、これ以上赤澤を怒らせる方が恐ろしかったので結局は荷物は後で探しに行く事に決め、疲れた足を必死で奮い立たせ、五人に遅れないように歩き出したのだった。