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散桜のカクテル

作者: 久世 樹

私の父はバーテンダーです。


そして私は、地元の大学に通う普通の大学生。

最近、やっとお酒を飲める歳になりました。


そんな私ですが、最近少しだけ、本当に少しだけ億劫なことがあります。


大学生といえば、人生で最も自由が与えられる花盛り。

そして、最も怠け癖と脂肪が付きやすい実りの季節。

いえ、体重の話は止めておきましょう。悲しくなるので。


ある春の終わり、私はいつものように遅刻の罪悪感に囚われながら、

そんな自責よりはるかに強固な寝床の誘惑に囚われていました。

春眠暁を覚えず、とはよく言ったものです。


「まあいいや・・・二限は出席点ないし・・・。」


この通り、最近すっかり夜更かしと惰眠が板についてしまった私は、

夜のバーを切り盛りする父と生活リズムが重なってしまっています。

それが、億劫な問題の原因でした。


つまり、いままで夜の世界で生きてきた父と不意に顔を合わせる機会が、

未だかつてないほど急激なペースで増えているということ。

これまでの人生を太陽と月のように入れ替わって過ごしていた私達にとって、

これはちょっとした、気まずい事態を生じさせていたのです。


昼近くにようやくベッドから逃れて部屋を出ると、

ちょうどダイニングの食卓に座ろうとしていた父と目が合いました。


うぐ、今日はこのパターンか・・・。


寝巻の父はぼんやりと言います。


「なんだ、智も今起きたのか。」


「あ、おはよう。」


「朝ごはん、そこな。」


「うん。」


智というのは私の名前です。

朝食は、母が仕事の前に作っていってくれます。


そして、父娘二人での食事の時間がやってきました。

トーストをかじりながら私は、そしておそらく父も、考えています。


話題が、無い。


別に父が嫌いというわけではないのですが、

会話が軌道に乗れば、それを頑張って二人で盛り上げていくのですが、

今まであまり会話がなかった分、たまにこういうことがあると少し気まずい。

それが寝起きだったりすると、もう一匙余計に。

 

「お客さんから、なにか面白い話聞けた?」


そういう時に私は、たいてい父の仕事のことを尋ねます。

仕事柄、父は毎晩お客から色々な話を聞いていて、物知りです。

微妙な距離の父娘にとって、その話題はいつも地獄に仏でした。

いえ、地獄は言い過ぎですね。まあ、渡りに船といったところでしょうか。


「ああ、そういえば・・・。」


私がその時の会話を覚えているのは、

父が珍しく皮肉めいた話をしていたからかもしれません。


「きのう酔いのまわったお客が、カミカゼを飲みながら

 愛国のなんたるかについて熱く語っていたかな。

 酔っぱらいの政治談議自体は、酒の席ではよく聞くんだが。

 ん、醤油いるか?」


カミカゼというのはカクテルの名前です。

ウォッカにホワイトキュラソーとライムジュースを加えシェークした、

切れ味の鋭い味わいのお酒だとか。


「いる、ありがと。

 カミカゼを飲みながら愛国を語るお客さんかぁ。粋な感じだね。」


「当人もそのつもりだったんだろうな。

 だけど、その様子が少し滑稽に見えたんだよ。」


「どうして?」


目玉焼きに醤油がかかりすぎないよう気を付けながら、私は尋ねました。


「カミカゼと聞くと、まあ普通はそのお客のように日本のことを考えるだろう。

 だけどこのカクテルは、もともとアメリカで作られたんだ。」


「へえ。」


「そしてウォッカはロシアの酒。つまりこのカクテルは日本というより、

 大戦でこの国を北と南から攻めた国に縁の深い酒なんだよ。

 そしてそれにつけられているのが、日本の苦肉の策である特攻隊の名前。


 この酒の鋭い切れ味は、他でもないこの国自身に向けられているんだ。

 愛国を語る者が喉を潤すには、少し辛い酒じゃないか。」


少し苦笑して、私は答えました。


「でも、そんなこと知らなかったら分からないよ。」


「そう、知らなかったら分からない。

 逆に言えば、私たちは知ることにいつも慎重でなくてはいけない。

 自分が愛しているつもりのものを、私たちは無知のせいで

 知らない間に踏みにじっている、なんてことがあるかもしれないんだからね。」


「考え過ぎじゃないかなあ。」


「まあ、そうかもしれないな。今の話は忘れてくれ。」


その後、私は四限目の授業のために家を出ました。


昨夜の雨と風も手伝って、桜並木にはいつも以上に花びらが舞っています。


「桜はやっぱり、散り際が一番綺麗だなぁ。」


私は舞い落ちた花弁の道を踏みしめ、いつも通り大学へ向かいました。


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