第9話:旅の終わり
「あ~……やぁーっと着いた……」
カナリアは深いため息を一つ吐き、歩き疲れた足を青草の上に投げ出した。彼女の視線の先には、広々とした大地の上にぽつぽつと見える古びた家屋と、その奥に聳え立つ、二つの風車小屋が映っていた。カナリアの巡礼の旅の終着点であり、ギロチンの生まれ故郷であるトボーソ村へようやくたどり着いたのだ。
「おお、我が懐かしき……って程でもねぇけど、久々に見るとやっぱ故郷って感じがするな」
「ギロチンさん、分かってると思いますけど……」
「あー分かってる分かってる、俺の家まで正体がばれないように、せいぜいボロを出すなってことだろ? その辺はまぁ任せとけ」
覆面と外套で、骨の体を隠したギロチンが陽気に答える。両親にどうアプローチしたものかと悩んでいたようだが、故郷に戻ってこれたのはそれなりに嬉しいようだ。
「にしても、本っっっ当にド田舎ですね……野原を開墾した村って言うより、原野の空いてるスペースに、人間が無理やり間借りしてるみたいな……」
「……まぁ否定はしねぇよ。とにかく、早い所村に入ろうぜ?」
ギロチンに促され、カナリア達は村の入り口へと足を進める。ギロチン曰く、トボーソ村の人口は数十人程度で、ほぼ自給自足の生活を送っていたが、村おこしの意味も兼ねて、目印として風車小屋を建てた。だが、そもそも訪れる人間が殆ど居ないため、ただの巨大な粉挽き機と化しているのが現状らしい。
「そ、そうだ! いい事思いついた! 折角俺の村に来たんだから、風車を案内しよう! そんで、その後に俺の家に行けばいいじゃねぇか!」
「別に風車なんて珍しくも無いし、先延ばしにしても現実は変わりませんよ?」
「あ~……やっぱ帰ってくるんじゃなかったかも。親父に何を言われるか……」
頭を抱えながらぶつぶつ呟くギロチンを尻目に、カナリアは村の中をどんどん進んでいく。一応カナリアは聖霊協会の巡礼という名目で来ているので、村民の悩みの相談を受け、極力解決していかなければならない。人口の割に無駄に土地が広く、さらに野山に混じって作業をしている村民を見つけることは意外と難しい。カナリアとしては、日が暮れるまでに巡礼の用件を纏め、出来れば今日中にギロチンを連れて行ってやりたい。
「もう! 何でこう家一軒一軒に無駄に距離があるのよ……あ! 第一村人発見!」
案の定、ドアをノックしても空き家ばかりで、段々苛立ってきたカナリアの目は、麻袋を肩に担いだ一人の青年を目ざとく捉えた。向こうも此方に気づいたようで、興味深げに二人の方へ近づいてくる。
「何だ、あんたら? この村に旅人なんて珍しいな」
赤い癖っ毛の青年が、人懐こそうな笑みを浮かべてカナリア達に話しかける。着古した作業着に身を包んだその姿は垢抜けていないが、その純朴な雰囲気に、人見知りがちなカナリアも心が和らいだ。
「おお! お前、アレスじゃねぇか! 久しぶりだ……っいてっ!?」
初っ端から身元がばれそうな失言をするギロチンに、カナリアは即座に空手チョップを叩き込む。ギロチンは文句を言おうとするも、自分の失言に気がついたのか、黙って後ろに控えた。
「……あんた俺のこと知ってるのか?」
「いえいえ! この人、ちょっと妄想癖があるんで気にしないで下さい! そんなことより、私、聖霊協会員でして、この地に巡礼としてやって来たんです。何かお困りな事はありませんか? 簡単な治癒の魔法なら使えますよ」
「え!? あんた聖霊協会員なのかい? 驚いたな、こんなド田舎に来てくれる人がいるなんて。それにまだこんな小さいのに」
見た感じ、青年もカナリアとそれほど年の頃は変わらないのだろうが、小柄なカナリアはどうしても同年代より幼く見えてしまう。カナリアはちょっと傷ついたが、仕事と割り切って我慢する。
「うーん……今のところ怪我人とかは居ないけど、あんたに別に頼みたいことがあるんだけど、いいかな?」
「はい、私に出来ることであれば」
「そりゃ助かる。あそこに風車小屋が見えるだろ? あの裏に墓地があるんだけど、そこに眠ってる奴らを弔ってやって欲しいんだ」
「厄祓いですか? はい、分かりました」
そのまま青年に引き連れられ、二人は風車小屋へとやって来た。彼の言うとおり、風車小屋の裏手は墓地となっており、木製の簡素な作りの墓標が幾つも立ててあった。
「わ! 三、四十はあるじゃないですか……夕方まで掛かりそう」
「今日中じゃなくてもいいんで、何とか頼むよ。こんな辺境に巡礼者が来るなんて滅多に無い事だし、お祓いも無しで放置しといて、不死者が出たらたまった物じゃないからね」
横に生粋の不死者が突っ立っているとは露知らず、青年はカナリアに厄祓いを頼み込むと、自分は粉挽きの仕事が残っているから後でまた来ると言い残し、丁寧に頭を下げた後、麻袋を担いで風車小屋に入っていった。
「仕方ないなぁ、それじゃギロチンさんも手伝って……貰うのは無理か」
「さすがにお祓いはちょっとな。俺はその辺で待ってるから、ぱぱっと終わらせてくれや」
「ぱぱっとって……はぁ、一人でこの量やるの大変だよぉ……」
嘆いていても仕事が終わるわけでもない。カナリアは覚悟を決めると、鞄に詰めていた皮製の水筒から、少量の水を小瓶に移し、そこに己の魔力を込めて簡易な聖水を作る。その聖水に自分の髪を一本抜いて漬け込むと、死者の眠っている近くへと濡れた髪を埋めて聖水を振りまく、その後、両手を合わせて跪き、祝詞を唱える。そうした聖霊協会の厄払いの一連の作法に則って、一つ一つ死者を弔うのだ。丁寧な作業が要求されるため、長い戦いになりそうだった――
◇ ◆ ◇
「これで……最後っと!」
横であぐらをかいたり寝そべったりして、暇を持て余しているギロチンに若干殺意を覚えながら、カナリアが最後の墓の厄祓いを終えた頃には、既に日は傾いていた。その時、丁度仕事を終えたらしき青年が、真っ白な粉まみれになりながら近づいてくる姿が見えた。
「お嬢ちゃん、あの数を全部やっちまったのか!? 凄ぇな……」
「へへ、ちょっと頑張りました」
カナリアが少し得意げに答える。一つの墓の厄祓いをするためには、魔力を練って聖水を作り、作法に則った動作をしなくてはならない。カナリアの属している聖霊協会の支部で、これだけの数の厄祓いを一度に出来るのは自分だけだ。最も、聖霊教会全体から見れば、贔屓目に見ても中の上程度であるとも自覚はしているが。
「俺は退屈で退屈で仕方無ぇよ……用が済んだんなら、さっさと『ギロチンさん』の家に行こうぜ?」
「ん? あんた達、ギロチンのクソ馬鹿の知り合いなのかい?」
「く、クソ馬鹿ってお前……!」
「……? 何であんたが怒ってんだ?」
カナリアは、青年に見えない角度から、ギロチンの背骨にパンチを入れる。
「いえ! この人ちょっと被害妄想が強くって! 全部自分に言われた悪口だと思っちゃうんで、あんまり気にしないで下さい! 実は私達、そのクソ馬鹿のギロチンさんのご両親に会いに来たんです! なのでそろそろお暇しないと」
「そっか……なら村はずれまで行く必要は無いよ」
「……どういうこった?」
青年は押し黙ると、隅のほうにある、一つの墓へと向の前に立った。
「ギロチンの両親なら、ここに居るよ」
「え……?」
「は……?」
カナリアもギロチンも言葉に詰まる。言われたことがいまいち理解できて居ないのだが、補足するように青年が言葉を紡ぐ。
「あそこの馬鹿息子、首都の騎士になるとか豪語して家を飛び出しちまって、風の噂じゃおっ死んじまったらしい。それが余程ショックだったんだろうな……壮健だった親父さんは急に萎れて病気で倒れちまって、後を追うようにおばさんも同じ病気で仲良く……な」
青年は渋面を作りながら、粗末な墓標に手を置いた。その労わるような動作から、ギロチンの両親が、この青年を含む、村の人たちから愛されていたことをカナリアは見て取った。
「ま、遠路はるばる来てくれて悪いが、そういうことだ。もう日が暮れるから、気が済んだら俺んちに泊まるといい。この先の鶏小屋の横にあるからさ」
青年はそう言い残し帰路へと着いた。そして、夕日に照らされ、赤く染まっていく墓標の群れの中、カナリアとギロチンだけが残された――
「親父……お袋……馬鹿息子が帰ったぜ」
ギロチンはそう呟くと、両親の眠る墓の前に投げ出すように腰を下ろし、覆面を取り外した。誰かに見られるかもしれないが、カナリアはそれを咎めず、その後姿を、ただじっと見下ろしている。
「ギロチンさん……泣いてるの?」
「馬鹿だな、俺が泣くわけねぇだろ?」
ギロチンは不死者だ。骨だけのその顔は、表情を変えることも無ければ、涙を流すことも無い。その骨が剥き出しの頭をカナリアに向けると、笑うように口元をカタカタと振るわせた。その音は、何だかとても空虚で、中身の無いすかすかな音だ。
「でも泣いてる!」
「……なんでお前が泣いてんだよ」
ギロチンは驚いた。首を向けた先、自分の行動をいつも糾弾する筈の少女が、ぼろぼろと涙を流して泣いていたのだから。
「私も、良く、分かん、ない、けど! だって……だって、こんなの……!」
カナリアは自分でも良く分からない衝動に駆られるまま、しゃくりあげながら必死に言葉を吐き出す。両親に謝りたい、その一心で蘇り、ひたすらに歩いてきた結果がこれだ。段々と紫に染まり、やがて全てが夕闇に塗り潰されて行くであろう、誰も居ない墓地の風景が、余計にカナリアの心を掻き毟る。
「ああもう、ほら、泣くなよ! 俺まで余計泣きたくなるだろうが」
「……やっぱり泣いてた」
「……うるせぇな」
ギロチンはばつが悪そうにぼやくと、立ち上がり、カナリアの頭をぽんぽんと軽く撫でた。骨の手は硬くて変な感触だし、誰かに子供扱いされると普段は気分が悪くなるのだが、今のカナリアには、何故か不思議と心地良い。
「……で、どうだった?」
「何がですか?」
「ここで俺達の冒険は終了って訳だ。ほんのちょっとだったけどよ、外の世界を見た感想はどうだった?」
「ええと…………散々でした」
「えっ!? お前そこは『ワクワクした! 凄かった! 感動した!』とか言う所だろ!?」
ギロチンには予想外の答えだったようだが、それがカナリアの偽らざる気持ちだ。ギロチンに会ってから、ならず者には襲われるし、魔獣には殺されそうになるし、不審者には絡まれるしで碌なことが無かった。またやりたいかと言われたら、二度とやりたくない。
「……でも、楽しかったです」
――そして、この言葉もまた偽らざる気持ちだ。この不死者は、何を描いていいか分からないで、溜息を吐いて眺めていた灰色のキャンバスに、横から強引に割り込んできて、白い絵の具で勝手に落書きをした。純白なんて綺麗な物じゃなく、白骨死体みたいに不健康な白で、鼠色と白が混ざって、キャンバスはもう滅茶苦茶だ。でも、不恰好だけれども『絵』にはなったし、見る角度によっては、そんなに悪くないとも思うのだ。
「もしかしたら、碌でもない物の中にも、美しい物があるのかもしれないね」
カナリアは彼女なりのお礼の言葉をギロチンに告げると、涙をハンカチで拭い、照れ隠しのようにはにかんだ。ギロチンは最初、良く分からんというように首を傾げたが、少ししてから満足そうに頷いた。
「そっか、まぁそういう事もあるかもしんねぇな……ま、何にせよ達者でな」
「これからどうするの? お家に戻って畑耕すの?」
「いや、その必要は無いみたいだ」
カナリアは頭に疑問符を浮かべていたが、ギロチンの体がさらさらと崩れていくのを見た。それと同時に、聖霊協会の研修で、不死者が浄化された時、灰と塵になって消えていくと言っていた事を思い出した。
「で、でも私、ギロチンさんには厄祓いしてないよ!?」
「一つ覚えときな。不死者ってのはな、強引に祓うだけが消し去る方法じゃねぇんだぜ? そいつなりの『憎しみ』だの『未練』だの、何かしら理由があって復活するんだ。それが叶えられないからムカついて、生きてる奴が羨ましくて人を襲うんだ。どうも俺は、その『未練』って奴がもう無ぇらしい。これもカナリアのお陰だな。ありがとよ」
ギロチンは肉の無い人差し指で、照れくさそうにこりこりと頬骨を掻く。ぶっきらぼうな言い方ではあったが、彼なりの誠意を込めた礼の言葉であった。
「じゃあ、お別れ……ですね」
「そうだな。ま、いつまでも親不孝するわけにいかねぇし、ちょっとあいつらの所に行って説教されてくらぁ」
薄紫に染まる空の下、からんからん、と軽い音を立てながら、ギロチンを繋ぎとめていた体の骨が、次々に地面へ転がっていく。その都度、ギロチンの体は灰となり、きらきらと輝きながら澄んだ空へと消えていく。
「カナリア……だから泣くなよ、俺の新しい門出なんだから、笑って見送ってくれや」
「そんな、の……無理、だよぉ……」
「……ったく、お前は不死者の戯言に付き合って、きちんと最後までやり遂げたじゃねぇか。そんな奴は他にいねぇよ。前に言っただろ? お前さん史上最高の『聖女』になれるぜ? ほら、俯いて泣いてないで、もっと自信持って胸張れよ。俺が笑って大往生できるようにな!」
「……うん、がんばる」
カナリアは再び溢れてきた涙を手の甲で拭うと、泣き腫らした顔で何とかそう答えた。その動作はまるで小さな子供みたいだったが、その答えに満足したのか、ギロチンは口を大きく開け、ケタケタと大笑いする動作を一つして、そのまま一瞬で塵となった。
凪いだ一陣の風が穏やかに草原を駆けると、ギロチンであった灰は、風に巻かれるようにふわりと空に浮かび、カナリアの周りを一回りした後、散り散りになっていった。カナリアは、ギロチンが飛び去った空をじっと眺め、抜け殻となった覆面と外套を拾うと、その小さな胸にぎゅっと抱いた。
「さよなら……私の、格好悪い騎士さん」
カナリアの頬を一筋の涙が伝うが、なけなしの根性でそこで堪え、今の自分に出来る精一杯の笑顔を虚空へと投げかけた。あの間抜けな不死者が笑って逝けるように、そんな思いを込めて――
次回、最終回となります