第8話:二人の歩み
「ギロチンさーん、とりあえずそこら辺にあるキノコ取ってきましたよー!」
朝の日差しがうっすらと世界を照らし始め、まだ朝靄が空気に混じり、ひんやりとした静謐な空気が漂う森の中、少女の声が木霊する。
「おー、そんじゃ俺の横に置いといてくれ。こっちも戦果は上々だ」
カナリアが両手で色とりどりのキノコを抱えながら、朝露に湿った落ち葉を踏みしめてギロチンに近づくと、あぐらをかいて小川の畔に腰掛けていたギロチンの横には、活きの良い魚が数匹、ぴちぴちと飛び跳ねていた。
カナリアは山盛りのキノコを布で包んで脇に置くと、川底の砂が見えるほど透き通った清流で喉を潤し、ギロチンの横に腰掛ける。
「凄い! まだ殆ど時間が経ってないのに、もうこんなに釣れたんですか!?」
「へへ、俺はこう見えても釣りは得意なんだ。ま、釣具が無けりゃどうにもなんなかったけどな」
ギロチンは得意げにそう言うと、手に持った棒切れをカナリアに見せ付ける。竿の部分は頑丈そうな枝で出来ているが、そこから垂れ下がっている糸は、少しくすんだ銀色だ。その糸は、木漏れ日の下できらりと白く輝き、ゆるやかな川の流れの中を、踊るように揺れている。
「小川を見つけた途端、『カナリア! 何も言わずにお前の毛をくれ!』なんて言われた時はドン引きしましたけど、こんな使い方も出来るんですね……」
感心したようにカナリアが呟く。この釣り糸は、カナリアの髪の毛を紡いだ物だ。健康な女性の髪を、カナリアの治癒の魔法でさらに活性化させ、さらにカナリアの髪留めの針を加工し、ギロチンは即席の釣り竿を作ってしまったのだ。
「それで、このキノコはどうなんですか? よく分かんないから全部持ってきたんですけど……」
「んー、どれどれ……あ、この竿持っててくれ」
ギロチンはカナリアに釣り竿を手渡すと、これは食べられる、これは毒キノコ、これは食えるけど不味いとか、何となく形が気に入らないとか言いながら、ぽんぽんより分けていく。カナリアも平民の生まれであり、野草に関する知識はある程度知っているが、ここまでの芸当はとても出来ない。
「ギロチンさん凄いですね! ちょっとだけ見直しました!」
「ちょっとだけかよ! つーか竿引いてる! 竿!」
「え? あ、わわっ!?」
――等というやり取りをしつつ、新鮮な自然の恵みをふんだんに手に入れた二人は、朝食の準備に入った。カナリアが枯れ草や木の枝を拾い集めて火を起こしている間、ギロチンは実に器用にナイフで魚を捌きつつ、採ってきたキノコを枝に刺して串焼きにしていく。
謎の土下座男に遭遇した村も田舎ではあったが、トボーソ村はそれよりももっと辺境だ。街道の途中にゆっくり休める集落など無いため、携帯した保存食でちまちま食いつないでいく予定だったカナリアにとって、ギロチンの知識は嬉しい誤算であった。
「でも本当に驚きました。ギロチンさんって、不死者の癖に妙に所帯じみてますね」
「癖には余計だが、俺は田舎の貧乏農民の生まれだからな、こういうの知らねぇとまともに食っていけねぇんだよ」
取れたての魚がこんがりと焼けていく良い匂いと、表面の焦げたキノコの香ばしい匂い混じりあい、日の光注ぐ林の中にふんわりと漂っていく。暫く待って完全に火が通ったところで、カナリアとギロチンは、少し早めの朝食を取ることにした。
「風の噂で、この界隈を最近脅かしてた悪人が捕まったって言ってましたし、ゆったり順調に進めて助かりますね」
「ああ、全くだ。どこの誰が捕まえたんだか知らんが、ありがたいこった」
「違いますよ? 捕まえたんじゃ無くて、その人、昔襲った人に諭されて改心したらしいですよ? 何人も人殺しをしてて、しかも自分を殺そうとした極悪人相手にそんな事が出来るなんて、よっぽど勇気と器の凄い人なんでしょうねぇ……」
そう言いながら、カナリアはあの盗賊に襲われた夜の事を思い出し身震いする。あんな怖くて腹立たしい事件はもう二度と御免だ。万が一、彼らが自分の前で土下座して許しを請うたとしても、その頭を思いっきり踏みつけるだろう。
「ま、あんま卑下するんじゃねぇぞ? お前さんにはお前さんのいい所ってのがあるんだし、自分に与えられた仕事をしっかりやるのだって立派なことだろ?」
「そうは言うけど、ギロチンさんはどうなんですか? 自分に与えられる仕事をちゃんとやれっていうのなら、騎士になるより、絶対農民のほうが向いてると思うんですけど?」
一体どこに吸収されているのか分からないが、目の前で魚を丸かぶりしている不死者相手にカナリアは不満げに答える。ギロチンの言う事も分からないではないが、人間が各々持って生まれてくる家柄や才能の不平等さには、やはり少し納得がいかない。
「んー、そりゃそうかもしんねぇけどよ、煌びやかな生活をして、皆からちやほやされたり、格好いい職業になってみたいだろ?」
「うん……まぁ……」
カナリアは少し俯きながら、曖昧に返事をした。そのような立場になれば、それだけ責任を負うだろうし、自分にはそんな責務に耐えられないとは分かっているが、それでも、一度でいいから脚光を浴びてみたいというのもまた正直な気持ちだ。でも、それは多分無理なのだ、自分は鼠色の金糸雀なのだから。
「ま、でも、俺にはやっぱ、こういう生活の方が合ってんのかなって思う。失って初めて分かるって訳じゃねぇけど、どうも俺には、武器より農具のほうがしっくり来るみてぇだ」
「そうですね、また魔獣の群れに囲まれるのは御免ですから」
ギロチンは肩を竦めながら、おどけた口調で答えたが、それが自分を慰めようとする心遣いであることはカナリアも理解できたため、カナリアも軽口で返す。
「ギロチンさんはトボーソ村でお父さんやお母さんに謝った後、どうするつもりなんです?」
「そこなんだよなぁ、ま、親父達に一言詫びいれて、それからまた農業生活ってのも悪くねぇかもな」
「あの……あなた不死者な訳ですけど、その格好で野良仕事やるんですか?」
麦藁帽子を被って、木綿の長袖に長ズボン、長靴を履いて鍬を振るう白骨死体の姿を想像し、カナリアは眉を潜める。禍々しいカラス避けにはなるかもしれないが、そんな物が居る所で出来た作物など、呪われそうで誰も食べたくないだろう。
「……まぁ何とかなんだろ。寧ろ生きてた頃より体力あるし、寝なくても食わなくてもこれ以上死なねぇし。つーか、そこよりも、親父が許してくれるかが問題なんだよなぁ……家出同然で出てきちまったし」
「いえ、許すとか許さない以前に、息子が動く死体になって帰ってきたら、気絶するんじゃないですか……?」
「お前はうちの親父を知らねーからそんなことが言えんだよ! ああ嫌だ嫌だ! なぁカナリア……やっぱトボーソ村に行くのやめねぇ?」
「ギロチンさんが行くって言ったんでしょっ! ここまで来て、旅の意味を全否定しないでください!」
「チッ、仕方ねぇな……カナリア、俺が親父に頭蓋骨かち割られて死んだら、骨は拾ってくれよな」
「あはは、なんですかそれ」
元々死んでいるギロチンの妙な言い回しがおかしくて、カナリアはぷっと噴き出す。
「うん、それで良い」
「えっ?」
「いやほら、何か俺の言ったことで変に落ち込んじまったみたいだからよ。お前さん、やっぱり笑ってた方が絵になるぜ?」
「え、あ……ありがと……」
急にそんなことを言われたカナリアは何となく気恥ずかしくなって、残りの魚に齧り付いた。骨しかないギロチンの表情は分からないが、心無しか微笑ましい物を見るような雰囲気を醸し出している気がした。
「ねぇ……ギロチンさん」
「ん? 何だ? おかわりならもう無いぞ?」
「どさくさに紛れて一人で多めに取らないで下さい! ……ってそうじゃなくて、その……」
「だから何だよ?」
「お父さんとお母さんに……早く会えるといいね」
ぽつりとカナリアは呟く。カナリアにとって、ギロチンが変で御し難い奴であることは変わらないが、少なくとも最近は、一緒に居ることが苦痛では無くなっていた。自分がトボーソ村の巡礼を終え、ギロチンの当初の目的である、両親に謝りたいという願いを叶えれば、この緩やかな時間は終わりを告げる。それが少しだけ寂しかったが、カナリアはその気持ちを飲み込み、代わりの言葉を告げた。それがこの不死者の望みなのだから。
「……ああ、そうだな」
少しの間を置いて、ギロチンは立ち上がると、普段身につけている覆面と外套を身に纏い、全身をすっぽりと覆い隠す。それはまるで、自分の心を相手に見せないように、包み隠しているようにも見えた。
「じゃあ……そろそろ出発しましょうか」
「おう、ここから先は一本道、あと少し進めば俺の村だ」
後始末を終えたカナリアとギロチンは、それだけ言葉を交わすと、開けた街道へと足を進める。あと二日もすれば、二人の目的地であるギロチンの生まれ故郷、トボーソ村へと到着だ。そこにたどり着いた後、それぞれがどのような道を歩むのか、明確な答えを見出せないまま、二人は黙々と歩き続けた。