第7話:悪鬼の救い
あの白竜騒ぎの日から早三日、片田舎の宿の一室で目覚めたカナリアは、寝癖の付いた髪の毛に櫛を通す。ベッド以外何も無い安宿だが、日当たりは良く、窓から照らす朝日が、カナリアの髪を銀色に輝かせる。
「ん、こんなもんかな?」
大体の感覚でしか分からないが、髪のチェックは概ね良好だろうと決め付ける。寮に居た時は、身なりなんて殆ど気にしなかったのに、こんなボロ宿でせっせと身支度をするなんて妙な話だ、けれど最近はこうしたちょっとした事が何故か楽しいのだ。
「カナリアッ! た、大変だ! っておわっ!?」
下着姿になった矢先、安普請な木製のドアを破壊しそうな勢いで、覆面と外套ですっぽりと身を包んだ、異様にガリガリな男が乱入してきた。カナリアの連れ合いであり、不死者のギロチンである。
「きゃあああああ!!」
「ぎゃあああああ!?」
カナリアは甲高い悲鳴と共に、対不死者用武器の聖槌を思いっきりぶん投げた。カナリアとギロチンの二人の絶叫が木霊した――
「ノックくらいしてくださいよ! もう!」
「悪かったって……でも入ってきた奴を碌に確認しないで、フルスイングで凶器をブン投げるのはどうかと思うぜ?」
「そりゃそうだけど……」
「それに何だ、お前さん特に見られて困るほどの物なんか――すみません。聖槌を鬼の形相で構えるのは止めてください」
カナリアは悪鬼の表情で聖槌を両手持ちで握り、ギロチンは壁に張り付きながら許しを請う。
「……それで、朝っぱらから何大騒ぎしてるんですか?」
「お、おおそうだ! こんな所で油売ってる場合じゃねぇんだよ! 実はとんでもない情報を仕入れちまったんだ!」
「とんでもない情報……?」
ギロチンの慌てっぷりにカナリアは押し黙る。まさか前の村の白竜事件が明るみに出たとかではないだろうかと、ごくりと唾を飲む。
「宿屋の女将さんに聞いたんだけどよ、この村の外れにすっげえ美味い飯屋があるらしいぜ? 今すぐ行こう」
「えっ、それだけ!?」
「それだけって……美味い飯は人生の醍醐味だろ? 今行かずして何時行くんだよ?」
「ギロチンさんは不死者だから、別にご飯食べなくてもいいじゃないですか……」
「食わなくてもいいけど、食ってもいいんだよ! そして人生の楽しみは多いに越した事はねぇ! さぁ行くぞカナリア! いざ行かん胃袋の戦場へ!」
「ギロチンさん、あんまり目立つことしないでくださいよ? 何処の世界に女将さんと懇談してお食事所の情報を引き出す不死者がいるんですか……」
「ここに居るじゃねぇか。他の奴がどう言おうが知ったこっちゃねぇ。俺は俺の正しいと思った事をやるだけよ」
「あはは……」
「つーわけで、俺一番高い奴食うから」
「それはダメです」
「ちぇっ! ケチ!」
そんな訳で、カナリアとギロチンは連れ立って村外れの食堂とやらに向かうことになった。ついでに携帯食等も仕入れておく事も出来るだろうし、ギロチンの受け売りではないが、美味しい食事と言う物はやはりカナリアも楽しみだ。
「おい……あいつら宿から出てきたぜ?」
「へっ、今日があいつらの命日だってのに、間抜け面してやがる」
薄暗く肌寒い路地裏、覆面で顔を隠した、二人の男が声を殺しながら囁き合う。その物々しい雰囲気は、牧歌的な田舎町には全く似つかわしくなく、彼らが町の異分子であることは間違いない。
「おいおい、ただの小娘と棒切れみたいな野郎じゃねぇか? 『顔無しの毒蠍』のガナックともあろう者が、あんな連中に尻尾巻いて逃げちまったってか?」
「うるせぇ!」
ガナックと呼ばれた男が、忌々しげに舌打ちをする。覆面で顔は全く分からないが、隙間から見えるその眼光を見ただけでも、憤怒を見て取れる。だがもう片方の男は全く気に留めていない。
「あの時はただの小娘と浮浪者だと思って油断しただけだ、今度は容赦しねぇで一瞬で殺す! あのノッポの野郎、どういう方法で俺の毒突きを回避したかは分からねぇが、あの時は刺した感覚が無かったからな、マントが邪魔で外しちまったんだろう。今度はあんな間抜けはへまはしねぇ……」
「ま、仕入れた情報じゃ、あの野郎も左腕と、体に相当ダメージを負ったって話だからな。幾ら凄腕だろうが手負いならガナックと俺の敵じゃねぇな」
「油断するんじゃねぇ、あのガキ、白竜を従えたって話だからな」
ガナックが相方に指示を出す。この男は、以前カナリアを刺殺しようとした時に失敗した男だ。小娘相手に逃げ帰ったことで、裏社会でのガナックの名はひどく傷ついた。覆面で顔を覆い、物陰に身を潜め、その猛毒の短刀で獲物を一突きで仕留める凶悪さから、付いた仇名は『顔無しの毒蠍』、ガナックという名前は裏の人間しか知りえないが、中央では要注意人物としてマークされている悪党だ。
「俺様の顔に泥を塗ったあのガキ共、後悔させてやるぜ……」
ガナックは己の名誉を地に墜とし、部下を奪った小娘に復讐を誓った。奴らを確実に地獄送りにするために、高い金を払い情報を集め、腕の立つ悪党を雇い、襲うチャンスを待っていたのだ。奴等は高尚な事に、誰も行きたがらない辺境へ巡礼をしているという。
気になるのは細身の男の実力と、小娘の白竜を従えたと言う能力だが、男の方は白竜との戦闘時に痛手を負っており、小娘の方は、以前捕えた時には何も出来ないただの娘だった事から、一気に抑えてしまえば小娘の能力は使えない、とガナックは踏んだ。
「じゃあ手筈通り行くぜ、お前は持ってる棍棒であの野郎の頭を砕け。左側から狙えば、最悪でも反撃はされねぇはずだ。お前に気を取られてるうちに、俺は反対側から小娘を刺す」
「へいへい、金は貰ってんだ。それなりの働きはするさ」
棍棒を片手に持った、ぼろぼろな身なりをした大男が投げやりに返事をするが、その豪腕から繰り出される一撃は腕は確かな物だ。打ち合わせを済ませた悪党達は、事前に調べておいた襲撃ポイントへと移動する。後は間抜けな獲物が飛び込んでくるのを待つだけだ。
「来たか! へへ……恨みはねぇが死んでもらうぜ?」
物陰で獰猛な笑みを浮かべた悪党は、凶悪な棍棒を構え、全身を隠した隙だらけの男に狙いを定めた。しかし、ここで悪党は異変に気が付いた。
「お、おい!? ガナック! なんだよあれ?」
「今更何をびびってやがる!」
「で、でも見ろよあれ!」
狼狽する大男に苛立ちながら、ガナックは相方の指示する方を見て、覆面の下で驚愕の表情を作った。
「な、何だありゃ!? 野郎、左手首を無くしたんじゃねぇのか!?」
ガナックの仕入れた情報では、娘の連れは左腕を失った筈だ。だが、目の前を歩く男の左手首には、しっかりと手袋を嵌められている。まるでそんな怪我など無かったか、はたまた千切れた腕がそのまま再生したように。
「お、おいガナック? どういうことだ!?」
「馬鹿野郎! お前には考える脳みそがねぇのか!」
頭の鈍い大男に苛立ち、ガナックはありえないが、そうとしか思えない結論を出した。
「あの小娘が治癒魔法で再生させたに決まってんだろうが!」
「な!? 治癒魔法で腕を!? 傷の再生ならともかく、欠損部位を!? ありえねぇだろう!」
「現に目の前に有るだろうが! それとも何だ? あの野郎は不死者か何かだとでも言うのかてめぇは!?」
聖霊協会員が魔法、特に破魔や治癒の力を使うという事は周知の事実だが、それ程強力な治癒魔法を使える人間は数少ない。まして、傷の治療ならまだしも、欠損部位を再生させるなど、それこそ聖女ですら出来るかどうかと言った所だ。それを目の前の小娘は、あっさりとやってのけたのだ。
「じ、冗談じゃねぇ! 俺は降りさせてもらう! 聖女レベルの化け物を相手にするなんて、ケツァール王国そのものを敵に回すようなもんじゃねぇか!」
「何だとてめぇ! 今更怖気づいてんのか! てめぇには高い金を払ってんだ! 意地でもやってもらうぜ!」
「ならてめぇ一人でやれよ! 金なら返してやる! 命あっての物種だ!」
「それで通ると思ってんのか!」
路地裏に潜む男達は、最早カナリア達など眼中に無く、取っ組み合いの殴り合いを始める。今まで連れ添ってきた部下と違い、この二人はあくまで金と金の契約関係だ、信頼関係など有りはしない。
「あ、あの……どうされたのですか?」
路地裏に似つかわしくない、控えめだが綺麗な少女の声が響く。その声を死神の呼び声か何かでも聞いたかのように、大の男がびくりと体を震わせた。そこには、くすんだ銀髪の少女と、長身痩躯の男が光を背負うように立っていた。
「ひ、ひいいっ! 助けてくれぇ!」
「あ、待て! この野郎っ!」
火事場の馬鹿力でガナックを振りほどいた悪党は、棍棒を投げ捨て、後ろも振り返らずに逃げ出した。路地裏に残ったのは、取っ組み合いで覆面の剥がれ、顔を痣だらけにした大悪党ガナックと、カナリアとギロチンの三人だ。
「ど、どうしたんですか? 喧嘩ですか?」
「う、ううっ……!」
カナリアがおずおずと一歩前に踏み出すと、気圧されたようにガナックが一歩後ずさる。目の前に居るのは、伝説であり、最強の生物を従えた女と、自分の猛毒の一撃を食らって平然としていた男、早い話が化け物達だ。まして自分はこの二人を以前殺そうとしている、ここで会ったが百年目。因果応報という言葉がガナックの脳裏を駆け巡る。
「あ、あの……?」
「ひいいいっ!」
もう限界だ。恐怖のメーターが振り切れたガナックは、まるで怯えた子犬のように巨体をがたがたと震わせ、地面にうずくまった。
「す、すまねえ! もう二度と悪さはしねぇ! た、頼む! 殺さないでくれ! 勘弁してくれぇ!」
「ちょ、ちょっと!? 何なんですかあなた!?」
悪人面の巨漢の謎の降伏宣言に、カナリアとギロチンは目を白黒させる。
(おいカナリア、お前の知り合いっぽいけどよ、お前……裏で何かやってんじゃねぇだろうな?)
(知りませんよこんな人! 大体、同年代の男の人すら知り合い居ないんですから!)
(でもよ、こいつの怯えっぷり尋常じゃないし、どうもお前が原因みたいだぜ?)
ギロチンとカナリアはひそひそと小声で話し合うが、そんな様子など全く耳に入らないようで、大男はただ地面に這いつくばり「許してくれ! 許してくれ!」と繰り返す。何だかよく分からないが、このまま騒ぎになるのは非常にまずい。
「そんなに怯えないで……顔を上げてください」
「うぅぅ……」
なるべく穏便に事を進めるべく、カナリアは極力優しい声で男に声を掛ける。男はのろのろと顔を上げたが、まるで断頭台に掛けられる直前の死刑囚みたいな表情だ。
「じっとしてて下さいね……」
「え……?」
カナリアは男の顔を包み込むように両手で優しく挟むと、目を閉じて力を掌に集中させる。ぽうっ、と蛍のような淡い光が男の顔を包んだと思うと、殴り合いで付いた傷がみるみる癒えていく。
「あ、あんた……俺を治したのか?」
「はい、そのくらいの怪我なら私も治せますから」
「そうじゃねえ! 俺みたいな野郎を何で治したって聞いてんだ! 俺を助けた所であんたにゃ何のメリットもないだろう?」
俺みたいな野郎と言われても、ガナックの素顔など知らないカナリアは、とりあえず目の前で騒いでいる見知らぬ男に曖昧な微笑を浮かべ、適当に思いついた台詞を言う。
「それが私の役割ですから」
これは文字通り、巡礼中の協会員は、自分が解決できそうな問題に相対した場合、極力救いの手を差し伸べるのがルールという意味だ。他意はない。
「何だと!?」
だがガナックにとってはそうではない。目の前の銀髪の少女は、自分を殺そうとした相手に微笑みかけ、あまつさえ傷を癒してくれた。そんな慈母のような存在は、畜生道を生きてきたガナックにとって夢物語のようなものだ。それが今現実に目の前にいるのだ。
「何で……何で俺を殺さねぇ!? あんたの力なら俺なんか簡単に殺せるだろ?」
「殺す殺すって、な、何を勘違いしてるんですか!? 私にはそんな力ありません! 私の力はあくまで癒しの力だけですよ。じゃあ、私はもう行きますね」
圧倒的な力を持ちながら、他者を傷つける為に力は使わない。その力はあくまで他人を癒すためだけに使うと言うのか、後ろに控えている男に命令すれば、自分を役人に突き出す事だって出来るだろう。けれどそれもしない。この少女は、あくまで自分の良心を信じてくれているのだ。半ば放心状態のガナックはそう考えた。
一方、やることはやったので、一刻も早く、この珍奇な行動をする男と距離を取りたいカナリアは、ギロチンを従えて足早にその場を去ろうとする。
「ま、待ってくれ! あんた、名前は何て言うんだ!」
「……カナリアです。縁があればまたお会いしましょう」
もう二度と会うつもりは無いのだが、社交辞令として再開の約束をしてカナリアは去った。ガナックは、大通りへと戻っていく小さな背中を、まるで神を見るかのように、滂沱の涙を流しながら見送った。
この日、街道一の大悪党ガナックは、生まれて初めて神の存在を信じた。
――数日後、大悪党ガナックは、自ら聖霊協会に出頭する。本来なら死刑にされるべきであるが、とある聖霊協会員の少女に諭され、自ら罪を償いたいと申し出たため、僻地の開墾という重労働に付くという形で審判が下された。その時のやり取りは、以下のようなものであったとされている。
「俺は数え切れない罪を犯した。中でも、俺はある聖霊教会員の少女を虫けらのように殺そうとしたのに、その少女は、まるでそんな事なんか知らないと言う態度で、笑いながら俺にこう言ったんだ。『これが私の役目なのです。私には貴方を傷つけることなど出来ません。またいつかお会いしましょう』と。だから、俺はいつかあの人に会って、お礼を言わないとならないんだ!」
涙ながらに訴える姿に、聖霊協会の陪審員達も心を動かされた。そして、それだけの器を持つ少女の名前を知っていれば、ぜひ教えて欲しいとガナックへ問いかけた。
「ああ、そんなの忘れる訳無いじゃねぇか、名前はカナリア――今頃はどこでどうしているのかねぇ……」