第4話:白の王子と金糸雀
「何だてめぇは? 見せ物じゃねぇぞ!」
リーダー格の男が恫喝した方へ目を向けると、そこには白いマントと白い筒のような物で全身をすっぽりと覆った、白ずくめの人影が立っていた。よくよく見れば、白いマントは使い古したシーツのような布であり、頭に被っている物は白いゴミ箱だ。奇天烈な格好をした闖入者に盗賊達は首を傾げる。
「兄貴ぃ、あいつはどうしやす? 一人殺るのも二人殺るのも、大して手間は変わりませんぜ?」
カナリアにナイフを突き刺そうと構えていた男が、厭らしい笑みを作る。目の前に現れた白ずくめの人物は、贔屓目に見たとしても頭のおかしい浮浪者だ。無視しても大して問題は無いだろうが、追加で殺してもまた何の問題も無い。部下の言葉に答える形で、リーダー格の男が、白ずくめの人物に対し、侮蔑を含んだ響きで言葉を投げかける。
「聞こえただろ? 死にたいなら話は別だが、命が惜しけりゃとっとと消えな」
謎の人物は、そんな脅し文句など何処吹く風で、悠然とこちらへ近寄ってくる。威嚇するように部下の盗賊がナイフをちらつかせるが、まるで気にも留めていない。頭がおかしいのか、それとも、目が見えないのでは無いかと盗賊達は疑問に思ったが、時は既に遅い――
「あがっ!?」
白ずくめは、地面に溶け込んだと錯覚する程に姿勢を低くすると、獲物に襲い掛かる肉食獣の如き俊敏さで地を蹴った。一瞬で距離を縮めた白ずくめは、ナイフを持つ盗賊に強烈な当身を食らわせる。盗賊はその自慢のナイフを振りぬく暇も無く、ぶっ飛ばされて壁に叩きつけられ昏倒。
「うべっ!?」
人間とは思えない脚力で距離を詰めた白ずくめは、シーツをまるでマントのようにぶわっと広げ視界を塞ぐと、そのまま体を捻るように、もう一人の顔面に裏拳を叩き込む。強烈な一撃を食らった男は、たまらずカナリアを離し、そのまま地べたにキスをする。
「きゃっ! ……え?」
盗賊の拘束からすっぽ抜けたカナリアは、そのまま地面に投げ出されそうになったが、絶妙なタイミングで割り込んだ、白ずくめの人物に抱き止められた。そのままそっと地面に下ろされると、白ずくめは、ただ一人残された盗賊頭の男へと向き直る。
「て、てめえ! 一体何者だ!?」
「…………」
ただの浮浪者だと思っていた人物が、荒事に慣れている部下を一瞬でのしてしまった事に、盗賊頭は狼狽する。対する白ずくめは無言で屹立し、その様子はまさに泰然自若。恐れも焦りも感じられない。
「舐めやがってクソがぁっ!」
その超然とした姿に神経を逆撫でされた盗賊頭は、禍々しい光を放つ、赤紫色の大振りなナイフを腰から抜くと、暴風のように襲い掛かる。微動だにしない白ずくめに対し、その凶刃が深々と突き刺さった。
「きゃああああああああ!?」
カナリアの甲高い声が路地裏に響く。分厚いナイフは古ぼけたシーツを易々と引き裂き、白ずくめの体を貫いたのだ。大柄なナイフの沈み具合からして、心臓どころか背中まで貫通しているかもしれない。
「へへ……調子に乗って格好付けようとするからだぜ? ま、この猛毒の匕首に貫かれたんだ、もう聞こえちゃいねぇか」
覆面の下でにいっと盗賊が嗤う。このナイフは部下に持たせている粗悪品と違い、猛毒を塗った特注品だ。この刃で少しでも傷付けられれば、巨象ですら死に至る。ゴミ箱のせいで表情は見えないが、その下にあるであろう、苦悶と苦痛の表情を想像し、盗賊は喜悦の表情を浮かべる。
「……終わりか?」
「へっ?」
その時、三途の川で渡し賃を交渉中の筈の白ずくめが、口を開いた。まるで地の底から響くような低い声で、深々とナイフを突き立てている盗賊の耳元に囁く。
「な、なな……? 何だテメェは!? 何故死なん!?」
「茶番に付き合っている暇は無い。俺と彼女はやらなければならんことがあるのでな」
「ちぃっ!?」
本能的に身の危険を感じた盗賊頭は、殆ど反射的に後ろへ飛びのいた。屈辱的ではあるが、長年の経験から危険を感知する事に長けている彼は、地面に伸びている部下を見捨て、そのまま脱兎の如く逃げ出す。
「ち、畜生! 覚えてやがれ!」
お決まりの捨て台詞を吐きながら、盗賊頭は闇の中へと姿を消した。その姿が完全に消えるのを確認すると、白ずくめは、地面にへたり込んでいるカナリアの前までゆっくりと近づき、こう言った。
「よう、怪我は無ぇかい? 嬢ちゃん」
「スケルトン……さん?」
カナリアは目をぱちぱちさせ、その少し朴訥な声を思い出した。そうだ、この声はつい先程まで、自分の部屋に居た者と同じ声だ、と。
「全く、こんな夜中に飛び出したら危ねぇだろうが! そのまま追っかけてくる訳にもいかねぇし、随分準備に手間取っちまった」
「あ、それ……」
そこでカナリアは気が付いた。スケルトンの身を覆う使い古しのシーツとゴミ箱、どちらもカナリアの部屋に置いてある私物だ。
「わざわざ探しに来てくれたの?」
「あのまま放って置いたら、さすがに寝覚めが悪いしな。さて、嬢ちゃん立てるかい?」
そう言いながら、スケルトンはシーツの隙間から、古びたシーツよりなお白い、骨だけの手を差し出した。カナリアは少し躊躇した後、おずおずとその手を取った。生命の息吹が感じられないその腕が、今のカナリアには不思議と温かく感じられた。
そのまま二人は、酒場や宿屋、そして民家から漏れ出す、ぼんやりとした明かりに照らされた石造りの大通りを歩き、帰路に着いた。辺りに人影は殆ど無く、ただ二人の足音だけが宵闇の中にこつこつと響く。
「スケルトンさんって、意外と強いんですね」
「あのなぁ……俺だって、一応不死者の端くれなんだぞ? 特製の武器ならともかく、あんなごろつき共なんかに負ける訳ねぇだろうが」
スケルトンはプライドを傷つけられたようで、むすっと答えたが、その子供みたいな不貞腐れ方がなんだかおかしくて、カナリアはくすりと笑う。
「しかし、都合良く覆面つきの衣装が手に入って助かった。嬢ちゃんが釣り餌になってくれたことに感謝しねぇとな」
「私、別にそういうつもりじゃ……」
「そりゃ分かってる。でもまぁいいじゃねぇか。俺はこうして身を隠せる服が見つかり、嬢ちゃんは怪我一つ無い。悪党どもも成敗できて、結果的には一石三鳥だ」
上機嫌でスケルトンは笑う。今スケルトンが見につけている服は、盗賊達から巻き上げた物だ。盗賊頭は逃げてしまったが、その部下二人は身ぐるみ剥いで、縛って路地裏に転がしてある。朝になれば巡回の警備員か誰かが見つけるだろう。
「あー、その、なんだ、嬢ちゃん、ちょっといいか?」
「何ですか?」
先を歩いていたスケルトンが急に足を止めた。怒ったり、笑ったり、戸惑ったり、忙しい奴だなと思いつつ、カナリアは黙って次の言葉を待つ。
「その……悪かったな。怖い思いをさせて」
「もうちょっと具体的にお願いします」
「だからさ、嬢ちゃんを脅して、俺の言うことを聞かせようとした事だよ。ありゃ完全に俺が悪かった。俺としたことが、自分の利益ばっか考えて、女子供を脅すなんてクソみたいな事をしちまった。すまん」
そう言うと、スケルトンは深々と頭を下げた。そのストレートな物言いと、あまり人、いや相手は不死者だが、頭を下げられたことの無いカナリアは面食らう。
「もういいですよ。その後怖い思いから助けてくれたし、それで帳消しにします」
「さっすが嬢ちゃん! そんだけ器がでかけりゃ、お前さん史上最高の『聖女』になれるぜ!」
「あはは……何言ってるんですか」
急に調子付いた不死者のお世辞に、カナリアは苦笑する。先程あれほど恐ろしい思いをしたのに、この不死者と話していると、不思議とそれが和らいでいくような、何とも奇妙な感覚だ。
「嘘じゃねえって! 自慢じゃねぇが、俺は人の才能を見抜くのには自信あんだよ。俺が『こいつは絶対立派になる』って思った牛とか豚とか、皆丸々太った特級品になったからな!」
「え、私、牛や豚と同レベルなの!?」
「そりゃ言葉のあやって奴だ。けどよ、『銀は邪悪を祓う』って言うじゃねえか。自信もてよ嬢ちゃん。別に俺と一緒に行かなくてもいいけどよ、もっと広い世界に出てみろよ。見たことも無い綺麗な物、想像すら出来ない楽しい事、口に出来ないほど感動する事、抱えきれない程大量にあるぜ?」
「…………」
カナリアはスケルトンの言葉をただ黙って聞いていた。大嫌いだった鼠色の髪を、大好きな祖母が褒めてくれた事で、少しだけ好きになれた。その言葉と、同じ言葉をこの不死者は言ってくれた。
「……いいですよ」
「ん、何が?」
「トボーソ村の巡礼、行ってあげます」
「……マジで?」
「マジです」
「……本当に? ドッキリとかじゃなくて?」
「本当です。あんまりしつこいと行く気無くしますよ」
スケルトンはそれこそ骨格標本みたいな体勢で、馬鹿みたいに突っ立っていたが、唐突に、感極まってカナリアに抱きついた。
「嬢ちゃん話が分かるっ! お前は最高だっ! 流石、俺の見込んだ女っ!」
「ちょ、ちょっと! 抱きつかないで下さい! 骨ばってごつごつして痛いし!」
興奮したスケルトンを無理矢理引っぺがし、カナリアは苦笑した。無論、髪を褒められただけで決めた訳ではないが、少しの間なら、この変人と道中を共にするのも悪くない、そんな気がしたからだ。
「じゃあ嬢ちゃん、これからよろしくな」
「カナリア」
「ん? 何だって?」
「私、嬢ちゃんじゃなくて、名前はカナリアと言うんです」
カナリアは柔らかい笑顔でそう答えた。いつまでも『嬢ちゃん』だと他人行儀がする気がする。そして、今のカナリアはそれを好まなかった。
「ほう……カナリアか、良い名前だな」
「そっちは? あるんでしょ、名前」
「へへ、俺はギロチンと申します。未来の聖女様」
スケルトン――ギロチンは覆面を外し、王子様がお姫様にするかのように、気障ったらしく頭を垂れてそう名乗った。月明かりに照らされ、真っ白な頭蓋骨が、光を反射してさらに白く見える。落ち窪んだ眼窩には黒い靄のようなものが見え、肉も無いため表情は分からないが、カナリアには何となく笑っているように見えた。
「ふふ、似合わないなぁ……まぁいっか。ギロチンさん、これからよろしくね」
「おう! 全てこのギロチン様に任せておけ。経験豊富なこの俺が、しっかりとエスコートしてやるぜぇ!」
「卑猥な事言わないで下さいよ……」
「何でだよ!? おっと、そうだこれ」
ギロチンはシーツの間をごそごそとまさぐると、油紙に包まれた小さな袋を取り出し、カナリアの掌にぽんと置いた。
「何ですか? これ?」
「嬢ちゃん腹減ってるだろ? それでも食えよ」
そう言われ、カナリアは急に空腹を覚えた。昼の食事の時間はナナイにずっと張り付かれ、それからずっと何も食べていなかったのだ。可愛らしい桃色のリボンを解くと、中から甘く、香ばしい芳香がふんわりと漂う。
「わぁ凄い! 上物のクッキーだぁ! 私こんなの初めて見た!」
「へへ……昼間にちょっと情報を仕入れてな。何かに使えるかと思って調達しておいたのさ。そいつを手に入れるのはちょっと苦労したけどよ、俺からの詫びと礼だ、どんどん食ってくれや」
何処でどうやって手に入れたのか分からないが、今日は特別に街で泥棒騒ぎがあった訳でも無い事から、そこまで大事にはならない筈。少し後ろ暗い気もするが、これくらいの役得は神も許してくれるだろう。そう思いながら、カナリアはそのサクサクとした食感を楽しみ、ひもじい思いをした味覚を存分に躍らせた。
◇
「無い! 無いわ!?」
蜂蜜色の髪を振り乱し、悪鬼のような表情で、ナナイは部屋中を引っ掻き回す。前々から楽しみにしておいたとっておきの上物クッキー、中央選抜試験の記念に、今日こそ食べようと思っていたのに、何故かそれが忽然と消えていたのだ。
「あり得ない……絶対にあり得ないわ! 部屋に鍵はしっかり掛けてたし、パパにもママにも言ってないのに!?」
今日の昼、同級生にそんな事を自慢したような記憶はあるが、彼女らが来るはずも無いし、両親には自室にお菓子の持込を禁止されているため伝えていない、ドアの鍵もしっかり掛けていた。唯一開けていたのは小窓だが、骨と皮だけの人間が通れる程しか隙間は無い。だがそんな人間が、宿舎の二階によじ登って入れる体力がある筈も無い。
「鼠でも入ってきて食べたのかしら!? 鼠、ああ忌々しい鼠!」
結局、ナナイは鼠でも入ってきて中身を食べ、風か何かで袋が飛ばされたと無理矢理結論付けた。鼠というと、あの小生意気な少女の姿が思い浮かび、ナナイの心は余計ささくれ立つ。出立の門出を挫かれたのは腹立たしいが、これからの栄光の道を考えれば、クッキー程度些細な物だ。そう考えて何とか心を落ち着かせる。
「ふ、ふん! 何よクッキーくらい鼠にくれてやるわ! 覚えてなさい! 最後には誰が勝つかって、これ以上無いほどに見せ付けてやるわ!」
ぐちゃぐちゃに引っ掻き回され、誰も居ない部屋の中、ナナイの金切り声が空しく響き渡った。