第2話:自称・不死者の王
『その願い……叶えてやろうか……?』
地の底から響くような声が聞こえると、真っ白な腕がベッドの下から伸び、カナリアの腕を掴んだ。
「ひっ!?」
カナリアは短い悲鳴を上げ、顔を真っ青にする。自分を掴んだその腕は、あまりに白く、あまりに細く、肉が全く付いていない、人間の基盤となる物――白骨であった。
「な、ななな!?」
「クックック……声も出ないか」
思考の纏らないカナリアを手放し、ベッドの下から声の主が姿を現した。全身が真っ白な骨で構成されているが、頭蓋骨の部分には黒い靄のような物が漂い、それがただの白骨死体ではない事が見て取れる。流暢な言葉で喋るこの不気味な怪物、カナリアの記憶が確かなら――
「り、不死者!?」
「ほう……我が種族を知っているとは、中々博識だな……」
知っているも何も、カナリアの属する聖霊協会の大きな目的の一つ『邪悪かつ不浄なる物の浄化』、これは大気を漂う魔力が集まり、邪悪な意思と共に再びこの世に舞い戻り生者を襲う。『不死者』という存在を打ち払うことなのだ。この世界に於いて最も恐るべき物の一つ、それを滅ぼす機関が聖霊協会なのだ。
「な、何で!? この寮には破邪の結界があるはずなのに!?」
「破邪の結界? フン、そんなちゃちな物で、この高位不死者であるスケルトン・ロードたる私を食い止められるものか」
スケルトン・ロード等という種族は聞いたこともないが、この寮の結界を破れるならば、並の不死者ではない事は確かだ。少しでも距離を取ろうと、カナリアは必死でベッドの隅へと後ずさるが、不幸にもこの部屋のベッドは一番角の部分に設置してあるので、完全に隅へ追い詰められた形になる。
「だ、誰かぁー! 不死者が! 誰か! 誰か助けてぇ!」
カナリアは声を限りに助けを求めるが、人の気配はまるで感じられない。木造オンボロの寮でこんな大声を出せば、普段なら喧しいと誰か怒鳴り込んでくるはずなのに。
「ふはははははは! 無駄だ無駄だ! 我が『暗黒障壁』の領域の中では、貴様の叫び声など誰にも届かぬ! さぁ……大人しくするが良い」
見た感じ、別にどこも変わった感じはしないのだが、現にこれだけ叫んでも助けが来ないという事は、やはりこのスケルトン・ロードが何かをしているに違いない。カナリアは治癒の腕は優秀だが、破魔――実際の戦闘経験はまるでない。もはや叫ぶ気力も無くし、がたがたと身を震わせながら、目の前に立ちふさがる骨だけの体を見上げる。
「そうだ、大人しくしていれば危害は加えん。ただし、我と契約を結び、守ると誓うならばだがな」
「け、契約……?」
そこでカナリアは思い出した。悪魔や不死者は、心の弱い人間の前に姿を現し、契約を結ぶことがあると言う。けれど、相手の出す条件は、一見素晴らしく甘美な物に見えて、実は契約者を破滅させる甘い罠である。この不死者は自分の弱った心に付け込んで、堕落させようとしている。そう考えると、見習いとはいえ聖霊協会の一員として、一矢報いぬ訳には行かない。
「り、不死者め! 去りなさい!」
カナリアは目の前に立つ悪鬼を涙目で睨みつけると、震える手でベッドの脇へと手を伸ばし、壁に立てかけてある聖槌を手に取った。聖霊協会員に支給される一般的な破魔用道具で、見習いのカナリアに配られる時点でその能力はお察しだが、それでも無いよりはましだ。
「わっ! ちょっ! 危なっ! ……じゃなかった! わ、我の契約を……!」
「去りなさいっ! 去りなさいっ! 去ってよおぉ!」
カナリアは目を硬く閉じ、滅茶苦茶に棒を振り回す。スケルトン・ロードが何やら叫んでいるが、そんな事など耳に入らない。
「だ、だから落ち着け! ああもう! いい加減……あがっ!?」
ぱこーんという間抜けな音が響き、カナリアも自分の攻撃が命中したらしいことを確認すると、恐る恐る瞼を開く。そこには、壁際に転がった頭蓋骨を慌てて拾いに行く、隙だらけの後姿が見えた。
スケルトン・ロードは、ばたばたと不恰好に走りながら頭を拾い、慌てて元の位置に戻すと、何事も無かったように再び腕組みをしながら仁王立ちをし、厳かな口調で語りだした。
「ふむ……流石に聖霊協会の雛鳥だけはある、『払子』程度の武器で我に触れるとはな……だがその悪運もこれまでだ! 貴様の攻撃は、我に全く効いておらんのだからな!」
「ほっす……?」
カナリアは白骨がおかしな事を言っていることに気が付き、自分の手元を見る。手に持っていたものは、異国の魔を祓う道具――払子に似ているが全く別物、主に埃や塵を払う道具。世間一般に「ハタキ」と呼ばれる物を握っていた。
「いや、これハタキなんですけど……?」
「え……ハタキ? 払子じゃなくて?」
「うん……」
お互いの間に微妙な空気が流れる。目視しないで手を伸ばしたものだから、聖槌と一緒に壁に掛けていた掃除用のハタキの方を掴んでしまったらしい。カナリアはハタキをぽいっと投げ捨て、今度こそ聖槌に持ち替えた。その瞬間、自称・高位不死者は一歩壁際に後退した。
「ま、待て! 確かにその武器なら、私に多少のダメージは与えられるかもしれん。だが考えても見ろ、貴様が私にかすり傷を負わせたが最後、貴様の魂は未来永劫、地獄の業火の中で悶え苦しむことになるのだぞ!?」
「……えいっ」
「ひぃっ!?」
長ったらしい台詞を吐いたスケルトン・ロードとやらに、カナリアは聖槌の先端を威嚇するように突きつける。その先端が少し動くたびに、まるで毛虫の付いた棒を突きつけられた女の子みたいに悲鳴を上げながら、どんどん後退していく。
「き、貴様! その忌々しい棒切れで俺……じゃなかった我を攻撃すれば、本当の本当に後悔するぞ!? いいか? お前は我が『暗黒障壁』の術中にあるのだぞ? つ、つまり! ここで我の機嫌を損ねれば、この孤立した空間から二度と……!」
『あーもう! ここの寮、何でお風呂が年齢毎に時間帯分けられてるんだろ』
『ほんとほんと! しかも歳上な程、入浴時間長いなんてずるいよねー』
『どうせなら、部屋毎にお風呂があればいいのに……』
『あ、それいいね!』
安普請な建物の壁を突き抜けて文句を言う、くぐもった少女達の声が聞こえてきた。そして、カナリアはその会話で思い出した。考えてみれば、今はカナリア達の年齢の入浴時間だ、泣こうが叫ぼうが誰も居ないのは当然だ。
入浴を終えた同僚達が廊下を渡っていく間、部屋の中は終始無言だった。先程までの緊張感は空の彼方へ飛んで行き、カナリアと自称スケルトン・ロードは、お互いどう反応したものか様子を見つつ、馬鹿みたいに二人で突っ立っていた。
「じゃあ、そういう事なんで消えてもらいますね」
何がじゃあ、なのか自分でも良く分からなかったが。無性に苛立ちを覚えたカナリアが静かな怒りと共に聖槌を振りかぶる。目指す先は当然、これ以上無いほどに狼狽する、動く白骨死体だ。
「すんませんでしたぁー!!」
その動作に恐れを為した、自称・高位不死者のスケルトン・キングは、小柄な鼠色の髪をした少女相手に、大魔王にでもするかのような必死の土下座をした。