第1話:鼠色の金糸雀
ケツァール王国――緑豊かな自然と肥沃な大地、暖かな海流が育む、温暖湿潤な気候に恵まれた麗しき国。そんな国柄のせいか、住む国民達もまた穏やか。過去には戦争など血生臭い事もあったようだが、今となっては昔の話。けれど、人がこの世に生きる限り、『小さな戦争』はそこかしこに存在する――
「カナリア! ちょっとあんた聞いてるの!?」
「うるさいなぁ……聞いてるってば」
年季の入った木造の壁に吊るされた灯火が、廊下に佇む少女達を赤く照らす。既に夜の帳は落ち、辺りは静寂に包まれているが、そんな静けさを吹き飛ばす勢いで、背の高い蜂蜜色の髪をした少女が、くすんだ銀髪の小柄な少女に食って掛かる。
「あんたのその淡々とした態度が気に入らないわ! ちょっと成績がいいからって、あたしを見下すような目を向けるなんて生意気よ!」
「別に、あたしはナナイを見下して無いけど……」
「ほら! 『ナナイ』なんて言って! このナナイ様を呼び捨てですって!? たかだか平民風情が、貴族の娘であるあたし相手にいい度胸ね!」
カナリアは溜息を一つ付く。何でも一番でないと気に入らないこのお嬢様は、聖霊協会でも一番でないと気が済まないらしく、成績優秀な銀髪の少女、カナリアを目の敵にしているのだ。
「それで、その高貴なナナイ様が、下賎なあたしに何のご用なんですかね?」
カナリアは多少皮肉を込めて返答する。昼間、食堂で話しかけられた時に、いつもの嫌味を言われると思い、無視を決め込んだのがまずかった。寮の自室に逃げて時間稼ぎをすれば、翌朝には言いたい事をすっぽり忘れている鳥頭が、今日はどういう風の吹き回しなのか、ボロいから来たくない、と公言しているカナリアの部屋にわざわざ押しかけてきたのだ。
「あんたが調子に乗ってられるのも、ここまでだって事を言いたかったのよ。あたし、今年の中央の選抜試験を受けられる事になったの」
「え……?」
カナリアは虚を吐かれた表情になり、それと対象にナナイは口元を歪め、勝ち誇った顔を作る。
「そう、そしてあたしは中央本部へ正式編入され、いずれ『聖女』と呼ばれるのよ。こんな片田舎のしょぼくれた支部じゃなくてね! いくら成績優秀だろうと、あたしが選ばれたって事は、本当に優れているのは誰か、見る人は見てるってことね。じゃあね、田舎の大将様、御機嫌よう」
ナナイは一方的にそう捲くし立て、溜飲を下げたのか、上機嫌で踵を返す。ぼんやりとした明かりの中でも、なお金色に輝く豊かなその髪を、カナリアはただ無言で見送ることしか出来なかった。
「はぁ……」
カナリアは再び溜息を吐いたが、今度の物は先程よりずっと深い。嵐が去った緊張感と、それ以上の敗北感が胸を支配する。カナリアはふらふらと自室に戻ると、スプリングの聞いていないベッドへ向かい、ぼふっと身を投げ出した。
「うぅー……! 何でナナイが……!」
そのままベッドの上でうつ伏せになり、口惜しさに歯噛みする。ナナイに絡まれるのはいつもの事なので慣れているが、さすがに先程の宣言はカナリアにとって衝撃だった。聖霊協会中央本部への選抜試験は、カナリアの目標の一つであったからだ。
聖霊協会――この国で最も栄えている組織の一つ。その目的は『邪悪かつ不浄なる物の浄化』であり、『生きとし生ける者に安らぎを与える』をモットーに、慈善活動に力を入れている。そして、この世界の人々が持つ『魔力』と呼ばれる力を行使するための、知識と技術を学ぶ教育機関も兼ねている。国に対する影響力も強く、中央本部で活躍する、強い魔力や高い徳を持った高位の人間は『聖人』『聖女』などと呼ばれ、国宝級に取り扱われることすらある。
(別に聖女になんてなりたくないけど……でもやっぱり納得行かない!)
どこかの金髪は夢見ているようだが、別にカナリアはそんな物になりたいとは思っていないし、なれるとも思っていない。ただ、自分が中央本部に行けば、今より給金はずっと良くなり、実家に仕送りできる量もずっと増える。何より、都会に憧れないと言えば嘘になる。
この地方からの中央の選抜試験の受験枠は毎年一人のみ。それを横から、頭脳と引き換えに、天から授かった力の全てを、家柄と容姿に振り分けたようなお嬢様に掻っ攫われた。それが気に入らない。
「あーもうっ! やっぱり家柄……人間、金と権力なんだぁ……」
カナリアは一人ベッドの上で、子供のようにじたばたと手足を暴れさせたが、急に空しくなって動きを止めた。力尽きたように寝返りを打ち横向けになると、枕の上に中途半端な長さの鈍色の髪が広がっているのが見えた。
カナリアは自分の髪が好きではない、大好きな祖母は「銀には邪悪を祓う力が宿る」と褒めてくれたが、燦々(さんさん)と降り注ぐお日様の元でなら、輝く銀色に見えるその髪も、こんな薄暗い場所では鼠色にしか見えない。その小柄な体躯と地味な性格、そして髪の色から付いた仇名は「鼠色の金糸雀」だ。金糸雀というならナナイの方が余程それらしい。
騒いだところでどうにもならない。カナリアは、枕元に置いてある古ぼけた本にちらりと目を向け、それを手に取った。背表紙には『ケツァール王国昔話』と書いてあり、カナリアが小さな頃に、両親がプレゼントしてくれた物だ。その中でカナリアは、いや、この国の女の子の間では「白の王子様」という話が特に人気だった。
内容は簡単で、ある少女が悪い盗賊に攫われそうになったとき、全身白ずくめの青年が現れ、悪者を蹴散らす。自分の名前と生まれた国以外、全ての記憶を失っていた白い青年を哀れに思った少女は、彼を生まれ故郷へと送り届ける決意をする。
長い旅の末に青年の国へ辿りつくと、実は青年が王子様であることが判明。王様は王子である青年に王位を譲ろうとするが、王子様はそれを拒み、少女だけの王様になる事を望み、二人は末永く幸せに暮らしましたとさ、というお話だ。
「白の王子様でも来てくれて、どこかに連れて行ってくれればなぁ……」
ページをぱらぱらと捲りながらそんな事を呟いて、すぐに自嘲するように口元を歪める。これは御伽噺だ、現実にこんな事なんかある訳が無い。平凡な村娘は一生平凡で、お姫様は一生お姫様なのだから。
『その願い……叶えてやろうか……?』
不意に地の底から響くような声が聞こえ、驚いて辺りを見回すが誰も居ない。気のせいかと思い、再び空想の世界へ戻ろうと思ったその時、
「ひっ!?」
真っ白な腕がベッドの下から伸び、カナリアの腕を掴んだ――