少女を救出
少女との間、20m程の距離を置き、俺は少女を観察した。
少女の傍らに、しゃがんでいる黒い人影が見えた。
二人とも動かずに、じっとしている。
人影は少女の右手を握り、顔の辺りと少女の手首辺りが、細いものでつながっているのが見えた。
俺はベルトのバックルに隠したナイフを引き抜いた。
刃渡り五センチ程のタガーナイフ。
T字型になったそのナイフは、横棒の柄の部分を握ると、人差し指と中指の間から両刃の刃が出る仕組みになっていた。
足音を立てないように、二人に近づく。
動きを止めた。人影は男だった。二人をつないでいる細長い物は、男の口から伸びた、舌だった。赤黒くぬめるような光沢を放っている舌。
その舌が、少女の手首辺りに刺さっていた。どうやっているのか解らなかったが、その舌が手首の寸前でふくれ、そのふくらみが男の口内へと移動している。等間隔に、無数に、粘液質のそのふくらみは口内へと進んでいた。
男との距離は約五メートル。俺は一足飛びに男に向かって跳んだ。着地と同時に背中に向かってナイフを突き刺す。
遠慮する必要はなかった。相手は人間ではない。妖怪、あやかし、鬼、呼び名は色々あったが、俺は妖魔と呼んでいた。
「ぐはぁ!」
呼ぶと同時に男は背をのけぞらされる。少女の手首から外れた舌が、カメレオンのようにくるくると巻き取られ、口の中へ戻った。
妖魔。人に似てるが、人ではない存在。行方不明の人間を捜すのに、時々遭遇した。
奴等は人をさらい、血を吸ったり、精気を吸ったりする。時には肉を喰らう凶暴な奴もいるが、滅多にお目に掛ることはなかった。
今日の奴は凶暴だった。精気を吸い取られた少女は、骨と皮だけに近い状態となっていた。
血や精気を吸う奴は、大抵少ししか吸わない。吸われた本人も気が付かないほどの少量を吸って、糧とするのだ。
人間のほとんどは、その存在を知らなかった。いや、知っていても、認めようとはしなかった。人智を超えた存在など、この世にあってはならないのだ。
科学では証明できない犯罪は、迷宮入りとされ、忘れ去られてしまう。
ナイフを引き抜いた。妖魔の傷口から大量な血があふれ出た。
放出された血は霧となって、俺に襲いかかった。
視界が閉ざされる。
だが、目を閉じるわけにはいかなかった。閉じたとたんに反撃されるのは目に見ていた。
俺は二撃目を叩き込もうと、腕を引いた。だが、男の姿は消えていた。
立ち上がり、辺りを見回す。
やはり男はいなかった。気配も感じなかった。
血の霧を発生させ、俺の目を眩まさせ逃亡したのだろう。
バックルの中にナイフを仕舞い、俺は少女へと目を向けた。
精気を吸われたその顔は、骨に皮がへばりついてるという感じだった。
土気色の顔に眼嵩は落ち込み、目玉の部分だけが盛り上がっていた。
頬も歯に沿ってへこんでいた。
腕は枯れ枝のように細かった。
元はもっと艶やかだったであろう髪の毛は、老婆のように薄いグレーで変色していた。
閉じていた口が微かに震え出す。
俺は少女の傍らにしゃがみ込んだ。
「もう大丈夫だ、助けに来た」
耳元で言う。聞こえているかどうかは解らなかった。
「マ••マ•••••」
乾涸らびた唇が、微かな声を発した。
俺は尻ポケットから携帯を取り出し、登録されているボタンを押した。電話の相手は翔子だ。
相手が出ると返事も待たずに怒鳴る。
「救急車を呼んでくれ!ありったけの血液を持ってくるんだ!」
「ロスト、どこにいるの?」
突然背中に焼けるような痛みを感じた。
振り返ると、奴が立っていた。