序章 愛されない王女なんて、わたくしの辞書にはありませんわ
わたくしの人生は、いつだって春の日差しのように暖かく、砂糖菓子のように甘い愛と称賛で満ち溢れていました。
歩けばつぼみがほころんで花が咲き、微笑めば厳格な父様(国王)がデレデレになり、小さくくしゃみをすれば、周囲の騎士たちが脱兎のごとく駆け寄り、最高級のシルクのハンカチを差し出す。
それが、わたくし――ウルリカ・フォン・ローゼンバーグという存在です。
わたくしの故郷、ローゼンバーグ王国は「美と愛の国」と謳われています。その中でも、わたくしは「国宝級の愛され姫」として、蝶よ花よと、それはもう大切に育てられました。
ですから、隣国であるアークライド王国へ嫁ぐことになった時も、父様がお決めになった事ですし、わたくしは微塵も疑いもしませんでした。
新しい場所でも当然のように愛され、誰もがわたくしに優しく、幸せな日々が待っているのだと。
――そう、今のこの瞬間までは。
「いいか、よく聞けウルリカ!」
豪奢なシャンデリアが輝く、王太子の執務室。
本来ならば、長旅を終えた新妻を労い、新婚初夜の甘い愛を囁くはずのこの場所で、わたくしの夫となった王太子フレデリック様は、親の敵でも見るかのような形相でわたくしを睨みつけていました。
金髪碧眼の、絵本に出てくる王子様そのものの容姿。けれど、その眉間には深いシワが刻まれ、青い瞳には敵意が渦巻いています。
そして何より目を引くのは、彼の左腕にしがみついている、小動物のように震える女性の存在でした。
「父上の命令で結婚はしたが、私は君を愛するつもりなど毛頭ない! 私の心には、すでにアイナという最愛の女性がいるからだ!」
高らかに宣言された拒絶の言葉。
フレデリック様の腕の中、男爵令嬢だというアイナ様が、上目遣いでチラリとわたくしを見ました。
「きゃっ、殿下……そんなハッキリとおっしゃっては、ウルリカ様が可哀想ですわ……」
「構うものか。政略結婚とはいえ、愛のない生活を強いるなど私の美学に反する。アイナ、お前だけが私の癒やしだ」
「ああ、フレデリック様……」
二人はわたくしの目の前で、互いの体温を確かめ合うように抱きしめ合いました。
突きつけられた「愛人」の存在。初夜のすっぽかし宣言。そして、これ以上ないほどの冷遇。
普通の令嬢ならば、あまりの仕打ちにショックで泣き崩れるか、あるいは実家への侮辱だと怒りに震える場面でしょう。
しかし。
わたくしは扇でお口元を隠し、感嘆のため息を漏らしました。
「まあ……! なんて情熱的な愛の告白ですの!」
しん、と部屋の空気が凍りつきました。
抱き合っていた二人が動きを止め、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこちらを振り返ります。
「……は?」
「だってそうですでしょう? 出会って初日に、これほど包み隠さずご自身の心の内をさらけ出してくださるなんて。フレデリック様は、なんて誠実で、そしてシャイな方なのでしょう!」
わたくしは感動に打ち震え、キラキラとした瞳で夫を見つめました。
考えてもみてくださいませ。
政略結婚の相手に、最初から「愛している」と口先だけの嘘をつく殿方も多いはず。それはそれでスマートですが、愛の重みを感じません。
それなのに、この方はあえて大声で「愛さない」とおっしゃった。
これはつまり――『君のあまりの美しさと高貴なオーラに圧倒されて、直視することすらできない。まだ心の準備ができていないから、今は距離を置かせてほしい』という、不器用な男心の裏返しに違いありませんわ!
あまりに好きすぎると、逆にいじめたくなってしまう。初恋の少年のようで愛らしいではありませんか。
「殿下、わたくし、すべて理解いたしましたわ」
「り、理解したのか? ならば話は早――」
「ええ! つまり、まだわたくしの輝きに耐えられる自信がないのですね? 無理もありませんわ。わたくし、故郷でも『歩く美の女神』と呼ばれておりましたから、直視すると目が潰れると心配なさるお気持ち、よーく分かります」
にっこりと満面の笑みで肯定して差し上げると、フレデリック様は顔を真っ赤にして、ワナワナと震えだしました。
「ち、ちが……っ! お前は馬鹿なのか!? 俺は、お前のことなど眼中にない、指一本触れるつもりはないと言っているんだ!」
「うふふ、そんなに大きな声を出さなくても聞こえておりますわ。紳士的な宣言、感謝いたします。無理に触れて、殿下の心臓が止まってしまっては大変ですものね。わたくし、殿下のペースに合わせますから、どうぞご安心なさいませ」
「話が通じない……っ! なんだこの女は!」
フレデリック様が頭を抱えました。どうやらわたくしの深い慈愛に感極まってしまったようです。
さて、次はそちらの可愛らしい方にご挨拶をしなければ。
わたくしは、未だに殿下の腕にしがみついているアイナ様に歩み寄りました。
「ひっ……!」
アイナ様が怯えたように身を縮こまらせます。
まあ、なんてか弱い生き物なのでしょう。栗色のふわふわとした髪に、大きな瞳。まるで、わたくしの故郷の森にいたリスのようです。
きっと殿下は、慣れない結婚生活の緊張をほぐすために、この方を側に置いているのですね。いわゆる「アニマルセラピー」というやつでしょう。可愛いものは心を癒しますもの。
「アイナ様とおっしゃいましたね? 殿下のお世話係、ご苦労様ですわ」
「お、お世話係……?」
「ええ。殿下は少し情緒が不安定でいらっしゃるみたいだから、小動物のような可愛らしいあなたが側にいてくださると安心ですわね。急な環境の変化で、殿下が寂しくないようにしてくださる配慮、正妻として感謝しますわ」
わたくしは優しく微笑みかけました。
敵意などありません。だって、人間がペットに嫉妬するなんてありえませんもの。むしろ、夫のメンタルケアをしてくれるなんて、なんてありがたい存在でしょう。
「あ、そうだわ。今度、わたくしの故郷の最高級ビーフジャーキーを取り寄せて差し上げますわね。とても噛みごたえがあって美味しいのよ? きっとあなたのお口に合うはずだわ」
「は……、はあ……?(ジャーキー……? え、何言ってんの……?)」
ミナ様が口をパクパクさせて固まってしまいました。喜びのあまり言葉も出ないようです。
わたくしの完璧な対応に満足していると、限界を迎えたらしいフレデリック様が叫び声を上げました。
「ええい、もういい! 衛兵! 誰かあるか!」
バタン! と扉が開き、槍を持った衛兵たちが雪崩れ込んできます。
「この女を『北の離宮』へ連れて行け! 当分の間、そこから出すな! 私の視界に入れるな!」
「はっ!」
衛兵たちが困惑した顔でわたくしを取り囲みます。
これはいわゆる「離宮への幽閉(放置)」というやつでしょう。
薄暗い北の離宮に押し込め、反省を促すという、悪役令嬢ものでよく見る展開。
けれど、わたくしの目には「VIP待遇の新居へのご案内」としか映りません。
わたくしは優雅にカーテシーをしました。
「お気遣い痛み入ります。少し離れた静かな場所で、お互いの愛を育む準備期間ということですね。承知いたしました」
「……勝手にしろ!」
怒号を背に受けながら、わたくしは涼しい顔で執務室を後にしました。
(やはり精神的に不安定なのだわ。アイナ様がお側にいてくださって助かりますわね)
◇
案内された「北の離宮」は、王城の敷地内でも一番奥まった場所にありました。
長いこと使われていなかったのか、外壁には蔦が絡まり、庭には雑草が生い茂っています。衛兵たちは「こんな場所に王女様を……」と申し訳なさそうな顔をしていましたが、わたくしは胸を躍らせました。
(なんて趣のある建物かしら! まるで歴史ある古城のようですわ!)
ピカピカの王城も素敵ですが、こういう「隠れ家」のような雰囲気も悪くありません。
それに、殿下は「当分出すな」とおっしゃいました。
つまり、これから毎日、面倒な公務も王妃教育もなく、完全なる自由時間ということですわよね!?
重厚な扉を開け、埃っぽいホールへと足を踏み入れます。
そこには、一人の初老の女性と、数名の侍女たちが無表情で整列していました。
「……ようこそお越しくださいました、ウルリカ様。この北の離宮の管理を任されております、侍女長のマーサと申します」
氷のように冷たい声。
彼女たちの目は、「厄介者が来た」「早く追い出したい」と雄弁に語っています。おそらく、殿下かアイナ様から「王女を冷遇せよ」と申し付かっているのでしょう。
けれど、わたくしには通じません。
わたくしは侍女長の手を取り、パッと花が咲くような笑顔を向けました。
「まあ、マーサさん! なんて凛とした佇まいなの! あなたのようなベテランの方がいてくださるなんて、心強いですわ。これからわたくし、このお城でのんびりと休暇……いえ、新婚生活を楽しませていただきますから、仲良くしてくださいませ!」
「は……?」
マーサさんの鉄仮面のような表情が、ピクリと崩れました。
これから始まる離宮ライフ。
この広い王城には、まだ見ぬ素敵な人々がたくさんいるはずです。
騎士様、学者様、職人様……。わたくしの有り余る時間とわたくしに愛を捧げてくださる方は、きっと山ほどいることでしょう。
「ああ、楽しみですわ! きっとこの国の方々も、すぐにわたくしのことを大好きになってくださるに決まっていますもの!」
根拠? そんなもの必要ありません。
だって、わたくしが愛されないなんてこと、天地がひっくり返ってもありえませんから。
こうして、わたくしウルリカの、自由気ままで優雅な「離宮ライフ(という名の無自覚ハーレム建国記)」が幕を開けたのです。




