第二章 配分
配分机の上には、籠が三つ置かれていた。
籠の札は二種類しか許されないはずだが、三つ目は札の代わりに白紙の紙片が挟まれている。白紙は名称ではない。名称にしないための目印だ。
ノートンは配分机の端で、受領簿の写し束を開いた。
写し束の上端には収受番号が並ぶ。番号が並ぶのは、秩序のためではない。戻ってきた時に同じ番号を拾うためだ。
ハロウが籠を置き、紙を一枚だけずらして言った。
「これは、配分に乗せない」
白紙の紙片が挟まれた籠へ、その一枚が滑り込む。
籠は増やせない。だから札を増やさずに籠を増やす。増えた籠は、まだ籠のままだ。名前が付けば制度になる。制度になれば点検される。
ノートンはその一枚を見ないまま、確認だけした。
「収受番号は」
「振ってある」
番号が振られていれば、経路は生きている。
生きている経路は、止まっている中身を抱えてでも前へ回る。
配分は、宛先ごとに分ける作業だ。
宛先の末尾は、どの紙も同じ名義へ収束する。名義は目的地ではない。目的地として扱うと、目的地が人になる。ここでは人にしない。
ノートンは一通ずつ、宛先経路の中段だけを追った。
諮問機関内の担当、法務・公開責任系、財務系、軍需窓口、そして「上呈」。上呈という語は、経路の終点を示す記号だ。終点の先は、ここでは扱わない。
封筒の束が、机上で薄く扇形になる。
扇形になるのは、角が揃っていないからだ。角が揃っていない束は、運搬の途中でずれる。ずれた束は一枚落ちる。一枚落ちると、欠落になる。
ノートンは角を揃え、籠へ落とし込んだ。
籠には札が付く。
・法務・公開責任系
・財務系
・諮問機関内(経路継続)
・上呈前(白紙)
上呈前の白紙は、名称を拒む。
拒めるのは今だけだ。
運搬係が待っている。
ノートンは渡す前に、籠の中の一枚を指で押さえた。押さえるのは、抜けを防ぐための動作で、意味は持たない。
運搬係へ、法務の籠を渡す。財務の籠を渡す。
最後に諮問機関内の籠を渡す。白紙の籠は渡さない。白紙は“ここに置く”。
ハロウが、小さく言った。
「上呈前、増えているな」
増えている、は評価語ではない。物理の確認だ。
ノートンは答えを短くした。
「置ける限り置く」
置ける限り。
置けなくなった時に初めて、札が必要になる。札が必要になった瞬間、紙は制度の外へはみ出す。
運搬係が籠を抱えて出ていく。
扉が閉じる前に、別の運搬係が入ってきた。今度は返送の束。返送は差し戻しではない。返送は「こちらへ戻された」だけの工程だ。
束の一番上は、薄い紙だった。
返送票。定型文だけが並ぶ。
・形式不足
・添付不備
・経路不一致
・再提出要
理由は書かれていない。
理由が無いのは、理由が不要だからではない。理由を書くと、誰かの判断が混じるからだ。
ノートンは返送票の収受番号を拾い、受領簿の写し束と照合した。
一致した番号に、返送印を押す。返送印は、終わりではない。戻ったという事実の印だ。
白紙の籠が、机の端で重くなる。
重くなるほど、白紙は白紙でいられなくなる。
返送束の角には、乾ききらない糊の匂いが残っていた。
封筒を閉じ直した痕跡があるものほど、経路の途中で一度止まっている。止まった理由はここでは扱わない。止まったという事実だけが、番号に付いて戻る。
ノートンは返送票の上端に押された到達印を確認し、受領簿の写し束に視線を落とした。
照合は機械的で、手の動きだけが一定だ。一定でない動きは、抜けを作る。
一致。
一致した行に、返送の工程印。
印を押した直後、返送票は束から切り離され、返送函へ入る。返送票は返送のための紙であって、理由の紙ではない。
ハロウが、白紙の籠を指で押さえたまま言った。
「これ、どこにも回らないぞ」
「回す札が無い」
「札を作ると、点検が来る」
「来る」
短い確認だけが続く。
結論は出ない。出す権限が無い。
白紙の籠の中身は、薄い紙が多い。薄い紙は添付が少ない。添付が少ない紙は、起案側が「軽い」と判断している。軽い判断は、経路の後半で重くなる。
ノートンは白紙の籠から一通だけ引き抜き、宛先経路の中段を見た。
上呈前、と書かれた欄の先が空いている。空欄は形式不備ではない。経路の空欄は「まだ決まっていない」という形式だ。形式として許されている空白は、最も扱いに困る。
ノートンはその一通を籠へ戻し、籠の縁に指を置いた。指を置くのは、籠を押し戻すためではない。揺れを止めるためだ。
運搬係が、諮問機関内の配分を回り終えて戻ってきた。籠は空だが、紙が一枚だけ手に残っている。
「受理番号が無いものが混ざってました」
ノートンはその紙を受け取り、封筒の表を見た。
到達印はある。起案課の印もある。だが、収受番号欄が空白だ。
番号が無い紙は、経路の外側にいる。
外側にいる紙は、どこへでも紛れられる。
ノートンは受領簿の写し束を開き、到達印の日付と起案課を拾った。
一致する行は無い。無いという事実が確定した段階で、することは決まる。
「受理に戻す」
運搬係が頷き、紙を受け取ろうとした。
ノートンはその手に渡す前に、紙の端へ仮の識別符号を鉛筆で付けた。番号ではない。番号にすると、受理したことになる。識別は、受理前の工程のための印だ。
運搬係が出ていく。
室内に残るのは、配分済みの空籠と、白紙の籠の重さだけ。
ハロウが、返送束を軽く叩いた。
「返送が増えると、配分が遅れる」
「遅れると、白紙が増える」
「白紙が増えると、札が必要になる」
「札が必要になると、点検が来る」
会話はここで止まる。
「だからどうする」へ行けない。行けば、誰かが決める必要がある。
扉が開き、無名の書記が顔を出した。手には短い通達票。
「配分台、上呈前の扱いを統一するように、と」
通達票の文面は短い。
| 上呈前案件は「保留」へ分類
| 札は増やさないこと
| 当日分の配分を優先すること
保留。
保留という札はすでにある。ある札に押し込む指示だ。押し込めば、白紙は白紙でいられる。代わりに、保留が重くなる。
ノートンは通達票を受け取り、写し束の間に挟んだ。通達票は掲示してもよいが、掲示は増える。増える掲示は、増える規則に見える。規則は紙を呼ぶ。
白紙の籠の紙を、保留籠へ移す。
移す動作は静かで、音だけが大きい。紙が擦れる音は、どの札より確実に増えた量を伝える。
移し終えると、白紙の籠が空になった。
空になった籠は、空になっただけだ。問題が解決したわけではない。問題という言い方もここではしない。工程が一つ進んだだけだ。
ハロウが、保留籠の札を見て言った。
「保留が増えた」
「増えた」
「数は」
「数えない」
ノートンは保留籠を受理台の隣へ移し、札が見えるようにだけ置いた。
見えるように置くのは、見えなくなると落ちるからだ。落ちた紙は、欠落になる。
配分机の上は、また平らになった。
平らになった机ほど、次の束を迎える準備ができる。




