婚約者から不貞を疑われています
完全なるラブコメです。
「エリザ!君との婚約を破棄する!」
学園の食堂で友人と昼食をとっていたエリザ・スレンサー伯爵令嬢の前に歩み寄り、彼女の婚約者であるレオルド・シグルス侯爵令息は食堂に響き渡る声でそう宣言した。
それまでお喋りに花を咲かせていた生徒達は静まり返り、一斉に二人に注目する。
レオルド・シグルス侯爵令息とエリザ・スレンサー伯爵令嬢は、この学園ではなかなか有名な二人だった。
金髪碧眼の王子様のような見た目に文武両道であるレオルドと、いつも美しい笑みを絶やさずマナーも完璧な淑女の鑑と言われるようなエリザはお似合いのカップルとして学園の生徒の憧れであった。
そんな二人が婚約破棄とは一体どういうことだろうかと戸惑いと好奇の目が集まっていた。
そして、そんな周りよりも、突然婚約破棄を告げられたエリザの方がもっと戸惑っていた。
「な、なぜ、ですか…?私に何か至らない点がありましたか…?」
眉を下げて問うエリザに、レオルドは眉間をぎゅっと寄せて怒りをあらわにする。
「しらを切るつもりか!!私は全て知っているんだぞ!」
「えっと…?何をでしょうか」
さっぱり心当たりのないエリザが首を傾げていると、レオルドの後ろから桃色の髪の令嬢がとことこと近づいてきた。
「エリザさん。ごめんなさい~」
「クラリスさん」
桃色の髪の令嬢――クラリス・ロリフアナ子爵令嬢が謝罪の言葉を口にしながらレオルドの横に並ぶ。
しかし、言葉と裏腹にちっとも悪いと思ってなさそうに口の端に笑みが乗っている。
「私、レオルド様にぜぇんぶお話ししたんです。今までのエリザさんがなさってきたこと」
「私がしてきたこと?」
クラリスは意味ありげににこぉっと微笑む。
「エリザ様がレオルド様に隠れて別の男性に頻繁に会いに行ってることですよ」
クラリスの言葉に、周りがざわつく。淑女の鑑と言われて高位貴族のご婦人方からも可愛がられているエリザが、婚約者以外の男と逢引きしているのが本当のことならば大スキャンダルである。
不貞があったならば、レオルドが婚約破棄を言い出すのも当然の話だ。
周りがエリザに疑いの視線を向けたとき、バン!とテーブルを叩いて立ち上がる者がいた。
「ちょっとクラリスさん、適当なこと言わないで。言いがかりをつけてエリザを貶めるつもり?」
エリザとともに昼食をとっていた、マチルダ・スチュワート伯爵令嬢である。
学園の女子寮で同室であり、クラスも一緒のエリザとマチルダは仲が良い。
親友を侮辱されて思わず令嬢にあるまじき感情的な行動をとるほど、彼女は怒っていた。
しかし、クラリスはマチルダに睨まれても動じず、にこりと笑った。
「あらぁ、私よりもマチルダさんの方がもっと詳しいのでは?だって、女子寮でよくエリザさんがお相手の男性の話を楽しそうになさってるのを聞いて差し上げてますものね?」
「なっ…」
「マチルダ嬢。君も知っていたのか。エリザの浮気のこと」
レオルドは鋭い視線をマチルダに向ける。
「う、浮気だなんて!そんなわけがないじゃないですか!!だって…」
「浮気じゃなくて何なんですか?昨夜も外泊していたみたいですし、週に一度はその方の元にお泊りになっているんでしょう?」
「はぁ!?何でエリザの外泊のこと知ってるのよ!?貴女、私たちの会話を盗み聞きしているの!?」
「ほらほら、レオルド様ぁ。マチルダさん認めましたよ、外泊のこと」
「エリザ…。やはり君は…」
「ちょ、ちょちょちょっとお待ちになって!!」
自分のことなのに置いてけぼりになっていたエリザがバッと両手を前に突き出して『待て』のポーズをとる。
「一度話を整理してもいいかしら!?」
「エリザさんたら言い訳タイムですか~?レオルド様に謝罪するのが先だと思うんですけどぉ」
エリザはクラリスを無視して不機嫌そうに顔を歪めるレオルドの目を見つめる。
「まず、外泊の事ですが、泊ったのはシグルス侯爵邸であることはレオルド様もご存じですよね?」
シグルス侯爵邸―――レオルドの実家である。
え?そうなの?と周りの生徒たちは驚きの表情を浮かべる。
婚約者の家に泊まったならば浮気じゃないじゃん。勘違いか?と彼らは思った。
「当然知っている。母上に呼ばれて結婚式に身に着けるアクセサリーを選んでいたのだろう」
「そうですわ。ですから浮気などと…」
「だが!!」
エリザの声をぶった切って、レオルドは叫ぶ。
「だが!!泊まる必要がどこにあると言うんだ!?夕食を共にとってそのまま寮に戻ると聞いていたのに、何故泊まったんだ!?ついでに聞くが、君は侯爵邸のどの部屋に泊まったんだ!?」
質問の意味がわからない。周りの生徒たちはレオルドが何を言いたいのかさっぱりだった。
その疑問に答えたのは、エリザでもレオルドでもなく、クラリスだった。
「レオルド様の弟さんのお部屋にお泊まりになったんですよね?」
「えっ、どうして知って…」
「今朝、女子寮の食堂で朝ご飯を食べていたらエリザさんとマチルダさんのお話が聞こえてきたんですよ~。朝まで抱き合った状態で寝ていたから肩が凝ったって」
「貴女やっぱり私をエリザの話を盗み聞きしてたのね!?」
「聞いたのはそれだけじゃないですよぉ。どうしても帰らないでとお願いされて流されて一夜を共にしてしまったとか、一緒に湯浴みをしたとか~」
周りの生徒たちはピーンときた。浮気相手=レオルドの弟なのか!と。
レオルドの弟ならばレオルドと似て美青年なのであろう。美青年から帰らないでと懇願されたら流されるのも仕方ないかも…と周りの令嬢たちはちょっとエリザを羨む視線を送る。
「一緒に寝るだけならまだしも、湯、湯浴みまで…」
レオルドは拳を握りしめてぷるぷると震えている。
自分の愛しく思っていた婚約者が、よりによって信頼していた自分の弟と浮気をしているなんて、これ以上ない裏切りだ。
クラリスはにやりと口角を持ち上げて笑うと、レオルドの肩にそっと自分の手を添える。
「おかわいそうなレオルド様。私ならレオルド様を裏切ったりしないのに…」
クラリスは心の中でガッツポーズをしていた。
よっしゃ!これでレオルドをエリザから奪える!と。
クラリスは学園に入学してからずっと、レオルドが好きだった。
何とかしてレオルドと婚約できないかと父に頼んで侯爵家に婚約の打診をしてもらったり、レオルドの友人に取り入って紹介してもらおうとしたり、色々と手をつくしていた。
レオルドを自分以上に愛している人間はいないと自負している。
それなのに、レオルドは母親同士が親友だからとかいう訳のわからない理由でエリザと婚約してしまった。しかも、二人は憧れのカップルとか呼ばれて…悔しかった。
なんとかエリザの弱みを見つけられないかと、クラリスはエリザをそれとなく監視していた。
そしてついに掴んだのだ。エリザの不貞という事実を。
このまま二人が婚約解消してしまえば、うまく傷心のレオルドに付け行って自分が婚約者になる事も夢じゃない。桃色の髪に青い瞳の可愛らしいクラリスが献身的に寄り添えば、落とせない男はいないに違いないのだ。
クラリスがそんな事を考えながらほくそ笑んでいると、エリザが首を傾げながら言った。
「あの…。確かにルーファス様と一緒に湯浴みをしたり寝たりはしましたが…、何かまずかったでしょうか?」
「まずかったか…だと!?」
婚約者の弟とそれだけのことをしておいて、開き直るわけぇ?家族になるんだからとか苦しい言い訳タイムにはいるのかなぁ?
クラリスは墓穴を掘っていくエリザと怒りの表情のレオルドをにやにやと眺める。
「そもそも…それだけじゃないだろう!他にも私に隠れてルーファスと色々としているだろう!!」
「えっ…と…色々と言いますと…」
「例えば呼び方もそうだ!今は『ルーファス様』とか他人行儀な呼び方をしているが、いつもは何と呼んでいる!?」
「え…それは…」
エリザが少しだけ照れたように顔を赤く染め、小声で答える。
「『ルー君』です…」
「そうだろう!?なんだその愛称は!?まるきり恋人同士じゃないか!!」
「い、いえそれはだって…」
「それから、私に内緒でルーファスと街に買い物に行ったそうだな!?」
「い、行きましたけど、でも…」
「さらに、侯爵邸の庭で膝枕をしながら日向ぼっこをしたそうだな!?」
「えっ…ああ、確かにそんな事もあったかも知れませんが、その時は…」
「言い訳は良い!!君はどうせ私よりもル-ファスと結婚したいんだろう!!」
レオルドは怒りで顔を真っ赤にしながらエリザに詰め寄る。
エリザは困った顔でなだめる様に「そんなことないですよ」とレオルドに言う。
「そんなことあるだろう!!君は婚約者である私よりもルーファスとばかり一緒にいるし、私といるときよりも楽しそうじゃないか!愛称で呼び合ったり、デートしたり、ゆ、湯浴みしたり、一緒に寝たり、私としたことがない事ばかりルーファスと…!!くそっ…!!」
ぶつぶつと恨めし気に呟くレオルドに、周りの生徒たちはおや?と思った。
レオルドは怒っているわけではなく拗ねているだけなのでは、と。
「も、申し訳ありません、レオルド様。そんなに気にされてるとは思わなくて…」
「自分以外の男とそれだけ仲良くされて気にしないわけがないだろう!?」
「男と言いましても、ルーファス様は将来義弟になりますし、それに」
「義弟と言っても浮気に変わりないですよ!!年頃の男女が一緒に夜を過ごすなんてありえませんもの!」
このままエリザを許してしまいそうな雰囲気のレオルドの様子を感じ取り、クラリスが声を上げる。
すると、マチルダがため息交じりに言う。
「クラリスさん、さっきから聞いてれば、貴女何か勘違いなさっているのではなくて?」
「な、何が勘違いなのよ!!」
「貴女、ルーファス様をどんなお方だと思っているの?」
「どんなって、レオルド様の弟なら、見目麗しい青年でしょう!?」
マチルダがもう一度ため息をつき、レオルドに聞く。
「ルーファス様のご年齢はおいくつですか?」と。
レオルドは質問の意図がわからず首を傾げながら答える。
「5歳だが」
シーン、と食堂が再び静寂に包まれる。
5歳って、5歳って。
おい誰だよ、不貞とか言ったの。5歳児相手に不貞も何もねぇだろ、と誰もが思った。
「ね?クラリスさんわかった?5歳の子と湯浴みしたり一緒に寝ることが不貞になる?」
「ぐ、ぐぬぬ…」
クラリスは盛大に勘違いしていた。
元々エリザの弱みを探していたのだから、話を聞いたとき瞬時に不貞だと思い込んでしまったのだ。
しかも、そのあと親切ぶってエリザとレオルドの弟との浮気話をレオルドに告げ口したとき、レオルドが「ルーファスめ…!」と怒りの表情を浮かべるものだから、まさか5歳相手にそんな反応をするとは思わず、1歳か2歳下くらいかなぁと思っていた。
「5歳だからとか、そんな事は関係ない…!エリザが私以外とそんな事をしていたということは事実なのだから」
レオルドは拗ねたように口を尖らせて言う。
「私だってエリザと愛称で呼び合いたいしデートしたいし膝枕もしたいし、ゆ、ゆ…み…も…」
レオルドの声はだんだんと小さくなっていき、顔はどんどんと赤くなっていく。
エリザは「あらあら」と頬に手を添えて呟いてから、レオルドに微笑みかける。
「それではこれから『レオ君』と呼びますね。私のことは『エリー』でどうでしょうか」
「…うん」
「それと、気になっているカフェがあるのですけれど、今度のお休みに一緒に行っていただけませんか?」
「…構わない」
「仰ってくださればいつでも膝をお貸ししますわ」
「…借りる」
にこにこと微笑みながら語り掛けるエリザと、赤い顔でこくこくと頷きながら短く返すレオルド。
なんか惚気モードに入ってきたな…と周りは顔を逸らし始める。
なんだか聞いている方が恥ずかしくなってくる。
「それから湯浴みと添い寝ですけど…これは結婚後に毎日するというのでは駄目ですか?」
「ま、まいにち…」
語彙力が欠如して幼児にようになってしまったレオルドが顔をさらに赤くする。
「ですから、婚約破棄はしないでほしいのですけど…」
「しない。エリーと結婚する」
ぶんぶんと首を縦に振るレオルドの手にそっと触れ、「嬉しい」と頬を赤く染めるエリザ。
「なによこれ…」
クラリスは目の前で繰り広げられるやり取りを呆然と見つめる。
そんな彼女の肩をぽんと叩いたのはマチルダだ。
「貴女のおかげで二人の絆はより強固になったみたいね。グッジョブ」
「な、な、な、なんでぇぇ…」
「まあまあ、元気出しなさいよ。ぶりっ子はモテるし、他の男ならいくらでもひっかけられるわよ」
「な、慰める気ないでしょう…!」
そんなやり取りの後ろで、レオルドとエリザは愛し気に見つめ合っていた。
この出来事を経て、二人はさらに憧れのラブラブカップルとして学園で有名になり、卒業後すぐに結婚した。
結婚後に毎日湯浴みをして添い寝をしているのかどうかは二人だけの秘密である。
最後までお読みいただきありがとうございました。




