幽霊秘書アズコ
家を出て、拾い物を集めて作った自家製のマウンテンバイクに乗り、十五分ほど行ったところに、三階建てのビルがある。
大鋸屑ビルディング。それがこのビルの名前らしい。
塗装は所々剥がれ、テナント用の看板は色褪せている。
一階には青い看板で有名なコンビニ。
三階には甘い雰囲気を漂わせるスナック「楓」。
その真ん中に位置するのが目的地の「六宝霊能相談所」である。
入口を通ると、手前には階段。もう数歩入った所にエレベーターがある。
照明がチカチカと光って少し薄気味悪い雰囲気で、逆に階段は明かりがひとつもついていない。
ユウは、ひとまず少しでも明るさのあるエレベーターを選んだ。
ワイヤーが悲鳴のような音を上げながら二階へと運んでいく。
二階に着くと、ビルの色とほぼ同じシンプルなドアが一枚。上側には『六宝霊能相談所』の文字がある。
直接鍵が付いていて、回すタイプの古いドアノブ。
チャイムが備え付けられていない事を除けば、特に変な様子もない。
ひとまずノックをしてみる。
「あのー初めましてー。電話でお話しさせてもらった瀬世良木ですけどー」
反応はない。ドアに耳を当ててみても、人が動いているような音も聞こえない。
「本当に誰かいるのかこれ?」
疑わしい気持ちを持ちながらもドアノブに手を触れようとした瞬間だった。
鈍い音を立てながら、ゆっくりとドアノブが回った。開いていくドアを覗いてみると、そこには誰もいない。
中は真夜中よりも暗い真っ暗な空間。明かりのない洞窟の様に深さがわからない。事務所ならいわゆるビジネスオフィスのような光景が広がってそうなものだが、そんなものなど全く目に入らない。
「すいません。少しお退き頂けますか。瀬世良木様。あなた、邪魔ですよ」
女の子の声が、ユウの腹の辺りから聞こえた。
その声の聞こえるまま、目線を下に移すと、立っていたのは身長168cmのユウの丁度半分ぐらいの、年齢は十歳にも満たないであろう程の小さな少女。
白い着物、うっすらと水色のラインが入っている。お尻に届くぐらいの長髪は、着物と同じ色。赤い帯を後ろでリボンのように巻き、素足のまま下駄を履いている。
到底、現代の女の子が一般的な見た目からはかけ離れているといえる。
「あっ……すいません。キミは?」
ユウは一歩下がりながら尋ねた。
女の子はドアを完全に開くと右手を差し出す。
「私はアズコです。見た目は可愛らしいですが、あなたより何十倍も年上ですので、言葉遣いにはお気をつけて」
変な子だな。まあ霊能相談所ってぐらいだ。こういう子がいてもおかしくない、のか?
まあオママゴトみたいなものだと思おう。
あんまりツッコミすぎるのも、悪いし。
ユウは、はしゃぐ幼稚園児を相手を宥めるように、アズコの手を握った。
「はい。よろしくお願いします。アズコさん…。ってえええ?」
ユウはすぐさまアズコの手を離した。
その手は、およそ人間の暖かさを感じさせず、それどころか、氷がパンパンに敷き詰められた水槽に手を突っ込んだと錯覚するほどの冷たさを持っていた。
驚くユウに、アズコは少し不機嫌そうな顔をしている。
「だから言いましたよね?私はあなたの何十倍も年上だと」
「い……いやいやいやいや。これってそんな年上だとか何だとかっていうレベルじゃ……あなたは一体何者ですか?」
「私はアズコ。六宝様の専属幽霊秘書です」
にっこりと笑うアズコ。
対照的に、ユウの血の気が引いていく。
幽霊秘書、ということは、今僕は幽霊と話してるのか?幽霊なんているわけ……いや、そもそも僕がここに来た理由は……。でも、いや……うん、もう僕には何が何だか……。
ユウは考える事を辞めた。
このままここで逃げたところで、良い未来など待っていないのは分かる。
ならば全てを受け入れる。それしか無い。
「ご理解頂けましたら、私の手を取ってください。今度は離すことのない様に。もし離したら、即死ですよ」
即死、という強い言葉にも、ユウの頭は不思議と妙に冷静だった。冷静、というよりも麻痺の方が近いのかも知れないが。
「もうどうにでもなれ」
そう呟きながら、ユウはアズコの手を握った。
「では、参りましょうか。六宝様の元へ」
ユウは扉の中へと吸い込まれるように入って行った。
完全にユウが中に入ったところで、扉は一人でにパタンと閉まった。
明かりも無く、真っ暗な世界。
手を握っているはずのアズコの顔すら見えない。
目線の先、地平線程に離れた場所に小さな点の様な光があるのが見える。
「ここは、私アズコが作った結界。ここではユウ様に取り憑いた弱い霊を落とします。霊の現象に悩まされる者は、沢山の霊を呼んでしまうこともありますので。
分かりやすく言えば、美味しそうな血に群がる蚊みたいなものですよ。
そしてなにより、六宝様は雑魚を相手にするのがお嫌いです。ですので、ここを超えた霊のみを六宝様の元へとお連れする決まりになっております。
ユウ様にして頂くことは簡単です。あの光に向かってまっすぐ歩いてもらうだけです。
ただ少しだけ、簡単なルールがございます。
私の手を離さない。
一言も発さない。
絶対に走らない。
決して振り返らない。
この四つのどれかを破ると、あらラッキー、ユウ様は即死です」
顔は全く見えないが、人の気も知らず、楽しそうにニコニコしているんだろう。
ユウはそう察すると、小刻みに頷いていた。
「では、参りましょうか。ご安心ください。すぐに終わりますから」
一つ深呼吸をすると、ユウとアズコはゆっくりと闇の中を踏み出した。
足元には地面の感触すらなく、踏みしめているのかすらも分からない。ただ、アズコの手の冷たさだけが、現実との接点を保ってくれていた。
必然的に、アズコの手を握る力が強くなる。
耳元で、囁きが聞こえてくる。
「寂しい……寂しい……」
「どうして……あの時……」
「母さん……母さん……」
夢で聞いた声に近い、でももっと遠くにいるような、耳を澄まさないとしっかりと聞き取れ無い程度の声量だ。
その声に集中していると、突然誰かに肩を掴まれた。
「こっちを向け」
人間にしては細い手。だが、引きちぎられてしまうのではないかと思うぐらいの力がある。
ユウは恐怖におののきながらも、振り向かずに歩を進めた。
その手は、ユウが一歩進むたびに増えていく。足首、手首、腰、そして首と、ユウの自由を奪って行く。
気づけば、ユウは完全に身動きが取れない状態になっていた。
こっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向け
こっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向け
こっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向け
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こっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向けこっちを向け
脳を覆い尽くすほどの大きな声。
光が遠い。
恐い。恐い。苦しい。苦しい。
もう何も考えられない。早く楽になりたい。振り向いてしまえばそれで済むって言うのか?
息が乱れる。意識が遠のく。
誰か。誰か。
「ユウ様、落ち着いてください。大丈夫。こいつらはただの雑魚ですから」
大群衆の中にいても確かに届いたのは、アズコの声だった。
その瞬間、声は止み、体がふっと軽くなった。
ユウが一歩を踏み出すと、視界には光が広がっていった。
目に入って来たのは、三つの机。二つはお互いに向き合うように設置され、その奥に一つ置かれている。どれも整頓されてるとは言えず、本や資料のようなものが乱雑に置かれている。
「あっ、そういえば、さっきはありがとうございま……ってあれ?」
辺りを見回すが、アズコの姿は既に無かった。
「待ってたよ。瀬世良木 勇君。意外と早かったね」
奥の机には、男が一人座っていた。
無造作に生えた金髪。鋭い目は緑の色をしている。長い足を机に乗せ、まるで友達を出迎えるかのように笑っている。
「電話でも挨拶したけどさ、僕が久我 六宝。この事務所でたった一人の霊能師だ。まっ、そもそも僕とアズコしかいないんだけどね。ハハハ!あっ、笑ってくれていいよ?」
「いや、こんな状況で笑えるわけないでしょ」
「キミは真面目だね。まっ、ちゃっちゃと進めよっか。キミが死んじゃう前にね」
これだけ追い詰められてるというのに、ひどく楽観的な六宝を見てユウは思った。
僕、助からないかも。と。