縄の使い方
瀬世良木 勇は、幽霊など信じてはいなかった。
当然、生まれてこのかた幽霊なんて見た事はないし、むしろ詐欺やネズミ講と同じ、人を騙してお金を稼ぐためのツールでしかないと思っている。
「自分に霊感がある」なんてことを言う奴は軒並み詐欺師だと言い切れるほどだ。
ユウの母恵美は、霊能者を名乗る男に「あなたには白い蛇の守護霊がついているから、何でも願いが叶いますよ」と言われ、挙句の果てにはその力を強めるためだと騙され、ヘビに合わせた白色のブレスレットを五百万円で購入させられた。
恵美は嬉しそうに毎日それを身に付けていたが、当然ながら、効果を感じる機会は訪れなかった。
宝くじが当たるわけなんてことも無く、ボロボロの狭いアパートからはゴキブリが出続けた。
何か変わったことがあるといえば、恵美の体が少しだけふくよかになったぐらい。それどころか、瀬世良木家は間違いなく不幸になった。
事実、ユウが五歳の誕生日を迎えたその日。
恵美は首を吊って死んだ。
理由は未だに不明。
警察の調査によると、借金や一人での子育てに苦しんだ結果だろうということで処理された。
縄に吊るされた恵美の顔は、未だにユウの胸に残っていて、時々思い出しては、ユウの眠りを妨げている。
恵美は、いわゆる一般的な“いい母親”とは言えなかった。気分屋で、男にだらしなくて、仕事も続かない。
ただ、ユウのことは何よりも大好きだったし、ユウ自身もたった一人の母親のことを大事に思っていた。
裕福ではないけど、楽しい生活。到底、自殺するものとは思えなかった。
しかし結果的に恵美は死に、唯一残されたのは、ゴミ同然のブレスレットと、多額の借金のみ。
ブレスレットなど捨ててしまおうと思ったが、それをしてしまえば恵美は本当に詐欺に負けてしまったと認めてしまう気がして、出来なかった。
それから時間は経ち、ユウは一応合格した高校にもほとんど通えず、家賃と生活費と借金に追われながらのバイト生活を送っている。
物なんて買う余裕もなく、ほとんどが恵美が用意していたものをいまだに使っている。
お下がりの型落ちスマホなんかは良い例だ。
恵美を恨んではいない。
寂しくもない。
ただ、登校する高校生達を尻目に、小さな町工場で、ネジの確認作業に入る自分自身を少し恨めしく思ったりするぐらいには普通の十五歳のメンタルをしてはいる。
ここまでで、ユウにとって霊能や心霊などの類は信じるに値しないもので、憎みこそすれど好きになる事は絶対にないものだと分かってもらえると思う。
これらを全て踏まえて、ユウは今、霊能相談所の前に立っている。
ユウ自身、こういった場所を訪れることになるなど、昨日まで全く想像していなかった。あるとすれば、恵美を騙したあの霊能詐欺師を、満を辞してブン殴る機会をもらえた時ぐらいだろうには。
異変が起こったのは一ヶ月前。
いつものようにバイトを終え、疲れ果てた体で布団に入った。 初めに感じたのは、金縛り。
目は開いているのに、体は動かない。
ユウにとって、金縛りという現象は特に恐怖の対象ではない。体が疲れた時に起こる症状だということをすでに知っていたから。
何かが耳元で動いているのも、ゴキブリだろうと思うぐらいに落ち着いていた。
気になったのは、天井から垂れる一本の縄。170cmのユウの身長よりも少し高いぐらいの位置にある。
「もうすぐ会えるね」
突然耳元で、何かが囁いた。
ノイズの様な音と、水の中にいるような反響音が入り混じった聞いたことのない声。
絶対やばいやつだ。
直感的に思った。
まともに息が出来ない。
右側に感じる何かの圧を感じながら、飛び起きるように目が覚めた。
汗でびっしょりの体。
強張った筋肉は、しばらくまともに動かせないほどだ。
カーテン越しに見える陽の光だけが、ユウに少しの安心感を与えた。
「悪い夢を見ただけ」
最初はそう思った。
だが次の日も、また次の日も、同じような現象が起こった。
不思議だったことは、自分の頭が前日よりも少し浮いている気がしたこと。
確信になったのは、異変から一週間後。
布団の中に入ったはずなのに、リクライニングされているかのように体は起き上がっている。
そしてようやく気づく。
寝ている状態からでは分からなかったが、縄の先には、人の頭が通せる程度の輪っかができていることに。
それは明らかに、誰かの手で丁寧に結ばれていた。
ほつれた麻縄が作るその輪は、妙に整っていて、歪みがなく、使い込まれたロープ特有の煤けた茶色が、白く擦れた部分を際立たせていた。
大人の頭が、ぴったり通るほどの大きさ。
輪の内側には、何かが何度も締め付けられたような跡があるように見えて、ユウは背筋を冷たくした。
それがただの縄ではないと、直感的に理解した。
無風のはずの部屋で、輪っかだけが、ゆらり――ゆらりと、命あるもののように揺れていた。
軋む音はない。ただ空気だけが、重く、押し黙っていた。
その動きが、まるで呼吸のようで、見てはいけないものに目を奪われた感覚に陥る。
見覚えはあった。十年前に自分の母親が、それの使い方を身をもって教えてくれていたから。