第6話 月明かりに照らされて
(……ここは……?)
目を覚ますと、灯していたはずの焚火は消え、辺りは月明かりに照らされていた。
燃え尽きた灰からは、まだ細く煙が立ちのぼっている。
(……俺、死んでないのか? あれだけ血を流したのに? そうか、あれは夢だったんだ。あいつらが……あんな事するはずが無い)
きっと酒の席で悪酔いをして寝てしまったのだ。
それであんな悪夢を見たに違いない。
そう信じて体に力を込めて起き上がろうとした時だった。
「……ぐっ!」
全身に激痛が走る。同時に絶望を覚えた。
この激痛こそが、あの悪夢のような出来事が現実だという証だからだ。
(……おかしい……あの傷で、生きているはずが……ない……)
荒い息と共に吐き出した空気は熱を帯び、肺の奥まで焼けるように痛んだ。
骨がきしみ、皮膚の下で血が脈打つたびに、全身を鋭い針で突かれたかのような苦痛が走る中で、背中はいまだに焼かれているように痛み、熱を持っている。
触れずとも分かる。アリビアに深く抉られたままの傷跡が、今も生々しく残っているのだ。
思い出した瞬間、胸の奥に鈍い衝撃が走る。
仲間の笑顔、交わした約束、戦場で背を預け合った記憶……すべてが嘘だったのだと。
「……くそ……どうして……どうしてなんだよ……」
涙が溢れ、頬を伝う。
指先に力を込め、地面を掻く。
爪が土にめり込み、爪の間に泥が詰まる。
「なんで……なんでだよぉ……」
嗚咽混じりの声が夜の森に溶けていく。
それでも、泥まみれの手を震わせながら地を押した。
「……ぐ! あぁっ!」
激痛に呻き声が漏れる。
だが、歯を食いしばり、痛みを噛み殺しながら膝を大地につけて、ゆっくりと体を持ち上げた。
「はぁ……はぁ……」
なんとか地を踏みしめたはいいものの、膝は笑い、今にも崩れ落ちそうだった。
近くの樹木に身を預ける。
それだけでも激痛はノアの顔を歪めた。
(踏ん張れ……次、気を失ったら……絶対に死ぬ)
視界は霞み、月明かりが滲む。
だが、足裏に感じる大地の感触だけを頼りに、必死に体を引きずったその時――
「……うぅ……」
かすかな呻き声が、静まり返った森に響いた。
「だ、誰だ……?」
「……え……して……」
声のする方に目を凝らすと、地面に落ちた黒のローブが月明かりに照らされていた。
見覚えのあるローブ。それはあの赤髪の女が纏っていたものだ。
あの化け物が近くにいる。
そう察すると、ぼろぼろの身体でも防衛本能が働いたのか、ノアはそばに落ちていた刀身のない剣を柄を握った。
「くそっ!」
いつもより数倍重く感じる柄のみの剣を構えて、ノアはローブに近寄る。
粗い呼吸のまま一歩、また一歩と。
やがて月明かりに照らされたローブの襟元に、小さな人影が見えた。
一見すると妖精種のように見える。
だとしたら基本的に無害だが、それはノアが知っている妖精種とは、どこか違った。
真紅の髪。
殴打で腫れ上がった顔。
その腫れの隙間から、わずかに覗いた光は金色だった。
「……っ!?」
心臓が跳ねる。見間違えるはずがない。
小さくなったその存在は……間違いなく、あの赤髪の女だった。
「……くそっ!」
反射的に剣を振りあげる。
今のノアでも、動けぬ相手ぐらいなら仕留めることはできる。
なぜ小さな姿になっているのかは分からない。だが、再び動き出せば勝ち目はない……今が唯一の機会だ。
「……悪く思うなよ」
剣を振り下ろそうとした……その刹那。
「いも……うと……かえし……て」
「……!?」
たった今、殺されようとしているはずの女が口にした言葉は、命乞いでも呪詛でもなかった。
直後、ノアは彼女に向け剣の柄を振り下ろす。
しかし彼女を捉えることはなく、その小さな体の僅か左側に逸れていた。
「……いま何て言ったんだ?」
「いもう……と……リビエナを……かえ……して……」
「どういう事だ!? お前の妹なんて知らない!」
「かえし……て……返して……」
彼女はノアに向かって手を伸ばす。
そのまま必死に「妹を返して」と訴え続けるたまま、意識を失った。
「……こんどこそ!」
再び剣を振り上げる。
せめてこれ以上苦しむ事のないように一撃で仕留めようと、よく狙いを定め、深く息を吸って、吐く。
もう一度、吸って……吐く。
吸って……吐く。
吸って……吐く。
——吸って……吐く。
「……くそっ!」
振り上げた剣をゆっくりと下ろす。
それを握ったまま、ノアは女をローブで包み込み震える腕で抱き上げ、森の闇へ溶けていった。