第5話 勇者の最期 後編
「ッ、あが……あぁあああああああああっ!!」
ノアの悲鳴が闇夜に響く。
悍ましい化け物へと姿を変えたドラミホールは、ノアの胸の中心をハイエナのように食い漁っている。
しかし……痛みはない。
代わりに感じるのは、骨の髄を這い回るような不快感と、どうしようもない恐怖だ。
「やめで……誰があぁぁぁ!!」
叫んだところで、助けなど来るはずもない。
もがく声を嘲笑うかのように、ドラミホールはなおもノアの胸を貪り続けた。
(……俺、このまま喰われて、死ぬのか……)
意識が遠のいていく中で生すら諦めた瞬間……胸の奥でぶちん、と肉が食いちぎられるような感覚が走った。
「が、は……っ」
視線を向けると、ドラミホールの口にあったのは、淡く光を帯びる球体。
なぜそんなものが自分の身体から出てきたのか、ノアにはわからない。思考する余裕すら奪われていた。
その光球をドラミホールは、生きた魚を丸呑みする水鳥のようにごくりと呑み下す。
「……あぁ、ついに……」
歪すぎる姿でもわかるほどに、ドラミホールは恍惚とした表情を浮かべる。
次第にその体は人の形を取り戻し、やがてノアの知るドラミホールの姿へと戻っていった。
「くくく……ノア、お前とんでもねぇ力を持っていたんだなぁ?」
血の匂いに霞む視界の向こうで、ドラミホールがねっとりと笑む。
すると、その背後でノアの剣を無造作にへし折った赤髪の女が、ようやく口を開いた。
「ドラミホール。目的は果たしたでしょ? 今度は貴方が約束を守る番よ」
「……約束?」
赤髪の女へ振り返ったドラミホールが、わざとしく首をかしげる。
まるで子供が意味のわからない言葉を聞かされた時のように、楽しげに。
「覚えがねぇなぁ……」
「ふざけないで! 貴方に協力すれば、妹を返すという約束だったはずよ!」
声を荒らげ女がドラミホールに詰め寄る。
その時だった。
「うぐっ!」
突如、辺りに鮮血が飛び散る。
直後、女が脇腹を抑えて膝をついた。
「首を刎ねるつもりだったのに……思ったより難しい技だなぁ」
女の脇腹に傷をつけた主はドラミホール。
目にも止まらぬ速さ……その一撃は、確かにノアの目に覚えのある軌跡だった。
「ど、どし……て……」
掠れた声が、血で濡れた唇から漏れる。
ドラミホールが赤髪の女を引き裂いた技。
それはこの世界でノアしか扱えないスキル。
誰にも真似できず、誰も届かない、ノアを最強まで押し上げたその名は……瞬神。
「こりゃ馴染むまで時間が必要だな……そういうことでお前の役目は終わりだ、強欲の悪魔さん」
「くそっ……! これだからこっちの世界の奴らは嫌い……大っ嫌い!」
相手は単騎で世界最強のパーティーと互角に渡り合える化け物。
不意打ちで傷を負わされたとはいえ、勝敗が決まったわけではない。
そんな彼女が反撃の構えを取る。
ノアを赤子のようにあしらった彼女がその気になれば、この場にいる者など瞬き一つのうちに葬られるだろう。
だが、女に対してドラミホールがとった行動は常軌を逸していた。
斧を地面に突き刺し、両手を広げて不気味な笑みを浮かべたのだ。
「おーおーやる気か? いいぜ、そのふざけた力で俺を殺してみろよ……お前がその気になれば、俺達なんざ一瞬で灰にできるだろ? ほら、やれよ……やれるもんならな?」
「……くっ!」
ドラミホールの意味深な言葉に、ラビエナは歯ぎしりをしながら反撃の姿勢を解く。
「おや、いいのか? じゃあこちらから攻撃させてもらうぜ。抵抗したら……わかるよな?」
余裕の表情でドラミホールはゆっくりとラビエナに近づく。
そして無防備な彼女の顔を、世界でも三本の指に数えられる程の腕力を持つ拳で殴り付けた。
「がはっ!」
地面に叩きつけられた衝撃で砂埃が舞う。
だが、彼女は意識を手放さなかった。血を吐き、体を震わせながらも、膝をつき這い起きる。
そんな彼女にドラミホールは、嗜虐の笑みを浮かべた。
「流石にお前レベルの魔族に目をつけられると厄介だ。ここで殺してやってもいいが、お前が死ねば奴らが感づく……そうなれば俺の計画に支障がでる。だから、もう一つ……保険をかけさせてもらうぜ。おいアリビア」
「……封滅ノ十字」
アリビアがそう唱えると、彼女の目の前で空間が裂け、そこからまばゆい光が滲み出した。
神々しい光は凝縮されて形を取り、やがて剣ほどの大きさの十字の杭となって宙に浮かぶ。
それを、ドラミホールは愉快そうに片手を伸ばして掴み取った。
「本来ならばお前にこんなもの通用しないが……今は別だ。少しでも抵抗しようしたらデーゲンハルトが見抜く。もちろん抵抗しても構わねぇが……その時には妹の四肢を引きちぎって豚の餌にしてやる」
「畜生……畜生っ!」
唇を震わせ、赤髪の女は呪詛のように吐き捨てる。
だが、嗤うだけのドラミホールは杭を肩の後ろまで大きく引きかぶり、やり投げの要領で力を込めた。
「ははっ! てめぇの生まれを恨むんだなぁっ!!」
咆哮と共に杭は女へ放たれる。
そして……女の胸を容赦なく、一直線に貫いた。
「……ッ!! ギャア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙! あづいッ! あづいぃいいいッ!」
赤髪の女の体が弓なりに反り返り、喉を引き裂くような悲鳴が夜に響く。
突き刺さった十字の杭はただ止まることなく、灼け付く光を放ちながら彼女の肉体に溶け込んだ。
「あ……あぁぁ……」
「すげえなぁ……流石は七大悪魔の一人。まだ生きてんのか。だが、その状態になっちまえばただの女だ……なぁッ!!」
愉悦に満ちた声と共に、女の顔が拳に叩き潰される。
彼女は無様に地面を跳ねた。
「ぎゃっ!」
「ははははっ! 頑丈なんだなぁ!」
ドラミホールが、そのままの勢いで赤髪の女に馬乗りになる。
そして……女の顔に何度も、拳を振り降ろし続けた。
「うぎっ! ぎゃっ!! もう、やべ……うギュッ!」
「はははは! あっはっはっは!」
もう二発、三発……四発、五発と拳が叩き込まれる度に彼女の体が跳ねる。
痛々しい悲鳴はノアが意識を失うまで続いた。