第4話 練った作戦
午後二時。
昼食を終えた宿の食堂で、ノアはテーブルに並んだ空の皿を重ねていた。
「……よっと」
積み重なった皿を持ち上げ、フィアがいる厨房へと向かう。
その背後から、小さなラビエナがふわりと浮かびながらノアに耳打ちをした。
「ノア……作戦通りにね」
「わかってるよ」
短いやり取りを交わした二人は、厨房へ入る。
中ではフィアが洗い物の真っ最中。袖を捲り、泡立つ水が溜まった石の槽の上でスポンジを動かしていた。
「フィア、残りの食器持ってきたぞ」
「ノア!? ゆっくりしてていいのに!」
驚くフィアの傍にラビエナが飛び寄った。
「フィアだって、怪我が治ったばかりなんだから無理しちゃだめだよ。私とノアも手伝うから」
「そうだぞフィア。出来る事は少ないが、頼ってもらえると俺も嬉しいな」
「そ、そうなの? じゃあ……お願いします」
少し戸惑った様子のフィアが洗い物を再開させる。
ノアは彼女の傍に食器を置くと、ラビエナと目が合った。
ラビエナがこくりと頷く。
そしてノアはぎこちない笑みを浮かべながら口を開いた。
「なぁフィア?」
「なに?」
「あの……いつも本当にありがとうな。フィアの料理、本当に美味しいよ」
「えっ? そ、そう言ってもらえると嬉しいな……」
フィアはノアから目を逸らし、頬を赤らめながら髪を耳にかけた。
これがラビエナと考えた「フィアのご機嫌をとる」作戦。出だしは好調だ。
「少し不安だったんだ。ノアは凄い冒険者だし、きっと高級で美味しい料理をたくさん食べてきただろうから、口にあうかどうか……って」
「確かにいろんなものを口にしたけど、だからこそフィアの家庭的な料理がより美味しく感じるんだよ」
「そっか……よかったぁ……」
フィアは本当に嬉しそうに笑う。 その笑顔を見たノアは、つい言葉を重ねてしまう。
「……ほんと、フィアは凄いよ」
「えっ?」
「料理も上手いし、頑張り屋だし……それに――」
言いかけて、ノアは一瞬ためらう。けれど、ラビエナがフィアの背後から「たたみかけろ!」と言わんばかりに目で合図を送った。
「……綺麗だよな」
「な、なに言ってるのノア!? どうしちゃったの!?」
フィアの耳まで真っ赤になる。もうノアを直視できない程までに照れているようだ。
そんな彼女の背後からラビエナがふわりと水の溜まった石の槽の傍に舞い降りた。
「フィアは本当に凄いよ!」
「ラ、ラビまで……」
「私ね、フィアのコンソメスープが本当に大好きなの! あと、フィアが焼いたパンも! あとは……」
斜め上を見上げたラビエナが指を親指から折っていく。親指、人差し指、中指――そのたびに、足を少しずつ後ろへ動かした。
「パスタも好き! それにこの前食べたビーフシチューも最高だった! あと……あ! あのチーズのかかっ――」
言葉の途中でラビエナの姿がふっと消えた。
いや、消えたのではない。
後ろへ下がっていた彼女は足を踏み外し、石の層に溜められた泡まみれの水の中に吸い込まれるように落ちたのだ。
ドボン! という音と共に水は大きく跳ね、床に落ちる。
「ラ、ラビッ!?」
ノアが声を上げた時には、もう遅く、水の中からはぶくぶくと白い泡が膨らみ、彼女は姿を現した。
「ぶびゃあああああぁっ! 助けてー! ノアー!」
ラビエナはバシャバシャと暴れる。四方八方に跳ねた水はノアの足元を濡らしていく。
「ラビ!」
咄嗟にノアがラビエナを掬い上げる。
掌の上に乗せられたラビエナは、全身びしょ濡れ。
赤色の髪は額に張り付き、顔の半分を覆っている。
「げほっ、げほっ……し、死ぬかと思った……」
「まったく……これが最強の魔族の姿かよ」
「うぅ……寒い……」
彼女を石の槽の横に置いたノアはその姿を鼻で笑う。そのそばでフィアが慌てて声を上げた。
「大丈夫ラビ!? 待ってて、今タオルを持ってくるから」
フィアは急ぎ足で駆け出す。
だが、床にはさっき跳ねた泡と水が残っていた。
「きゃっ!?」
濡れた床に足をとられたフィアの身体が軽く浮き上がり、バランスを崩す。
「危ないっ!」
ノアは反射的に腕を伸ばす。
間一髪のところでフィアをしっかりと抱きとめると世界が一拍、静止したように感じた。
鼻先が触れ合いそうなほどの至近距離で目が合う。
フィアの赤い瞳には黒髪のノアが鮮明に映っていた。
「フィア、大丈夫か!?」
「う……うん……」
「ならよかった……それじゃ……うわっ!」
態勢を立て直そうした時だった。
ノアの足がフィアと同じように濡れた床にとられたのだ。
ノアの身体がバランスを崩し、今度は逆に後ろへと倒れ込む。
抱えられていたフィアも引き寄せられ、そのまま――
ぽすん。
ノアの胸の上にフィアの身体が覆いかぶさる形で倒れる。
直後、ノアは額に柔らかく暖かい感触を感じた。
まるで春先の陽だまりのような温もり。
ふわりと香る石鹸の匂い。息をするたび、すぐそばの美しい白髪が頬をかすめる。
「……なっ!?」
ノアの目が大きく見開かれる。
額に触れているのは、フィアの唇だった。
時間が止まったような静寂が数秒続くと、フィアが跳ねるように顔を離す。
顔どころか首筋、耳の先まで真っ赤に染まった彼女は慌てて両手をばたつかせた。
「ち、ちがうのっ! い、いまのはその……偶然でっ!」
「わ、わかってる! 事故だ! 完全に事故だよな!」
「よ、よよよよかった! あ、あれ!? 私今な、なにしようとしてたんだっけ!?」
「え、えーとあ、あれだ! 洗い物だ!」
「そ、そうだったね! あははははは……」
先程のことを誤魔化そうと、二人はやけに大きな声で笑う。
一方で忘れられたラビエナは悲しげに口を開いた。
「いちゃいちゃしてないで早く助けてよ~」
作戦、失敗だ。




