第28話 崩れる姫
あれほど暴れ狂っていたサイクロプスは、ノアのたった一蹴りで屠られた。先程までの喧騒が嘘かのように、あたりは静まり返る。
陥没した地面にめり込む青緑色の怪物を見下ろしているのは、白い仮面で表情を隠した黒髪の青年。
風が吹き抜け、その黒髪が靡くと彼の仮面にピシリと亀裂が入った。亀裂は瞬く間に広がり、歪な蜘蛛の巣のように仮面全体へ行き渡ると、仮面はパリンと砕けた。
現れた素顔はノアのままだった。
仮面を被っていたときは金色だった瞳も、今は彼本来の茶へ戻っている。以前と違うのは金だった髪色が闇のような黒のままだということだ。
「……ぐっ!」
砕けた仮面の破片は宙に溶けるように一つ残さず消えていく中、ノアは膝をつく。サイクロプスを仕留めた右脚は反動に耐え切れず、ガクガクと震えて血が流れていた。
「……折れては……いないようだな」
顔を歪めながら立ち上がる。すると、騒ぎが収まったせいか隠れていた者や、逃げていた者が続々と姿を現した。
「すげぇ、あの化け物を一瞬で……」
「にいちゃん、大丈夫か!?」
市民の数人がノアを囲む。ノアはすぐにフードを深く被った。
「お、俺は大丈夫だ。気にしないでくれ」
顔を見られないようにノアが市民達に顔を背けると、少し離れたところで叫び声が聞こえた。
「おい! まだ息がある奴がいるぞ! 宿屋のフィアちゃんだ!」
その言葉に心臓が跳ねた。
咄嗟にフィアが叩きつけられた荷車の方へ視線を向ける。既にそこには何人かの市民が集まり、人の群れを成していた。
「フィアッ!!」
ノアはたちまち駆け出す。
人々を掻き分けたその先、荷車の木片の上で七割は赤く染まった白い頭に、見るに耐えないほど痛々しく折れ曲がった左腕と左脚のフィアが横たわっている。しかしその胸は確かに、そして微かに上下していた。
「……良かった……生きてる」
安堵と同時に、全身から力が抜けた。
思わずその場に座り込みそうになったが、安心するのはまだ早い。時は一刻を争う。
「誰か! 回復魔法、もしくはアイテムを持ってないか!?」
ノアが周囲に呼びかける。周囲の市民達は、心当たりが無いのか互いを見合った。
「皆、道を開けてくれ!」
叫びながら、人々の合間を抜けて現れたのは屈強な体格の男。ノアの隣で片膝を曲げたその顔には見覚えがあるような気がした。
「あなたは?」
「この街で装飾屋をやってるルガンダだ! ちょうど今セント・ポーションを持ってる! ハイポーションよりもさらに上の回復薬だ!」
ルガンダは腰のポーチから、小瓶を取り出す。
小瓶の中には黄色の液体が入っている。ポーションは本来、薄い青味がかった液体だが、その数倍の効果があるセント・ポーションは質が高ければ高いほど金色に近づくのだ。
「フィアちゃん! 飲め!」
ルガンダは瓶の栓を抜き、慎重にフィアの唇へと傾けた。
黄色の液体がフェアの喉に流し込まれると、ほどなくして彼女の体は淡い光に包まれる。いまだ意識は戻らないが、先ほどまで荒かった呼吸が静かに整い、頬にうっすらと血色が戻った。その表情はどこか、眠っているように穏やかだ。
「重症には変わりないが、とりあえずは大丈夫だろう」
ルガンダの言葉にノアは息をつき、胸の奥に残っていた緊張を吐き出す。
すると、今度は背後から声が飛んできた。
「おいフードのあんた!」
ノアが振り返る。そこには市民の一人が慌てた表情を浮かべていた。
「俺の事か?」
「あぁそうだ! そこで弱ってる赤髪の妖精がフードを被った男を探してる! きっとあんたのことだろ?」
赤髪の妖精。きっとラビエナのことだ。
「あ、あぁ……そいつは俺の連れだ」
「早く行ってやんな――きっともう長くない」
「……は?」
解けたはずの胸の奥が再びぎゅっと締め付けられた。
「……どいてくれ!」
ノアが群衆を押しのけるように駆け出す。
サイクロプスの死体の横を通り過ぎたその先、ノアがラビエナをそっと置いた路地の隅には二、三人ほどの人々が地面を見下ろしている。
いや、見下ろしていたのは地面ではなかった。
「なっ!? ラビッ!!」
彼らが見下ろしていたのは、体が砂のように崩れ去っていくラビエナだった。
「ラビッ!? ラビッ!!」
「……フィアは?」
「無事だ!」
ノアはそっとラビエナを掬い上げると彼女は「良かったぁ」と微かに微笑む。
彼女の左腕と左脚はすでに半分ほどまで崩れてしまっていた。
「ラビッ! どうしてこんな!」
「仕方ないわ……禁忌を犯したもの」
「禁忌? 禁忌ってなんだよ!」
ノアが叫ぶ間にも、ラビエナの小さな体はどんどんと崩れ去って行く。
その中でも彼女は優しい笑みを浮かべたままだ。
「ねぇ……少し二人きりになりたいな。まだ少し時間があるから……」
「そんな最期みたいな言い方――!」
「お願い」
柔らかくも力強い眼差しに、ノアは一瞬言葉を失った。
「……わかった」
ノアはラビエナと共に路地裏へ消えた。




