第2話 揺らぐ篝火
討伐を終えたノアは組んだ薪に火をつけた。
火花が弾け、乾いた枝に炎が走る。闇夜を押し返すように赤々とした光が広がり、静かな森に小さな拠点が生まれる。
旅に出てから四年、モンスターや盗賊の襲撃を恐れてまともに眠れなかった野宿も今では慣れたものだ。
一通りの準備を終えたノアは焚火の傍に腰掛け、剣の手入れを始める。
その時、テントの幕が開く。
顔を出したのはアリビアだった。
「ノア? そっちの準備は終わった?」
「ああ、今丁度。ドラミホールとデーゲンハルトはまだ散策中?」
「えぇ……なんでも、このあたりで夜しか採れない魔草があるんですって」
アリビアがノアの隣に腰掛ける。
美しい横顔に見惚れていると彼女は優しく微笑んだ。
「どうしたの? 私の顔になにかついてる?」
「い、いや違う!」
誤魔化すように剣の手入れを再開させる。
だがその手を、アリビアがそっと取った。
「……ノア、この痣……」
彼女の指先が触れたのは、掌の付け根に浮かぶ濃い紫で歪な形の痕だった。
「あぁこれか……最近、出来たんだ。まぁ痛みもないし、平気さ」
ノアが軽く笑って済ませようとすると、アリビアは首を横に振った。
「……じっとしてて」
アリビアがノアの手を両手で包む。
すると、その掌から澄んだ青白い輝きが溢れ出した。
焚き火の灯りとはまた違う、じんわりと心地良い温もりが広がり、濃く浮かんでいた紫色の痣は、まるで霧が晴れるように少しずつ薄らいでいった。
「……アリビア、わざわざ治療までしなくても……痛みはないんだ」
「いいの……はい、綺麗になった」
アリビアが手を離す。
掌に浮かんでいた痣は、まるで初めからなかったかのように消えていた。
「ありがとう、アリビア」
ノアが笑いかけると、アリビアも嬉しそうに微笑む。そして彼女はノアの肩にぽんと頭を乗せ、寄りかかった。
「……ノア、私ね……貴方と出会えて良かった。貴方と旅ができて本当に良かったわ」
「急にどうしたんだよ? 言っとくが、旅はまだまだ続くからな?」
「……そうね。貴方には魔王を倒すという使命があるものね」
ノア達の旅の目的、それは遥か太古の昔から人類と争い続ける魔族の王である魔王ゴルデナを倒し、魔族に怯える事の無い平和な世の中を手に入れること。
その志に共鳴した者たちが集まり、今のパーティが結成された。
規格外の魔導士デーゲンハルト。豪放な怪力戦士ドラミホール。
そして、癒しと導きを担うアリビア──
仲間というには軽すぎる。
戦場で背を預け、命を託し合う関係。
血と痛みを分かち合い、笑いと涙を共有してきた。
もはや、家族以上の存在だ。
「ノアと出会って、もう四年も経ったのね」
「そうだな……」
「ふふ……出会った時はまだ子供っぽさがあったのに、今は世界最高の勇者だなんて言われちゃって……」
「まぁ色々修羅場を乗り越えてきたからな。嫌でも強くなれるさ」
耐久力や魔力など、一部の能力ではドラミホールやデーゲンハルトに劣る。
しかし総合力全てが超高水準のノアは若干20歳ながら最高、最強の勇者として人々に認められたのはつい最近のことだ。
「ふふ、すっかり逞しくなっちゃって。手の皮もこんなに厚くなったのね」
アリビアが剣を手入れするノアの手を握る。
応えるようにノアは指を絡ませる。
長い旅の中で、互いに惹かれ合い、魔王を倒したその先、平和な世を共に生きようと立てた誓いを確かめるように。
「おーおー! 相変わらずお熱いねぇ!」
突如背後から声が聞こえた。
ノアとアリビアは咄嗟に手を離し、振り向くとドラミホールとデーゲンハルトが立っていた。
「お、おかえり二人とも……目的の物は見つかったのか?」
「まぁな、デーゲンハルトが魔法の開発に必要って言うからよ」
「へぇ……デーゲンハルト、ちなみにどんな魔法なんだ?」
「月の光を浴びないと、姿が見えない魔法だ」
「またマニアックな魔法を……まぁ今度見せてくれよ」
「……そうだな。機会があればな」
「楽しみにしてるよ。さて、それじゃあ夕食にしようか……っ!?」
ノアの声が途切れた瞬間、空気が変わった。
焚き火の熱が遠のいたような、ひやりとした冷気が頬を撫でる。
血の気が引く感覚。
空間そのものに重たい何かが落ちてきたような圧。
即座に反応したノアは、剣を抜き禍々しい気配のする闇の中へ向けた。
(なんだ……? モンスターか? でもモンスター避けの結界は張っているはず……。だとしたら野党? いや、人間だったらこんな気配じゃない)
瞬時に思考を巡らせ、あらゆる可能性を想定する。
だが、答えはどれも当てはまらない。
その時、闇が形を持った。
焚き火の灯りに揺れる影の中から、まるで夜そのものが歩み出してくるかのように……それは、ゆっくりと姿を現したのだ。
――黒。
まるで血を吸ったかのような、深い黒のローブがゆらりと揺れる。
――真紅の髪。
月光を反射するような鮮やかな赤。
闇の中で浮かび上がるその色は、まるで警告のようだった。
――金色の瞳。
感情の読めない、底知れぬ輝きがノアを射抜く。
ノアの目に映ったのは血を浴びたような黒のローブを纏い、真紅の髪に金色の瞳をした……美しい女だった。