第23話 最低限の筋
「ノア……本当に行くの?」
軽い身支度を済ませ、玄関でフード付きのマントを羽織ったノアに、声をかけたのはフィアだった。
「このまま何もせずにフィアの世話になり続けるわけにはいかないからな。今日までの宿代だって払わないと」
「お金なんていらないよ!」
フィアが即座に言い切った。
「ここにずっといてもいいんだよ! 経営だって上手くいってるし、必要なものがあったら私が用意するから……もちろんお金が必要なら——」
「ま、待ってくれフィア! それじゃ俺はただの穀潰しだ」
「私は別に構わないよ! だから……」
「だから?」
問い返すとフィアは右手を伸ばし、ノアの袖をきゅっと握った。
「……行かないで」
「え?」
「行かないでノア。ギルドに行ったら冒険者に戻るんでしょ? そしたら……また離れ離れになっちゃう」
「フィア……」
袖を握る彼女の白い手は震えていた。
その震えを和らげてやろうと、ノアは美しい白髪の頭に手を伸ばす。
しかし、途中で胸がぞわりとざわめいた。
あの夜を忘れたのか? 苦楽を共にしたあの日々が、一夜にして偽りだったと知ったあの夜を。絶望を。
それでもお前は性懲りも無く、再び他人に心を許そうとしているのか?
頭の中でもう一人のノア・レグルスが嘲るように囁くと、伸ばしかけた手は途中で止まった。
息を呑む。
今の囁きは紛れもないノアの本心だ。
裏切られるくらいなら、最初から信用しなければいい。そうすれば失うこともない。
――しかし、しかしだ。
目の前の彼女は、あの夜の誰でもない。
愚かかもしれない。また傷つくかもしれない。
だが……寝る間も惜しんで自分を看病してくれた彼女の優しさに目を背けることは出来なかった。
じゃあ今は何をするのが正解か。
自らに問いたノアは静かに息を吐く。
伸ばしかけていた手を再び伸ばし、フィアの頭を優しく撫でた。
「フィア……安心してくれ」
柔らかな白髪が指の間をすり抜ける。心地よい温もりが掌に伝わった。
「俺に戦える力は、もうない。だから、冒険者には戻らないよ。それに行く当てだって無いし、しばらくはこの宿で世話になりたいんだ。そのためにも、最低限の筋だけは通させてくれ」
その言葉に一拍置き、フィアはノアの袖から手を離して「わかった」と呟く。しかし視線は落としたままで、どこか不安を拭いきれない様子だった。
「ノア……約束してくれる?」
「なんだ?」
「ちゃんと……ここに帰ってきて。今度ノアがいなくなったら私……耐えられる自信ないよ」
震えた小さな声。
その言葉がノアの胸にじんと染みた。
「大丈夫だフィア。前みたいに旅に出るわけじゃないんだ。そう遅くならないように気をつけるよ。そして……帰ったらまた美味い飯を食わせてくれ」
「……うん」
フィアの顔が少し明るくなる。
すると、彼女の背後から赤髪を揺らした掌サイズの少女がふわりと宙を滑るように現れた。
「お待たせー!」
現れたのは支度を終えたラビエナ。以前のように布の切れ端を巻いただけのみすぼらしい恰好ではない。
今の彼女は生成りのシャツに淡い茶色のロングスカートという、落ち着いた服装をしている。その服装を見せびらかすように、彼女は宙でくるりと一回転した。
「ねぇねぇどうかな? フィアが作ってくれたの!」
「似合ってるじゃないか。ありがとうフィア」
ノアの礼に、フィアはにこりと微笑んだ。
「ラビちゃん可愛いのにあの恰好じゃ可哀想だったから……気にいってもらえたようで良かった」
「本当にありがとフィア! 前なんてほとんど裸だったから……ねぇノア?」
ラビエナがノアを見てニヤリと口角を上げた。
「な、なんだよ?」
「私は忘れてないからね……ノアが私のすっぽんぽんを見たの」
「馬鹿っ! あれは事故だ!」
「でも見たのは事実でしょ? あの時は、いろいろ失うかと思ったわ……なにかとは言わないけど」
「誤解を招くような言い方をするな! フィア? 違うからな?」
助けを求めるようにフィアへ視線を向ける。
彼女はぱちぱちと瞬きをしたあと、顔を赤く染めた。
「だ、大丈夫だよ! 私、ノアがどんな趣味を持ってても気にしないから!」
「違う! 違うんだって!」
遅かった。
普段、純粋無垢なフィアは完全に何かを誤解してしまったようだ。
「俺はそういう趣味とかじゃなくてな!? あれは不可抗力で――!」
「大丈夫だよ! ノアはノアらしくね!?」
「ちがあああう!!」
ノアが頭を抱えた瞬間、宙を漂っていたラビエナが、笑みを浮かべながら握り拳に親指を上に立てた。
「……ドンマイ!」
「誰の所為だと思ってるんだ! もういい! 行ってきます!」
半ば逃げるようにノアはフードを被って玄関の扉を開けた。




