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第22話 剃り落としたのは


 小鳥がさえずる清々しい朝。

 宿屋の洗面所では、水の音が静かに響いていた。


 木の桶からすくい上げた水が、指の間をすり抜けながら顔を洗い流す。

 ぽたり、ぽたりと続くその音が不思議と心地よいリズムに聞こえた。


 顔を上げる。

 鏡に映ったのは髭を剃り終えたノアの顔だった。

 無精に伸びていた髭も跡形もなく、頬の線がすっきりと浮かび上がる。ボサボサに伸びていた金髪は綺麗に切り揃えられていた。


 そこにいるのは、旅の果てで荒んだ男ではない。まだ若干やつれは残りつつも、どこか昔の自分を取り戻したような青年の顔だ。


「さてと……」


 タオルで顔を拭き、洗面所を出る。

 静かな廊下に微かな足音を響かせながら、自室の前で止まる。

 扉を開けると、朝の光が差し込む窓から外を眺めていたラビエナがノアへ振り向いた。


「あっ! ノア、髭剃ってる!」


 ラビエナはふわりと浮かび上がり、ノアの顔前まで飛ぶと、清潔感の戻ったその顔を金色の瞳がまじまじと映した。

 

「ど、どうだ?」

「こっちの方が全然良い! 前のボサボサより百倍かっこいいよ!」

「ははは……そうか」


 想像以上の高評価にノアは頬をかいた。


「実は……話があるんだ」


 ノアの声が落ち着いた色を帯びた瞬間、ラビエナの表情もふっと真剣になる。


「どうしたの?」


 ノアは一度、窓の外へ視線をやった。

 窓の外には、この宿屋の中庭が見える。朝の光に照らされた草原は美しく輝き、木の枝にとまった小鳥達はさえずりあっている。

 穏やかな光景を見つめながら、静かに言葉を紡いだ。


「……前に進んでみようと思う」


 その言葉は、朝の静けさの中で不思議と強く響く。すると、ラビエナはふっと口元を緩めた。


「……そっか」


 ラビエナの笑みは笑みはからかうでも、気取るでもない。どこか安堵したような……少し嬉しそうな微笑みに見えたノアは言葉を続けた。


「……ありがとな」

「え?」


 ラビエナは目を瞬かせた。


「なに改まっちゃって……そんなの気にしないでよ」

「そんなわけにはいかない。ラビエナは命の恩人だ……だけどもう大丈夫、俺は一から出直してみようと思う。だから、お前はお前の時間を過ごしてくれ……今日まで本当にありがとう」


 ラビエナは一瞬、ノアを見つめたまま動かなかった。

 そして、ゆっくりとその唇が動いた。


「……なにそれ」

「ラビエナには迷惑ばかりかけた……これからも一緒にいれば俺はお前の重荷になるだけだ。だから、これからは――」


「嫌っ!!」


 唐突に響いた声に、ノアは思わず言葉を止めた。


「嫌だよっ! なに言ってんの!?」

「ら、ラビエナ?」


 ぷくっと頬を膨らませ、腕を組んだラビエナはノアの鼻先に触れそうなほどにまで、ずいっと距離を詰めた。


「なにそれ! 私が嫌々ノアのそばにいると思ってたの!?」

「そ、そんなことは……」

「じゃあなんでそんなこと言うの!?」


 ラビエナの声がぴしゃりと響く。

 ノアは完全に押され気味で、思わず一歩後ずさった。


「い、いや……迷惑ばっかりかけたし……」

「迷惑じゃない!!」


 ラビエナが食い気味に叫ぶ。金色の瞳の間にはしわが寄っていた。


「迷惑なわけないじゃん! ノアだって私を助けてくれたじゃない! それも一度だけじゃないよね?」

「そうだけど……でも……」

「でもじゃない! とにかく私はノアのそばにいたいからいるの! それともなに!? ノアは私がいて迷惑なの!?」

「迷惑なわけあるか! 正直、ラビエナがいたおかげで、あの日から頑張ってこれたんだ! お前が……お前がいたから俺はなんとか生きてこれたんだ!」

「それは私も一緒! 私はノアと一緒にいたいよ!? なのになんでノアはそんなこと言うの!?」

「ラビエナが大切だからだ!」


 その言葉に、ラビエナの動きがぴたりと止まった。

 金色の瞳がぱちぱちと瞬き、彼女の頬はみるみるうちに赤く染まった。


「……と、とにかく! 私はノアと一緒にいるもん!」


 ラビエナは誤魔化すようにふわりと浮き上がり、そのままノアの肩へすとんと腰を下ろした。


「ここ私の特等席ね!」


 肩の上で腕を組むラビエナ。

 ノアは苦笑をこぼしながらも、肩に伝わる軽い重みを確かに感じていた。


「……ありがと、ラビエナ」

「……ラビって呼んで」

「え?」

「ラビって呼んで」


 照れくさそうに、ノアから目を背けるラビエナ。

 彼女にノアはわずかに目を細め、穏やかな笑みを浮かべた。


「……わかった。じゃあ改めてよろしくな、ラビ」

「……こちらこそ」


 小さく呟いたラビエナはノアの肩の上で足をぶらつかせながら、口角を緩やかに上げた。


「よし。そろそろ朝食の時間だ。フィアを手伝いにいこうか」

「そうだね!」


 窓の外で、小鳥達が木が飛び立つ。

 ノアの中で、少しだけ新しい朝が始まった気がした。

 

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