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第20話 月明かりの下には


 フィアの宿屋に身を寄せてから、三度目の夜を迎えた。

 行き届いた処置のおかげで、背に刻まれた傷はようやく癒え始めていたが、そんな体とは裏腹に心は深い眠りを許してはくれない。


 今夜も瞳を閉じては、すぐに開くを繰り返す。

 やがて、観念したように体を起こしたノアの視線は、すぐ傍らに向けられた。


 そこには、掌に収まるほどの体で丸くなり、静かな寝息を立てるラビエナの姿がある。

 フィアが用意してくれた特製の小さなベッドにすっぽり収まった彼女は、無防備そのものだった。


 そんなラビエナにノアは微かに微笑みを浮かべ、静かにベッドから立ち上がる。

 眠る彼女を起こさぬよう足音を殺しながら、扉を開いた。


 出た廊下にはひんやりとした夜気が、流れている。人の気配を失った木造の宿は静まり返っていた。


 軋む音を避けるように、歩を進める。

 さほど長くない廊下の突き当り。そこにある木扉を開くと、夜の空気が月光と共に流れ込んできた。


 広がっていたのは、質素な庭だった。

 足元には短く刈られた草が一面に広がり、隅にはルルシャの花が咲く小さな花壇がある。

 庭の奥には木と木の間に洗濯物を干すための紐が張られていていた。


 華やかさはない。

 けれど、どこか心地良い風がノアの頬を撫でた。


「ノア……?」


 夜空の下、突如誰かがノアを呼んだ。

 声のした方へ目を向けると、庭の片隅でしゃがみ込む人影があった。


 ルビーのような赤い瞳がノアを射抜き、月光を浴びた美しい白髪が風に揺れる。その正体はフィアだった。


 庭の片隅にしゃがみ込んだ彼女の足元には、小さな籠が置かれていた。

 中には摘み取られたばかりの薬草がいくつも収められており、指先にまだ柔らかい葉を一枚ずつ摘み取った彼女の姿に、心が大きく揺らいだ。


「……ご、ごめんね! 私がいたら目障りだよね!」

 

 慌てて立ち上がったフィアは薬草が納められた籠を持って駆け出す。

 小さく俯きながら、彼女はノアの横を通り過ぎようとすると、ノアの口が自然と開いた。


「待ってくれ!」

 

 自分でも驚くほどの声が、夜の庭に響く。

 足を止めてノアへ振り返ったフィアは赤い瞳を大きく揺らしていた。


「あの……それはファルナ草だよな? どうしてそれを摘んでいたんだ?」


 ノアの問いかけに、フィアは驚いたように籠を抱き直し、手元の葉を見下ろした。


「ファルナ草は擦り潰して飲むと、痛みを和らげるのはもちろん、不眠にも効果あるの……ノア、眠れてないみたいだったから、少しでも楽になればと思って……」

 

 か細くも、その言葉には確かな暖かさが宿っていた。

 ノアは視線を逸らし、ふと月光を浴びる庭を見渡すと、花壇に植えられたばかりの芽が目に入る。小さな双葉が夜露を宿しながら、頼りなくも天へと伸びようとしていた。


「あれも……ファルナ草だよな?」

 

 ノアの視線を追ったフィアは、微笑んだ。


「うん。昨日、知人の商人さんから芽を買ったんだ。収穫まではもう少しかかるけど、元々生えてたのがまだ沢山あるから安心してね」


 フィアはそのまま籠を傾けて中身をノアに見せてきた。


「それで……今私が持ってるのは、これからすり潰して、明日の食事に混ぜ込む分、ちゃんと下ごしらえするから苦みはないと思うよ」


 手に持った薬草も植えられた芽も、全てはノアの為。まるでそう言っているようなフィアの優しい微笑みに、胸の奥に熱いものが込み上げてきた。


「これからすり潰すって……今日はもう遅いぞ?」

「いいの……これでノアが少しでも楽になるなら」


 言葉が途切れ、二人の間に夜風が通り抜ける。

 すると、フィアは視線を落として籠をぎゅっと抱きしめると、ためらうように小さく声を絞り出した。

 

「もしかして……迷惑だった?」


 再度、静寂が訪れる。

 フィアは気まずそうに顔を伏せたまま、一歩後ろへ下がった。


「ご、ごめんね夜遅くに!」


 フィアが宿に戻ろうとした時、ノアの胸にひどく重たい感情が込み上げる。

 

 このまま背を向けさせてはならない。

 そう思った瞬間には、もう声が出ていた。


「な、なぁ!」

「え……なに?」


 フィアが顔を上げると、ノアはゆっくりと草の上に腰を下ろした。


「少し……話せないか?」


 そう絞り出すと、驚きで赤い瞳を揺らしつつも、フィアはおずおずとノアの隣に歩み寄り、腰を下ろした。


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