第17話 見え透いた罠
ごろつき達に連れられて辿り着いたのは、人気のない路地裏。
周囲に目立ったものはなく、ただ空気だけが淀んでいた。
「……こんなところに、なにがあるんだ?」
ノアが眉をひそめると、ごろつきの一人は木の角材を握る。
そしてもう一人は、にやりと笑いながらノアの目の前へ歩み寄ってきた。
「そうだな……まずは、これを……やるよ!」
「――ぐっ……!」
ごろつきの拳が、ノアの腹に深々とめり込んだ。衝撃で肺の空気が押し出され、ノアは膝から崩れ落ちる。
その腕の中、小さな体が揺さぶられたラビエナの瞼がわずかに痙攣した。
「うぅ……」
意識を取り戻すと同時に、ラビエナの金色の瞳が開かれる。
彼女は状況を理解するより先に、ノアの苦しげな顔を見て声を上げた。
「……ノアッ!」
「よぉ、大丈夫か――ぐぁっ!」
ノアがラビエナへ苦し紛れの笑みを浮かべた瞬間、横から強い衝撃が走った。
ごろつきの蹴りが脇腹に突き刺さり、ノアの体が宙を舞う。
大事に抱えていたラビエナは「きゃっ!」と短い悲鳴を上げながら腕から弾かれるように離れ、小さな体は空中で翻り、硬い地面の上を転がる。
しかし幸い大事には至らず、彼女はすぐ身を起こした。
「ノアッ!!」
ラビエナがノアの元へ駆け寄ろうとする。だが、そんな彼女に影が覆いかぶさった。
立ち塞がったのは、ごろつきのひとり。
肩に角材を担ぎながら、にやついた顔でラビエナを見下ろしている。
「見た時から思っていたんだが、お前妖精種にしちゃどこか変だな? 特徴的な虫の翅もねぇし……もしかして新種か?」
下卑た笑みを浮かべながら、ごろつきは腰を屈めた。
「見た目も悪くねぇ……水で洗って汚れを落としたら、高く売れそうだな」
ごろつきはそう言うと、ラビエナへ分厚い手を伸ばした。
「いやっ! 触らないで!」
恐怖と怒りに突き動かされるように、ラビエナは手を大きく横へ振り抜いた。
その瞬間、振り抜かれた軌跡に沿って炎が走る。
ごうっと燃え上がった炎は弧を描いて広がると、一時的にラビエナとごろつきの間に赤々とした幕を張った。
「あちっ! こんの虫けらがぁっ!」
予想外の反撃に、ごろつきが怒鳴り散らした。
その勢いのまま、担いでいた木材を振りかぶり、そして降ろす。まるで虫を叩き潰すかのような無慈悲さを孕む一撃は、ラビエナに躱す余裕を与えなかった。
「……あっ……」
振り下ろされる角材を目前に、ラビエナの小さな声が漏れた時だった。
「やめろっ!」
叫び声と共に、ノアの体は勝手に動き出していた。振り下ろされる角材の前に飛び込み、ラビエナを覆い隠すように背を差し出す。
次の瞬間、「ドガァッ!」という音と共に、ノアの背中に衝撃が走った。
「……ぐっ……ああぁぁ!!」
焼けつくような激痛が背に走り、脂汗が全身から滲み出る。
処置が遅れたことも相待って、あの夜受けた背中の傷は、癒えきってなどいない。
それがごろつきの一撃で肉が裂ける感覚と共に、無理やりこじ開けられてしまった。
「あぁ! だめぇっ!」
今の一撃がどれほど危険かを瞬時に察したラビエナが叫ぶ。金色の瞳には苦痛で顔を歪めるノアが写っていた。
「なにしてる……逃げろ……」
精一杯絞り出したノアの言葉に、ラビエナは首を横に振った。
「やだっ! 置いていかない!」
「馬鹿……いいからはやく――ぐあぁ!!」
ノアが言い切るより早く、二度目の衝撃が背に叩き込まれた。
「そんなに身を挺してまで守るってことは……やはり特別なんだなぁ? 妖精種は通には高く売れる……おら、そいつを渡せ! そうしたらお前は見逃してやる……それとも、まだこれを喰らいたいか!?」
ごろつきが吐き捨てた直後、角材が再びノアの背中に振り下ろされた。
「ぐああぁぁぁっ!」
三度目の一撃は、ドガッではなくグチャ。
血が混じったような生々しい音だ。
それでもノアは崩れ落ちない。真っ直ぐ伸ばした腕を支えにして、背中の焼けるような激痛に耐えながら、ラビエナを見据えていた。
「早く……逃げろ……」
涙で視界を滲ませながらも、ラビエナは必死に首を振った。
「ラビエナ……頼む……」
「……駄目……ノア……」
「妹を助けるんだろ? 早く……」
妹。その一言でラビエナは口を結ぶ。そして揺れる瞳に決意が宿るまでに、ほんの刹那の沈黙があった。
次の瞬間、ノアの腕の隙間からその小さな体が抜け出す。
風を切るような軽い音を残し、ラビエナは路地の出口へ向かって飛び去っていくと、ごろつき達の視線がノアへ戻った。
「あっ! 逃げやがった! あいつを売ればこんな生活からおさらばできたかもしれねぇのに!」
「くそっ! 雑魚のくせにイラつかせやがって! オラァ!」
吐き捨てるような声と同時に、重い蹴りがノアの脇腹に叩き込まれた。
「がはっ……!」
硬い地面に転がったノアの頭を、片方のごろつきが踏み押さえる。既にノアに抵抗する力は残っていない。
「俺達に舐めた態度をとったらどうなるか……わかったか?」
ごろつき達の言葉は、もはやノアの耳に届いていない。
意識は朦朧とし、霞む視界の中、ノアはラビエナが去った路地の出口を見据えていた。
「ちっ! なんとか言ったらどうなんだオラァ!」
ごろつきはノアを踏みつけていた足でノアの顔面を蹴り飛ばした。
首がぐりっと反り返り、かなりの衝撃と激痛だが、背中の痛みに比べればまだましだろう。
「おい、もうやめとけ。こいつはもう虫の息だ」
「はぁ? まだ数発やっただけじゃねぇか?」
「こいつが弱すぎんだよ。しかし殺しはまずい」
「じゃあどうする?」
「国外の人攫いにでも売っちまうか? 大した額にはならねぇだろうがな」
ごろつき達の足元で、ノアは自分の惨めさを噛みしめていた。
こんな見え透いた罠にはまる自分が情けないと。
しかし言い訳がないわけではない。
ただ、腹が空いていた。
食事を恵んでもらえるかもしれない。その僅かな可能性が、理性の細い糸を切った。
(……情けないな……)
苦し紛れにノアが笑んだ時だった。
「──衛兵さん! ここです!」
突如、女性の声が路地裏に響いた。
「なっ!?」
「衛兵」……その言葉を耳にしたごろつき達の顔色が変わった。
「やべぇ! こんなとこで捕まったら終わりだ!」
「と、とにかくずらかるぞ!」
ごろつき達が路地の奥へと駆け去っていく。
残されたのは地に倒れるノアだけ。
すると、浅い呼吸を繰り返すノアの耳に聞き覚えのある声が届いた。
「大丈夫!? ねぇ!」
霞んだ視界の中で、揺れる赤髪が飛び込んでくる。
「ラ……ビ……エナ?」
掠れる声に応えるように、ラビエナはノアの頬へ両手をそっと添えた。
「しっかりして! 助けを呼んできたよ!」
涙で潤んだ金色の瞳が、必死にノアを映し続ける。
すると、駆け足気味の足音がノアの傍に近づいてきた。
「大丈夫ですか!?」
澄んだ声が路地裏に響く。
すると、ノアの元に影がひとつ駆け込んできた。
「しっかりしてください! すぐに手当しますからね!」
その言葉に安堵を覚えたノアの意識は、更に遠くなっていく。
ノアの瞳に映ったのは、白髪に赤色の瞳の若い女性だった。




