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第15話 一杯のスープ

 

 ギルドを出ると、来た時と変わらないはずの風が、妙に冷たく感じられた。

 

 昼下がりの街は相変わらず人の声と車輪の軋む音に包まれているのに、ノアとラビエナの周囲だけがぽっかりと切り離されたかのようだ。


「……ノア、落ち込まないで?」

 

 沈黙を破ったのはラビエナだった。


「きっといい仕事が見つかるよ。そうだ! 私、明日からはもっと遠くの方まで探しに行ってみる! そしたら、もっといい食べ物が見つかるかもしれないし!」


 無邪気な言葉は、ノアの胸に重く沈む。

 ドラミホールの被害者という同じ境遇だが、ラビエナがノアと共にいる必要は無い。

 むしろ無力なノアに付き添う事は、彼女にとって足枷にしかならないはずだ。

 飢えと貧困、先の見えない路上生活に巻き込みながらも、当然のように隣に浮かんでいるラビエナに、何も感じないわけがなかった。


「……なぁ」


 ノアが口を開いたその時だった。


「お待たせしましたー!」


 視界の外から声が響いた。

 声がした方へ視線を向けると、ギルドの建物の傍に建てられた簡素な天幕の下、湯気が立ち上る大鍋が据えられていた。

 立ちのぼる白い湯気が風に揺れ、ほんのりとした肉と野菜の香りがノアの鼻腔を擽ると、次に聞こえたのは、ノア達にとって最も切実な言葉だった。


「ただいまから炊き出しを始めまーす! ご希望の方はお並びくださーい!」


 咄嗟にノアとラビエナが互いを見合う。

 ラビエナの表情はきらきらと輝き、その金色の瞳に映るノア自身もここ最近で、一番明るい顔をしていた。


「ノア! あれって!」

「あぁ! 行こう!」


 二人は吸い寄せられるように列へ並んだ。

 漂う香りが、空腹に軋む腹と、じくじく疼く背中の痛みを一瞬だけ忘れさせてくれた。


 列の先からは、器を受け取った人々が安堵の笑みを浮かべて立ち去っていく。

 その光景を幾度か眺めた後、ついにノア達の番が訪れた。 


「はーい次の方どうぞー!」


 女性職員の声に、ノアは人差し指と中指の二本を立てた。

 

「二つお願いします」

「ごめんなさい、一人一つまでなんです」

「えっと……二人いるんですが、ほら俺の横に」

「え? うーん……」


 女性職員がノアの横でふわふわと浮かぶラビエナをじっと見つめると、なにやら他の職員と相談を始める。

 そして話がまとまったのか、ノアに向き直った女性職員は申し訳なさそうに口を開いた。


「あの……大変言いにくいのですが……お連れ様は、えっと……その、大変小柄でいらっしゃいますよね? 妖精種ピクシーでしょうか?」

「まぁ……そんなところです」

「そうですか……申し訳ございません。炊き出しには限りがありますので、お連れ様は数に含められません」

「……え?」


 一瞬ぽかんとしたラビエナの表情は、驚きと焦りが混ざったものへと変わった。


「ちょっと! 数に入らないってどういうこと!? 私だって立派に食べるんだから!」

「ごめんさない、配分は子ども以上を基準にしておりまして……私も心苦しいのですが、どうかご理解を……」

 

 職員が深々と頭を下げる。

 ラビエナはそれ以上は何も言わずに、ただ落胆していた。


「……わかりました。一人分でお願いします」

 

 ノアがそう言ってスープが入った器とスプーンを受け取ると、そのまま近くのベンチに腰を下ろした。

 湯気立つスープからは立ちのぼる肉と野菜の香りに、唾液が勝手に溢れてくる。

 

 今すぐにでも、このスープを喉へ流し込みたい。

 

 その欲望を必死に抑え、ノアは器に入ったスープをスプーンで優しく掬う。


 そして、隣にちょこんと座るラビエナに差し出した。


「……ほら」

「……え!?」


 ラビエナの瞳がぱちぱちと瞬きを繰り返し、差し出されたスプーンとノアの顔を交互に見比べた。


「だ、駄目だよ! これはノアのなんだから!」

「いいから飲め、このスープは俺達二人のものだ。お前が飲まないと、俺は絶対に飲まないぞ」


 ノアの言葉に押され、ラビエナは口をきゅっと結ぶ。

 スプーンに入ったスープをじっと見つめ、ほどなくして躊躇いがちに、ゆっくりと顔を近づけた。


「……ん」


 ラビエナは目を閉じて、そっとすするようにスープを口に含む。

 小さな喉がごくりと動いた瞬間、彼女の頬を一筋の涙が伝った。


「……ふ、うぅ……」

「お、おいどうした!?」


 ラビエナが顔をくしゃりと歪める。

 その泣き顔のまま、か細く呟いた。


「美味しい……美味しいよぉ……」


 金色の瞳から大粒の涙が、ぽろぽろと溢れ出る。それでも彼女の表情は、確かに笑みを帯びていた。


「ありがとノア……ありがと……」


 涙を拭いながらも、笑顔を崩さないラビエナ。

 そんな彼女につられて、ノアの口元も自然と緩んだ。

 

「ほら、次はノアの番! 温かいうちに早く飲んで!」

「そうだな」


 ノアが再びスプーンでスープを掬う。

 そして自分の口に近づけた。


「水も配給してますー! お早めにどうぞー!」


 スープを口にする直前、耳に飛び込んできた声に、ノアは顔を上げる。

 その先には、瓶に入った水が希望者へ配られていた。


「水か!」


 興奮気味にそう言ったノアは、自然とスープが入った器をラビエナの横に置いて、立ち上がった。

 

「ちょっと待っててくれ、水を貰ってくる」

「わかった! 私はスープを見てるね!」


 ノアは列の最後尾に並び、配られていく水瓶を見つめながら、自分の順番を待つ。

 これで喉の渇きも潤う――そう思った時だった。


「だめぇー!!」


 背後からラビエナの叫び声が聞こえた。

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