第11話 穢神ノ胎《エガミノハラミ》
ラビエナから聞いたところによると、ノアは二ヶ月も眠っていたらしい。その長い眠りの間、世界には激震が走ったそうだ。
――ノア・レグルスの死。
最強と呼ばれた冒険者は、いまや過去の者。
このオリウス王国でも、国をあげた国葬が執り行われたという。
民は嘆き、貴族は儀礼的な哀悼を示し、冒険者たちは酒場で彼の武勇を語りながら杯を傾けた。
特にノアが育ったこの七番街は、一際大きな悲しみに包まれていたという。ラビエナの話によると、号外が出た日に悲鳴をあげて狂乱する者までいたそうだ。
そしてノアが目を覚まして二週間。
裏路地の粗末な小屋で、その日暮らしの生活を続けているのが、皆が惜しんだ英雄だとは七番街の誰一人として知らなかった。
「「いただきます」」
小屋の中でノアとラビエナが、食卓を前に声を合わせた。
食卓といっても木箱をひっくり返しただけの台。
ノアの方には縁が欠けた大ぶりの木椀と皿代わりの木の板。
そしてラビエナの前には、割って中身を食べ尽くした木の実の殻を器代わりにした、小さな椀がちょこんと置かれ、ノアと同じように彼女のサイズに合わせた皿代わりの板切れが置かれている。
注目のメニューは、まず皿には今朝採れた雑草のお浸し、椀にはその煮汁、そして主菜である赤い木の実がひとつずつだ。
「ノア、これあげる」
食事に手をつける前にラビエナがふわりと浮かんで、自分の木の実を持ち上げると、そのままノアの皿に置いた。
「いいのか? やっと採れた草以外の食材だぞ?」
「いいのいいの、怪我人なんだから少しでも栄養つけなきゃ……って言ってもこれっぽっちじゃ意味ないだろうけど」
肩をすくめるラビエナの前で、ノアは二つになった木の実を見つめた。
「……じゃあ遠慮なくいただく」
「ふふ……ありがたーく食べるんだよ? なんなら、涙ぐみながら食べてもいいんだよ?」
「なんでそうなる……」
渋々言いつつも、木の実を頬張る。
甘酸っぱさが口の中に広がり、ほんの少しだけ心がほどけた気がした。
「……うまい」
「でしょ? もっと感謝していいんだよ?」
「どうもありがとうございました~」
「棒読みっ!!」
ぷんすかと頬をふくらませるラビエナ。
そんな彼女にノアも口元を緩ませて、煮汁を啜ったその時、小屋の外を通り過ぎる人影の声が耳に入ってきた。
「——聞いたか? ドラミホールのパーティーがランキング一位に返り咲いたとよ!」
「……っ!」
その布越しの言葉に、ノアは表情を凍りつかせた。
「ノア・レグルスが死んじまってどうなることかと思ったが……流石だな」
「聞いた話じゃ、以前のような少数精鋭じゃなく、大勢のパーティーを抱えているらしいぜ。もちろん皆、強者ばかりだ」
「どうやら魔王討伐に本腰を入れてるって話、本当らしいな」
「ノアの分も、あいつらにはやり遂げてもらいたいものだ」
「だな……そうだ! 俺達もドラミホールのパーティーに志願するのはどうだ!?」
「馬鹿言え、実力不足にもほどがある」
「はははっ! それもそうだな――」
外の声が遠ざかっていく。
ノアは煮汁が入った器を持ったまま固まっていた。
煮汁の表面には変わり果てた自分の顔が映っている。
髭と髭は伸び放題で、やつれきった酷い顔。かつて世界中を沸かせた最強の冒険者の面影など、そこには一欠片もない。
濁った瞳に宿るのは、誇りでも勇気でもなく、疲労と空虚さばかりだ。
「ノア……大丈夫? ……って私がそんな口聞けるわけもないか……」
そう言ったラビエナは視線を落とした。
「私もドラミホールに協力した身だもの……ごめんねノア。私の事、憎いよね……」
確かにラビエナは当初ドラミホールに協力して、ノアに敵対していたのは事実。そしてノアの剣と戦意を折ったのは間違いなく彼女だ。
「……憎い、か」
自嘲めいた笑みを浮かべたノアは、目を細めた。
「正直、あの夜のことを思い出すたびに胸の奥が焼けるように痛む。剣を折られた瞬間の絶望も、裏切られた衝撃も、今でも鮮明に残ってる……だけどな……」
ノアは言葉を一度切り、煮汁を飲み干した。
「こうしてクソ不味い飯を食えるのも、君のおかげでもある」
そう言うと、ラビエナは顔を上げる。
金色の瞳が大きく見開かれ、瞬きを忘れたようにノアを写していた。
「君がドラミホールに協力したのは……妹さんを人質にとられているからなんだろ?」
ラビエナは再び視線を下げて、「うん」と頷いた。
「……リビエナっていうの……妹の名前」
「可愛らしい名前じゃないか」
「うん、私の宝だった。人懐っこくてどんなときも笑っていて、人を疑うことを知らない純粋無垢な可愛い妹……でも、そんな性格が仇になって、ドラミホールに騙され、囚われた」
「今はどこにいるんだ?」
「……きっと、ドラミホールの中」
「中?」
ノアが怪訝に眉を寄せた。
「あなたも見たでしょ? あのドラミホールの生き物かどうかもわからない、異様な姿を」
「……俺の核を喰った時のあれか?」
「そう……あれがドラミホールの真の姿」
ノアの脳裏にあの時の光景が蘇る。
どろどろに溶けたような爛れた肉。
垂れ下がった右目と、赤黒く腫れあがった左目。耳元まで裂けた口に、粘液まみれでいくつも重なった歯。
それが自分を貪った。
忘れたくても絶対に忘れられない、悪夢そのものだ。
「……ずっと俺がドラミホールだと思ってのは、偽りの姿だったのか」
「そう、あいつは喰らったものを取り込んでいく。姿も、力も、魂さえも……その名は」
ラビエナは深く息を吸って吐く。
そして憎しみを宿した金色の瞳をノアに向けた。
「――穢神ノ胎」




