第10話 二度目の死の淵から
「……うぅ」
目を開くと、視界に映ったのは色褪せた布の天井だった。
布と布を紐で無理やり繋ぎ合わせただけの粗末な作り。隙間から差し込む朝の光が揺れ、ひんやりとした風が入り込んでくる。
体が思うように動かない。背中の痛みは引けども、今だ淡く疼いている。
(どうやら、また死に損なったようだな……)
横になったまま、辺りを見渡すと相変わらず衛星さの欠片も無い酷い室内の中で、ある物が目に留まった。
「……これは?」
布切れを重ねただけの床の上に、小さな器が置かれている。
中には潰された薬草と、ツンと鼻をつくような匂いを放つ煮汁。その横には、なにかを拭ったかのような汚れた布。
雑だが、それらは治療のために用意されたものだとすぐにわかった。
「一体……誰が……?」
疑問を口にすると、入り口に敷居としてかけられていた布切れがふわりとめくれ上がる。現れたのは手のひらサイズの小さな体を浮かせ、赤髪を揺らして金色の瞳を光らせたラビエナだった。
「ただいまー。ちゃんと生きてる? よし、こっちを見てるし生きてるわね……って、え?」
「……よう」
「き、気がついたのね……ふっ、うぅ……」
突如ラビエナの目からぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「な、なんで泣くんだよ!?」
「……良かった……良かったよぅ」
ふわりと浮かんでいたラビエナは、ゆっくりと降下して地面にへたり込む。
小さな肩を震わせ、両手で顔を覆っても、涙はとめどなく溢れていた。
「お、おい!」
想像外の出来事に、思わず重たかった体を起き上がらせる。
だが背中の疼きがすぐに悲鳴を上げ、ノアの口から苦鳴が漏れた。
「ぐぅ!」
「バカ! 急に動いちゃ駄目よ!」
慌てたラビエナが、ノアの元に飛び寄った。
「せっかく助けたのに死ぬつもり!?」
「……き、君が……?」
「そうよ。ほら、ゆっくり横になって」
小さな手のひらで押し返されるまま、ノアは力なく布の上へと倒れ込んだ。
「……なぜ助けた?」
「なぜって……自分そっちのけで私を助けてくれたあなたが言う?」
「俺は君から情報を聞き出すためだ」
「だからって死んでもおかしくないほどの傷をほったらかしにする? 最強と言われていたのに思いのほかお馬鹿さん? まぁいいわ、ほら背中見せて? まだ治ってないんだから」
ノアは眉をひそめ、しばらく黙り込む。
しかし結局、抵抗する気力もなく、渋々寝返りを打ってラビエナに背を晒す。
その背にラビエナは、そっと手を押し当てた。
「……ほんと、こんなになるまでほっとくなんて……」
ラビエナは綺麗な布を持ち上げてふわっと浮かび上がる。行く先は予め擦り潰してあった薬草と煮汁がある場所だ。
まずは布を煮汁に浸し、その後に擦り潰した薬草を布全体に満遍なく擦り込ませると、再びノアの背へ戻ってきた。
「……ちょっと我慢してね……」
背後でラビエナが呟くと、冷えた布がノアの背に押し当てられた。
じわりと薬草の汁が沁み込み、次の瞬間には焼けるような痛みが走る。
「ぐっ……!」
「ほら、頑張って」
ノアは奥歯を噛みしめ、呻きを押し殺す。
そして苦痛に顔を歪めながらも、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「……この薬草はどうしたんだ? 買う金なんて無かったはずだ」
「私が最初に着てた黒いロープを覚えてる? あなたが私と一緒に持ってきてくれたあれよ。それを売ったの。かなり珍しい生地だったからそこそこの値が付いたわ」
「……よかったのか?」
「うん、いまの私には大きすぎるし」
ラビエナはノアの背中を拭い続ける。
背中に感じる痛みはいまだ鋭く、神経を焼くようだった。
この痛みが何度も教えてくれる。あれは現実で、すでにノアに残ったのはこの痛みだけなのだと。
「……うっ……」
喉の奥から漏れた声とともに、熱い雫が頬を伝った。
「……泣いてるの?」
背中越しのラビエナが呟く。
それにノアは答えず、片手で目元を押さえた。
「……泣いてなんか……くそ……」
震えた声で吐き捨てるが、目から溢れ出す涙は止まらない。
堪えようとするほど、次々と熱く零れ落ちていった。
「うっ……うぅ……」
小屋の中に響くのは、かすかな嗚咽。
その中でラビエナは、ノアの傷口をただ黙々と、優しく拭い続けた。




